メニコン シアターAoiの山口茜芸術監督の企画として、大阪のカンパニー「うさぎの喘ギ」の泉宗良が作・演出した一人芝居『いみいみ』と芸術監督トークシリーズが併せて公演された。泉は今回、オーディションで選ばれた名古屋の俳優・夏目みほ(総合劇集団俳優館)と『いみいみ』を再創作。トークセッションにはホストの山口、作者の泉に加え、フェミニズムをテーマにした漫画『わたしたちは無痛恋愛がしたい』を好評連載中の瀧波ユカリがゲストとして参加した。
(取材・文: 小島祐美子、写真: 羽鳥直志)
創作・再創作のプロセス
約60分の『いみいみ』は全編「同語反復(トートロジー)」によって構成されている。「私は私」「女は女」「また感じる、あの眼差し は また感じる、あの眼差し」というように、同じ言葉やフレーズを2度繰り返しながら展開。序盤は手法そのものが目立つが、劇が進むにつれて主人公である女性の社会的立場が浮き彫りになっていく。
しかし『いみいみ』は2021年3月の初演では一人芝居ではなく、主題としてフェミニズムを扱おうという意識はなかったと泉は言う。その後、うさぎの喘ギの俳優が女性2人となり、各俳優と再創作。当時、泉も俳優たちもフェミニズムへの関心が高まっており、同年10月、女性一人芝居バージョンをWキャストで上演した。2023年には男性版、ダンサー版を発表。山口が観劇したのはこの年で「ものすごくフェミニズムの作品だと、まさに意味づけしてしまった」と語り、今回の企画につながった。泉には約3年を経ての再創作。いちばん苦慮したのは終幕のセリフだったという。
男性が、女性の身体を使って、女性の話をする“ねじれ”
泉が自覚的にフェミニズムの視点を取り入れたことを受け、瀧波は男性の作者が女性の俳優を使って女性の話を作ることに至った経緯を尋ねた。泉は抵抗感はあったこと、生理など女性特有の現象について俳優の指摘で書き直したことなど振り返ったが、同時に彼自身のアルバイト経験を通じて考えたこと、感じたことも反映されていると説明。また男女平等とは別に、作家と俳優の関係という問題もあり、泉と山口それぞれが補足した。
それでも瀧波は改めて、男性を主人公にして同じ主題を扱う選択肢はなかったのかと問う。「男性側の一種のあがきは伝わってくる。でも主人公を男性にすれば、ねじれは解消されるのでは?」と。泉はカンパニーの所属俳優が女性2人だったという現実問題も吐露しつつ、多人数による男性主体の再創作も構想にあると話した。
男女それぞれの生理現象と描写への疑問
瀧波からさらに踏み込んだ質問が飛ぶ。それは主人公と彼氏の性行為に関して。
泉は俳優と意見を交わし、口淫あるいは性交の有無を観客の想像に託したと回顧。対して山口は、受け身である人間は受け身である自覚がないことを踏まえ、主人公は受け身であることに気づいたと見て作品に入り込んだが、性行為が曖昧に終わったところで現実に引き戻されたと語った。瀧波も山口も、受け身にならざるを得ない主人公=女性の立場を明確に表せる場面だったと思うのに、回避されたことで不満が生じたのだろう。性行為で男性が受け身になる展開は少ないだけに、より意図を示すべきだったと泉自身も感じた様子。
『いみいみ』は女性の一人芝居になった際、俳優の意見が積極的に反映された経緯があり、泉の他の作品とは性質が若干違うという。山口が「女性側に正解があると考えた?」と問うと、女性である俳優の意見は聞くけれど丸投げになってしまわないようにも気をつけたと泉。瀧波からは「当事者だから持つ怒り、あるいは怒りまでいかなくてもモヤモヤしたものを抱えることについてはどう考えたのか」といった質問があり、泉はこう答えた。
この発言に対して瀧波も山口も、女性が作るものに寄せても仕方がないこと、女性の立場になって書いてほしいわけではないことを強調。
性交の描写を巡る議論はピンポイント過ぎるのではないかと戸惑ったが、フェミニズムを考える上では極めて重要だから瀧波も山口も追及したのだと気づく。フェミニズムを阻む原因は、恋愛関係や夫婦関係といった卑近で閉鎖的な場面に潜んでいるのだ。それは後半のトークでもつまびらかになっていく。
男性の透明性、男性の本心に対する、女性のジレンマ
主人公が彼氏や同僚と会話する際、男性は相手が女性の場合「女性」として扱い、人と人というフラットな関係の欠如した日常が明らかになる。泉は漠然とモヤモヤしていたことが具現化されたんだろうと言い、瀧波は男性自身がそこに気づいた点は興味深いと語る。山口と瀧波は40代、泉は20代。女性2人は世代の差異にも言及した。
泉は「持て余した、彼、私、わたしたち」というセリフから、男女ともに持て余している状態を想像していたという。瀧波は持て余しているものを「欲」と置き換え、質問を続けた。
ここで山口は男性の性欲と女性の出産を並べて考えてみる。それを乗り切る苦しみは両者とも知り得ないが、性欲が原因で人生を棒に振る男性がいることの特異性を指摘。かたや瀧波は、結婚すると性交渉が途絶えていく男女関係、性犯罪において女性側が危機管理を求められる実態などを挙げ、男性の性欲に対して女性が配慮を強いられる社会体質に異議を唱えた。そして山口の夫婦間の出来事からディスコミュニケーションの問題が浮かび上がる。
家族で外出中、山口の夫が子どもを抱いて疲れ気味だった時のこと。彼女は見知らぬ男性に声をかけて席をズレてもらい、並んで座れる場所を確保した。しかし夫の顔を見ると不機嫌で、不必要なことをしたと山口は悟る。これに泉は「言語化は難しいけど感覚はわかる」と言う。男性はコミュニケーションより我慢で乗り越えたり、やり過ごしたりすることがあるようだ。ここで瀧波が嘆く。
トーク終盤、創作の原動力に話題が移る。瀧波は『いみいみ』の出発点に罪悪感があったとしても泉自身の痛みを感じるところはなかったという。彼女は泉に、今後どんな感情が作品になり得るか尋ねた。
続けて『睡眠のパフォーマンス(実演)』という自作を紹介。舞台上で本当に寝ることで睡眠にさえ必死に取り組む現代人を示し、観客と共有したそうだ。泉の寂しさとは「生き急ぐ中で、どんどん独りぼっちになっていく感覚」。そこで瀧波は「腑に落ちた」と言い、「言葉を反復する表現方法は、追い立てられるように働くこととすごくマッチしていた。反復によって訴えかけてくる内容がシーン毎に違うのも良かったし、コンビニで口からペラペラ出てきてしまう『年齢確認お願いします』といったセリフも反復の中で虚しさとして伝わってきた。資本主義の話を聞いて、そこは泉さんのカラーが出ていたと感じます」と称えた。
最後に観客との質疑応答も行われた。ある女性は「男性が自分の気持ちを語らないことには同感で、それを聞けたら面白いと思う」と言う半面、「男性が本当の心情を語った時、共感を得られるのか、面白いものになるのかとも思う。女性の心情は時代的に共感を得やすいけれど……」と、その難しさを口にした。それを聞いて泉がこんな発言でしめた。
フェミニズムには社会運動のイメージも強いが、私たちの日常と密接に結びついてる。フェミニズムは女性の地位向上を目指すだけではなく、真に男女平等の社会を求める思想。ましてや多様な性自認がある現代では重要な社会課題であると痛感した。
(取材・文: 小島祐美子、写真: 羽鳥直志)
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