
映画「ピアノ・レッスン」~でもこの差別感が気になりすぎる。
久々にAmazonで映画を観ようと思ったんですが、一体どれを観ていいやら。かなり迷った挙句に、最終的にちょっと昔の映画「ピアノ・レッスン」を見ることにしました。
以前に見た「燃ゆる女の肖像」がなかなか良かったので、ぱっと見がその映画とちょっと似てたことから、これを観る気になりました。19世紀のビクトリア時代の話です。
そして、その時代の女性が、写真見合いでイギリスから遠くニュージーランドに嫁に行く話です。
マイナー映画っぽい感じがするんですけど、オスカーを何個かもらっています。もちろんこの映画の存在自体は昔から知ってましたけど、いまだかつて見ようと思ったことがありませんでした。
実際見ると、なかなか面白いストーリーで、退屈するところはほとんどなかったです。意外でした。さすがわ「アカデミー賞」。
ただ。
1990年代の映画のせいなのか、ところどころのマオリ族の描き方が非常に差別的です。90年代なら気にならなかったかもしれませんが、そういえばと。
ちょうどその当時にオーストラリア旅行に行った時のことを思い出しました。
まだ、ウルルの登山が普通にできた時代です。私もウルルに登りました。頂上はものすごく景色が良くって、周りは見渡す限り「曠野」でした。
でもその時のオーストラリア人のガイドさんが、ものすごくマオリ族に対して差別的で。
普通の若い女性の白人のオーストラリア人でした。一見してとても常識的でまじめな人みたいでしたけど。マオリ族のことに関しては、もはや一緒に行った母親と顔を見合わせたくらい差別的なことを平気で言うのです。
まあ、そんな時代に作られた映画だよな~。って感じです。
遠く僻地に入植してくるしかなかった男たちと、そこに嫁に来るしかなかった女のお話……。とかいうんですけど、現地の人にとっては迷惑でしかない話ですよね。しらんがな。っていう(笑)
勝手にやってきて、まるで我が物顔に現地の人を奴隷のように使うのも、教養がないとバカにするのもなんだか観てて腹立たしいです。
そんな訳なので、お話自体は面白いけど、ポリコレ的には納得できない。
文芸作品とポリコレとは別とはいっても、話が進むにつれ、だんだんと看過できなくなって。それが時代の流れってやつなのかなあ…とか思いました。
そういえば、先だっての「アサシンクリード・シャドウズ」ですが、普通にYouTubeのトップCMに出てました。観てみると。
なんと、字幕が中国語になっていました。
そして案の定、またしても炎上しています。ううん。
私的には、これは完全に「わざと」だと思いました。ヨーロッパに長期滞在して、アホの子供やアホの大人に「チン・チャン・チョン」とかやられたことのない日本人はいないと思います。
日本語と中国語の区別もつかないのか?
そんな訳ないでしょ。ある程度の高等教育を受けていて、日本に関する仕事をしてる「外国人」が、区別できないわけがないやん(笑)
あんまり、日本人が苦情を申し立ててきて腹が立つから「チン・チャン・チョン」って言って来てるんですよ。
ヨーロッパで苦情を申し立てたときに、うんざりした顔で「あっちいけ」とかやられたことのない長期滞在日本人も少ないのと違うかなあ?
とか、いろんなことを思い出して。
いや。アサクリの色んなやらかしのなかでこれが一番不快でした。
そして、そういうもろもろを思い出させる「ピアノ・レッスン」もなんだか不快な映画の一つになってしまいました。