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お笑いを見れなくなったのはなぜか

キングオブコントを見ることができなかった。別にリアタイしてないだけなので後から見ることはできるのだが、全く見る気が起きない。まずいな。このままいくと今年はM-1すら見ないかもしれない。そのくらい、ここ最近は「お笑い」という文化に触れていない。 なぜか最近お笑いにまつわるコンテンツを見なくなってしまった。数年前は毎週のように劇場に通っていたというのに。最後にネタをみたのは、2月のグレイモヤかもしれない。それ以来、動画やテレビですらお笑いに触れなくなってしまった。 どうしてお

    • 仕送り、選挙、事故、万年筆

      ・同居人の家族から仕送りをいただいた。物理的な喜びはもちろんのこと、他人だった(である)自分に対してこうした形で心を開いていただけたのが嬉しい。 ・社会の末端にいる自分がこの絶望的な政治状況に対してどのような接し方ができるのだろうと考えたとき、「選挙」しかないという事実は、最後の望みであり、より私の絶望を加速させるだけだと気づいた。 ・どうしてみんな自信をもって車を運転できるのだろう。かつて教習所で「自分が事故を起こしてしまうかもしれないと不安に思う方はいますか?」と教官

      • 雑記(2024.3.22)

        ・人との繋がりをちゃんと大事にしようと思えている精神状態であって良かった。このメンタルを維持したい。 ・読みたい本も増えてきた。野谷茂樹『言語哲学がはじまる』と清水俊史『ブッダという男』は早めに読みたい。 ・同期が華々しい職場に異動していくと、少し焦る。でも、自分の選択に自信を持ちたい。 ・今日は少し飲み過ぎた。酔っている。自分にも。

        • 覚書(R6.02.04)

           停電で困るのは電気が使えないことではなく、ガスと水道が使えなくなることだ。ガスも水道も、電気がないと手元に届かない。結局人間に必要なのはいつの時代も火と水だ。  自分の仕事ではないものの人に任せられない、宙吊りになった仕事を一つずつ摘んでいく作業を、意外にも楽しんでいる自分がいる。  写真を撮りたいが、周りの目が怖くて撮影を断念し記憶から消えていったあの不思議な看板たち。もう一度収集し直したらきっと500枚くらいになる。  「最悪」を想定することは人を安心させる。バス

        お笑いを見れなくなったのはなぜか

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          雑記(2023年9月26日)

          初秋の曇りの日には特有の匂いがあるような気がする。具体的に「何の匂い」というのは無いのだけれど。 一日外に出なかった。布団に横になってYouTubeを見ていると、ただ漠然と不安感が襲ってくる。今のこと、昔のこと、これからのこと。何か原因があるわけではない、渾沌とした何かが自分の周りに粘膜のようにまとわりつく感覚。 ベランダに干してある毛布を回収したとき、外の匂いがフッとした。この匂いに覚えがあった。 3年前の初秋、狂ったようにお笑いライブに行っていた。毎週のように渋谷の

          雑記(2023年9月26日)

          音楽への没入(2023年8月30日)

          生活が落ち着いたので、以前の記事を読んだ友人からの疑問について考える。 ①西洋音楽は理論を固めて作られているので、言語的側面が大きいのではないか。 音楽理論=言語という側面は多分にある。だからこそ、即興音楽は音楽理論を無視した完全な(?)感覚的芸術であり、言語化というプロセスを経ないのだと思われる。 しかし、音楽理論に基づいて作曲された曲を演奏することにも、言語化プロセスを経ない表現ができるとも思っている。以下、詳細に。 音楽理論は結局「なんか気持ちいい音」がそこにあ

          音楽への没入(2023年8月30日)

          即興演奏と東洋思想(2023年7月19日)

          即興演奏を聞いた。作曲者自身によるピアノの独奏。10分前後の曲。 聞いてから色々考えたこと。 ※この記事は書きかけです。 精神の顕現としてのピアノ。言語を介さない感情表現の可能性。 井筒俊彦はその著作において、世界の認識形態をソシュール言語哲学的な世界観で表現した。言語的意味分節の世界(経験的世界・表層的世界)と非言語的無分節の世界(深層的世界)。コスモス(秩序)とカオス=アンチコスモス(渾沌)。我々が表層的意識で把捉する経験的世界は、非言語的無分節世界に言語で補助線

          即興演奏と東洋思想(2023年7月19日)

          何もない(2023年7月8日)

          久々にフヅクエへ。 今、自分は本に何を求めているのだろうと考えると、「何もないこと」とかが一番適切だろうか。衝撃的なラストや難解な思想はいらない。気持ちが凪の状態になるような作用を本に求めている気がする。それは常日頃からそう思っているのではなく、ここ最近の話だ。 翻訳家である藤本和子のエッセイ『イリノイ遠景近景』は、自分の欲求に真正面から応えてくれた気がする。 何でもない日常。トウモロコシ畑が目の前に広がる家からトウモロコシ畑が目の前に広がる家に引越した話。リタイアした

          何もない(2023年7月8日)

          寄り添う(2023年6月23日)

