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日本で、ささやかなお金を含めて、鍵も掛けずにおいていたが、一度たりとなくなったことはなかった。

昔の日本の海外からの評価をご紹介します。


『リンダウ』

https://katemato.hatenablog.com/entry/2019/08/06/223006

私はいつも農夫たちの素晴らしい歓迎を
受けたことを決して忘れないであろう。
火を求めて農家の玄関先に立ち寄ると、
直ちに男の子か女の子が
あわてて火鉢を持って来てくれるのであった。
私が家の中に入るやいなや、
父親は私に腰掛けるように勧め、
母親は丁寧に挨拶をしてお茶を出してくれる。
‥‥もっとも大胆な者は
私の服の生地を手で触り、
小さな女の子がたまたま私の髪の毛に触って、
笑いながら同時に恥ずかしそうに、
逃げ出していくこともあった。
いくつかの金属製のボタンを与えると、
『大変ありがとう』と、
皆揃って何度も繰り返しお礼を言う。
そしてひざまずいて、
可愛い頭を下げて優しく頬笑むのであったが、
社会の下の階層の中で
そんな態度に出会って、
全く驚いた次第である。
私が遠ざかって行くと、道のはずれまで見送ってくれて、
ほとんど見えなくなっても
まだ、『さよなら、またみょうにち』と
私に叫んでいる、
あの友情のこもった声が聞こえるのであった。



『エドウィン・アーノルド』

https://www.telegraph.co.uk/books/what-to-read/daily-telegraphs-editor-1874-inspired-gandhi-brought-buddha/


これ以上幸せそうな人びとは
どこを探しても見つからない。
喋り笑いながら彼らは行く。
人夫は担いだ荷のバランスをとりながら、
鼻歌をうたいつつ進む。遠くでも近くでも、
『おはよう』『おはようございます』とか、
『さよなら、さよなら』という
きれいな挨拶が空気をみたす。
夜なら『おやすみなさい』という挨拶が。
この小さい人びとが街頭で
おたがいに交わす深いお辞儀は、
優雅さと明白な善意を示していて魅力的だ。
一介の人力車夫でさえ、
知り合いと出会ったり、
客と取りきめをしたりする時は、
一流の行儀作法の先生みたいな様子で
身をかがめる。



『ムンツィンガー』


https://de.wikipedia.org/wiki/Karl_Munzinger_%28Theologe%29

『私は全ての持ち物を、
ささやかなお金を含めて、
鍵も掛けずにおいていたが、
一度たりとなくなったことはなかった。





今日の日本では個人主義が広まり、
自分ファーストの考え方が
浸透してしまっています。
鍵もかけないでも
物が盗まれなかった時代から
鍵をかけるのは当然どころか、
隣に住んでいる人がどんな人かも
わからないほど
人と人の心の交流が希薄な時代と
なってしまいました。
物は豊かになった半面、
心の豊かさが失われつつあります。
かつての日本の心の豊かさを
取り戻さなくてはなりません。
今ならまだ間に合います。
今、向き合わなければ、
本当に取り返しがつかなくなります。
かつての美しい日本を取り戻します。
一人でも多くの人に
この思いが心に届きますように。


美しい日本精神を取り戻すために
取り組ませて頂いています。
少しでもご関心がある方は
是非、ご覧ください。
お待ちしております。

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