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【めくるめく】 こどもたちに謝りたい!

 わたしのこどもたちは、わたしのことをパパともお父さんとも呼びません。
 本名のファーストネームに「さん」をつけて呼びます。乳幼児のころからわたしがそのように仕向けたのです。
 人並みに父としてふるまえるのか自信がないから。
 人にはそのように説明してきたのですが、本心では、親に頼らず自立した人になってほしい、との強い思いがありました。
 わたしの幸せはわたしが決める。
 最近、テレビドラマなどでもこのようなセリフをしばしば耳にするようになったように感じます。いいことだなと思います。
 法律用語では「自己決定権」といって、憲法13条に謂うところの幸福追求権のひとつとされているらしいです。
 わたしのすすむべき道はわたしが決める。
 わたしの人生はわたしが決める。
 そんな自立した人になってほしいと願っていたのに、こどもを育てるという段になって気づいたのですが、幼いこどもは自立していないのでした。
 欲求をコントロールできないし、自らの傲慢を反省することもありません。約束は守らないし、結果責任を負うつもりすらありません。
 幼児は自分で世間との折り合いをつけることができないのです。

 自立した人をめざすにしても、こどもが幼いうちは、ふるまいの基本という枠を教え込むのが親の役割なのだなと考えるに至りました。
 けれどもその教え方には、いまにして思えば愛が欠けていました。
 あたかも、新入社員に対してびしびし仕事を叩き込む、昭和のジャパニーズビジネスマンの上役の指導のような感じで、こどもには厳しく接していました。

 それでもこどもたちはひねくれることなく成長してくれました。
 わたしがなんとなく考えていた平凡なものとはちがう人生を歩んでいるので、結局わたしの「指導」は何の役にも立たなかったのだと思います。
 けれどもそれは、父の思いどおりには生きないことをこどもたちは選択してくれたということです。その意味では、逆説的ですが、わたしが望んでいた精神の自立をこどもたちは手にいれたということだと思います。
 わたしは何の役にも立てなかった。
 たんに厳しいこと嫌なことばかりいうおっさんだった。
 君たちは、役立たずの父の下での日々を送ったにも拘らずしっかりと自立して生きている。君たちの今を父は誇りに思う。
 それにしてもわたしは役立たずだった。
 役立たずで申し訳なかった。
 厳しさの代わりに、もっともっと愛を注いであげればよかった。
 ごめんなさい。
 ほんとうにごめんなさい。

 今はたまに「お父さん」と呼んでほしい気持ちになることがあります。

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