          帰り際に生徒の訃報を聞いた。 自分にとってその生徒は「知らない人」だ。今日の訃報で名前を初めて知った。顔は当然知らない。違う棟にいる子どもだから、会うはずがないのだ。 人の死を前にしていながらも落ち着いていた。亡くなった子のことを一つも知らないからだ。訃報を聞いても、「それは残念ですね」などと本当に思っているのか思っていないのかわからない言葉を発するのがせいぜいなところだった。 あの子の死は、私にとっては一つのニュースでしかないのだろう。「今日そんなことがあったのか」と

          寄り添う(2023年6月23日)

          迷走する思考

          noteを書こうと思ってPCを立ち上げ、「何を書こうか」と考えている時間が嫌いだ。 頭の中に渦巻く思考は山ほどあるのに、それを文字にしようとした瞬間にきれいさっぱりなくなっている。今日はマーク・フィッシャーの「再帰的無能感」について歩きながらぐるぐると考えていたのに、アウトプットができない。「考えがまとまっていないのにアウトプットはできない」とはよく聞く話だが、そのまとまらない考えをアウトプットしたいのだ。 同じような経験は、「書く」という作業だけでなく「話す」という作業

          迷走する思考

          複雑に捉えたい【9/25】

          久々にまともな日記を。 指揮のはなし 吹奏楽団で指揮をしている。 高校時代は、学生指揮として同期や後輩たちの前で強権的にふるまっていたのだが、今思うとよくそんな真似ができたなあと、高校時代の私の高慢ぶりに感心すら覚えている。 極論を言えば指揮者は、自分の音楽的なイメージを演奏者に対して「押し付ける」行為を行わなければならない。それが私にとっては大変な苦痛を伴う作業である。自分の音楽に対するイメージが正しいはずなどないのにも関わらず、それを伝えなければならない。「ここは

          複雑に捉えたい【9/25】

          パス回しの恐怖【9/7】

          ・ということで、ちゃんと今日の記事を書こうと思う。 ・少し前にも言ったが、やはりこの日記は「出来事」の日記ではなく「思考」の日記でありたい。 ・今日はどんなことを考えたかと振り返ると、とにかく人間関係で悩んだ一日だったな。 ・お菓子をくれた先生にお菓子のお礼を言おうと思ったが、タイミングが切り出せない。あれ、もしかして相手は感想待ちかな?今話しかけるのは失礼かな?…などと考えてたら午前中が終わった。 ・体調不良で休みがちな同僚にねぎらいの言葉をかけようと思ったが、なか

          パス回しの恐怖【9/7】

          逃げるために書き続けろ

          ・ひと月近く日記をさぼってしまった。 ・日記はたまに書いていたのだが、文章を7割近く完成させたところで、「やっぱり投稿するのはやめよう」となってしまうことが多い。投稿頻度が絞られたせいで、「面白く、機知にとんだものでないといけないのではないか」という強迫観念に駆られるようになってしまい、投稿するのに二の足を踏んでしまっていた。 ・しかしこの強迫観念は私の日記の目的に反する。なぜなら、この日記は私の頭の中のイマジナリーな相手に対して宛てている日記なのだから。彼は私の文章を否

          逃げるために書き続けろ

          手に持つボールが落ちる【7/31】

          ・休みが取れたので岩波ホールに行った。(7/28) ・午前中の仕事の疲れがあって、途中寝てしまった。そもそもブルース・チャトウィンの予習をせずに行ったのが良くなかった。 ・全く知らない人の伝記(ヘルツォークは伝記ではないと言っていたが)を見るわけだから、多少は退屈ではあった。 ・とは言えの作品だった。「死に場所を探している」という言葉は手垢に塗れているが、チャトウィンが発するとくだらない文句にはならない。彼の歩いた旅はあまりにも幅広く豊か。病が発覚してからも続けた旅は、

          手に持つボールが落ちる【7/31】

          ダメなものはダメ【7/26】

          ・死刑のニュースが2つ流れてきた。 ・「国家が人を殺した」という事実で言うとこの2つの刑の執行は変わらない。もちろん一方は国家の民主化勢力で一方は凶悪犯なわけなのだが。 ・かつて高校の教育実習の際、死刑制度についてディスカッションをする授業を行った。高校生に限らず、死刑を容認する日本人は割合としてかなり多いらしい。「法律で決まっているから」「極悪な犯罪者を社会に戻すのは怖い」「無期懲役は税金の無駄」などはよく聞く意見。 ・容認の理由はどれも「確かにそうだ」と思いながら、

          ダメなものはダメ【7/26】

          吹奏楽の芸術的価値は上がるか【7/21誰か宛ての日記】

          ・私は中高のとき、吹奏楽部に所属していた。 ・吹奏楽部と聞くと、「体育会系文化部」などと揶揄されるように、厳しい練習や陰険な上下関係などのイメージがどうしても付きまとう。事実なのだが。 ・私は、吹奏楽部は嫌いだが吹奏楽は大好きだ。軍楽隊から派生していき、コンサート用の曲が発展した特異な背景のもと、独特な音楽文化が形成され、良曲がたくさん生まれるようになった。 ・しかし吹奏楽は、未だ芸術としての市民権を獲得できずにいる。例えば「クラシック音楽館」というNHKの番組がある。

          吹奏楽の芸術的価値は上がるか【7/21誰か宛ての日記】