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【めくるめく】時間はいくらでもつくれる!

 いくらでも、というのは言いすぎなのですが、工夫しだいで自分の想像を超えるくらいに時間というのはつくれるものだと思っています。

 アラフォーの頃に、働きながら大学院に通いました。
 社会人クラスだったので、わたしだけではなく同じクラスの方々はみなさんお仕事をもっておられました。夜間開講だったので平日は1日2コマだけ講義があり、土曜日の午後は1時から6時までの5時間に3コマがありました。
 そのすべてのコマに受講登録していたわけではないのですが、どの講義においてもほぼ毎回、講義の後2週間以内にレポート提出が課せられます。レポートだけではなく、次回の講義に向けての予習も必要です。
 講義前の予習も講義後のレポートも、感想文を書くのとはちがって、多くの場合文献調査を伴います。必要そうな書籍を探して図書館で借りるなり書店で買うなりして、JRの20分間と私鉄の6分間のなかで必要そうな箇所を全速力で読まねばなりません。
 夜に講義を受けた日は、帰宅して夕食、入浴を済ませたあと、寝るまでの時間に、帰りの電車で読みきれなかった書籍をこれも全速力で読みます。11時には寝て、朝4時には起きます。その日が提出期限のレポートを全速力で書きます。
 朝6時には休憩を兼ねて朝食。そのあと出勤して、まだだれもいないオフィスでレポートの続きを書き、そこで始業時刻までに仕上げます。
 満足できるレポートを書けることは少なく、たいていあれも調べとけばよかったなあ、といった後悔があるのですが、そういった想いも手の動きも始業時刻ですべて完了させます。頭のなかでゴングの音とともに「しゅーりょー!」の声が聞こえます。
 もう一度あの日に戻れといわれたら、勘弁してくださいとひれ伏したい気持ちですが、一方で、それほどめまぐるしかった日々のなかでも大いなる充実感がありました。山岳登山者が感じるクライマーズハイというのはあのようなものであろうとも思います。
 それと、やはりどんなに多忙に思えても時間をつくることはできる、ということを身に沁みて理解したことが、その後のわたしの生き方によい影響を与えていると思います。
 大学院のときほどに、本気で全速力で物事に取り組むことはほとんどありません。ただ、たまになにがしかの課題のために許された時間が極めて限られているという局面にでくわしても、きっとその時間内にやりとげられると思えるのです。

 時間はつくれる。
 自分の想像を超える時間を自分でつくることができる。
 大学院での研究内容はほとんどなにも憶えておらず、役に立てることができていませんが、工夫しだいで時間はつくれる、と信じられるようになったことは、得がたい経験でした。
 でも、働きながらの大学院にはもう二度とはごめんです。


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