日本で、ささやかなお金を含めて、鍵も掛けずにおいていたが、一度たりとなくなったことはなかった。
昔の日本の海外からの評価をご紹介します。
『リンダウ』
私はいつも農夫たちの素晴らしい歓迎を
受けたことを決して忘れないであろう。
火を求めて農家の玄関先に立ち寄ると、
直ちに男の子か女の子が
あわてて火鉢を持って来てくれるのであった。
私が家の中に入るやいなや、
父親は私に腰掛けるように勧め、
母親は丁寧に挨拶をしてお茶を出してくれる。
‥‥もっとも大胆な者は
私の服の生地を手で触り、
小さな女の子がたまたま私の髪の毛に触って、
笑いながら同時に恥ずかしそうに、
逃げ出していくこともあった。
いくつかの金属製のボタンを与えると、
『大変ありがとう』と、
皆揃って何度も繰り返しお礼を言う。
そしてひざまずいて、
可愛い頭を下げて優しく頬笑むのであったが、
社会の下の階層の中で
そんな態度に出会って、
全く驚いた次第である。
私が遠ざかって行くと、道のはずれまで見送ってくれて、
ほとんど見えなくなっても
まだ、『さよなら、またみょうにち』と
私に叫んでいる、
あの友情のこもった声が聞こえるのであった。
『エドウィン・アーノルド』
これ以上幸せそうな人びとは
どこを探しても見つからない。
喋り笑いながら彼らは行く。
人夫は担いだ荷のバランスをとりながら、
鼻歌をうたいつつ進む。遠くでも近くでも、
『おはよう』『おはようございます』とか、
『さよなら、さよなら』という
きれいな挨拶が空気をみたす。
夜なら『おやすみなさい』という挨拶が。
この小さい人びとが街頭で
おたがいに交わす深いお辞儀は、
優雅さと明白な善意を示していて魅力的だ。
一介の人力車夫でさえ、
知り合いと出会ったり、
客と取りきめをしたりする時は、
一流の行儀作法の先生みたいな様子で
身をかがめる。
『ムンツィンガー』
『私は全ての持ち物を、
ささやかなお金を含めて、
鍵も掛けずにおいていたが、
一度たりとなくなったことはなかった。
今日の日本では個人主義が広まり、
自分ファーストの考え方が
浸透してしまっています。
鍵もかけないでも
物が盗まれなかった時代から
鍵をかけるのは当然どころか、
隣に住んでいる人がどんな人かも
わからないほど
人と人の心の交流が希薄な時代と
なってしまいました。
物は豊かになった半面、
心の豊かさが失われつつあります。
かつての日本の心の豊かさを
取り戻さなくてはなりません。
今ならまだ間に合います。
今、向き合わなければ、
本当に取り返しがつかなくなります。
かつての美しい日本を取り戻します。
一人でも多くの人に
この思いが心に届きますように。
美しい日本精神を取り戻すために
取り組ませて頂いています。
少しでもご関心がある方は
是非、ご覧ください。
お待ちしております。