「見せたい日本」か「見たい日本」か
日本紹介、「日本を見せる」という試みが、あっちでもこっちでも花盛りのように見える。わたしも、そのような類の仕事に関わったことのある人間の一人として、わたし自身は散々頭を悩ませたが、世間では、まだあまり論じられていないように感じられるポイントを一つ書き記しておきたい。
わたしは、2015年9月から約2年間、外務省で戦略的対外発信拠点室長というポストを務め、「ジャパン・ハウス」というプロジェクトの始動を担当した。このプロジェクトは、外務省としても政府としても、全く新しい試みであり、わたしが外務省で20年やってきた経験は、どれもほとんど役に立たず、それこそ、いろんなことを文字どおり「走りながら」日々考えていた。
(ジャパン・ハウスについて:https://www.japanhouse.jp/)
その、山のようにある考えなきゃならなかったことの一つが、表題の問題で、ジャパン・ハウスというプロジェクトでは、「日本が見せたい日本を見せるのか」それとも、「外国が見たい日本を見せるのか」ということがずっと議論されてきていた(そもそも、それくらいのこと決めてからプロジェクトを始めろよ、というごもっともな指摘は置いといて(笑))。
わたし自身も、どちらにも相当な違和感を感じながら、さりとて、何が代わり得る答えなのかが見つけられずにいた。
その答え(2019年7月時点でわたしの知る限りベストな答え)が、もたらされたのは、ジャパン・ハウス・サンパウロが、プロジェクト全体の第1号館としてオープンする日が3ヶ月後に迫っていた2017年2月のサンパウロでだった。
ジャパン・ハウスは、プロジェクト全体のCriative Directorを日本デザインセンターの原研哉さんに務めていただきつつ、設置されるロンドン、ロサンゼルス、サンパウロ3都市でのそれぞれの具体的なプログラムは、それぞれの現地事務局が主導するところに特徴があり、サンパウロでその役割を果たしていたのは、ジャパン・ハウス・サンパウロのArt Directorを務めていたマルセロ・ダンテスだった。オープンが間近に迫り、様々な調整に追われながらも、開館とその後のプログラムについて、サンパウロのレストランでディナーをともにしながら彼と議論をしていた時に、表題の話題になり、マルセロが、「そんな馬鹿馬鹿しいことを議論しているのか」という顔で言った言葉を、わたしは今でも鮮明に覚えている。
「ブラジル人が考える『ブラジル人が知る必要のある日本』を見せるんだよ。」
なんというか、迷蒙が啓けるとは、こういう瞬間の感覚を言うんだろうなと感じた。
「日本が見せたい日本を見せる」というのは、マスターベーション。それは、マルセロが指摘したような内容と偶然合致することもあるかもしれないが、行為の性格はあくまでも自己満足。「外国が見たい日本を見せる」というのは、プロスティテューション。相手が既に知っていて欲しいと望んでいるものを与えるだけで、そこには新しさはなにもない。
「ブラジル人が考える『ブラジル人が知る必要のある日本』」。その第一弾、すなわち、ジャパン・ハウスというプロジェクト全体のオープニングを飾る企画としてマルセロが考えたのが、「竹」展だった。実は、ブラジルには、世界最大級の竹林(たけばやし)がある。が、竹は、ブラジル人にとってはただの雑草。なににも使われない。これに対して、日本での竹の用途は、食用から建材でもあり民具にもなり服にもなる。さらに、フィラメントとして光にもなり、アートにもなる。これをブラジルに紹介しない手はない。実に鋭い着眼だった。
マルセロは、このアイデアと具体的なプログラム案を、プロジェクト全体のCreative Directorである原研哉さんにぶつけた。原さんは、このプログラム案を、それこそ「フルボッコ」にした。言葉と口調こそ、原さんは慎重に選びながらコメントしていたが、それこそ、隅から隅までダメ出しが行われたばかりか、「竹」展というアイデア自体が疑問視された。
マルセロが真に偉大だったのは、ここからで、彼は、「竹」展というアイデアを譲るような姿勢は微塵も見せない一方で、その具体的な内容については、原さんのアドバイスをほぼ全面的に受け入れ続けた。原さんも、「竹」展に賭けるマルセロの情熱に押されるように、原さんの教え子で竹の専門家である橋口博幸さんをマルセロに紹介するなど、マルセロのアイデアを精緻に磨き上げることに全面的に協力するようになった。
こうして、2017年5月、ジャパン・ハウス・サンパウロが3館の先頭を切ってオープンし、「竹」展は、2か月間の会期で約20万人を動員。プロジェクトは予想を遥かに上回るロケット・スタートを切った。
わたしは、別にジャパン・ハウスのやっていることだけが正解だと言うつもりはない。日本の紹介のあり方も様々なやり方があっていいと思う。ただ、わたしが、実際に目のあたりにした、原研哉とマルセロ・ダンテスという日本とブラジルを代表する二つの才能が真剣な議論を重ね「竹」展を作り上げていくプロセスは、プロセスそのものが感動的にまで美しかったし、「ブラジル人が考える『ブラジル人が知る必要のある日本』」をブラジル人と日本人が「ガチで」取っ組み合いながら真摯な火花を散らして創り上げていく、という、とてもエキサイティングでとてもイノベイティブな取り組みだった。わたしは、今でも、このプロセスこそが、間違いなくジャパン・ハウスというプロジェクトの精髄たるべきと確信している。