DM0.X relayed
※ 投げ銭歓迎。とはいえ本稿は無料で閲覧できます。
※ 20210320ver.
[SB mix]
(4) The relayed《X》
この叙説はどうやらあまりにも長いらしいので、一度に全部読まれるかどうか (DM0.X101:AT.VI,1.01)、それはさておき、誰からともなく出くわすことになる考察は様々な(DM0.X202:AT.VI,1.03)のだが、そのように多様に考察する方法として原理的になっているのが諸々の規則だ(DM0.X302:AT.VI,1.04-05)。
それらの原理的な規則のうちの幾つかは、いずれも道徳やら気概やら生き甲斐やらに関するものである(DM0.X402:AT.VI,1.06)。
さて、根拠や理由(DM0.X502:AT.VI,1.07)として存在している、というのが、デカルトの形而上学の基礎や土台なのであって(DM0.X504:AT.VI,1.08-09)、順序づけられたり秩序づけられたりした問いは、たとえ物理学にならずとも物理的になるはずなのだが(DM0.X602:AT.VI,1.09-10)、心の動きとは別の困難が属しているのは、よりにもよって医学(DM0.X605:AT.VI,1.12)なのである。
デカルトの信じるかぎりでデカルトに要求なり要請なりされているところの事物なり物事なりがどうであれ(DM0.X702:AT.VI,1.14-15)、この叙説を六つの部分に区分けするくらいなら誰でもできそう(DM0.X102:AT.VI,1.02)だ。とはいえ、第一部でも(DM0.X201:AT.VI,1.02-03)、第二部でも(DM0.X301:AT.VI,1.04)、第三部でも(DM0.X401:AT.VI,1.05)、第四部でも(DM0.X501:AT.VI,1.07)、第五部でも(DM0.X601:AT.VI,1.09)、最後の部でも(DM0.X701:AT.VI,1.14)、自然たることについて探究していくうちに、もっと先に行くべく(DM0.X703:AT.VI,1.15-1.16)デカルトは、以前からずっと要求なり要請なりされてきたんじゃなかったっけ(DM0.X704:AT.VI,1.16)...。
そういえば、諸々の学問に触れつつ(DM0.X203:AT.VI,1.03-04)、その著者なるデカルトが探し求めてきたところの(DM0.X303:AT.VI,1.05)、この方法から、道徳や気概や生き甲斐を抽き当てたのも、デカルトだ(DM0.X403:AT.VI,1.06)。
神が実在することも、そして、人間としての魂が実在することも、根拠や理由をとおして証明しているのは、デカルトである(DM0.X503:AT.VI,1.07-08)。
物理学だか物理的なことだかについての問いを探し求めてきたのも、デカルトだ(DM0.X603:AT.VI,1.10)。
特にデカルトが説明しているのは、心の動きについて、そして、何か別の困難について(DM0.X604:AT.VI,1.10-11)であって、やはり相違なり差異なり(DM0.X606:AT.VI,1.12-13)が我々の魂と獣の魂との間に在る(DM0.X607:AT.VI,1.13-14)かぎり、もっと先へ行って探究するのが自然であろう(DM0.X703:AT.VI,1.15-1.16)。
それにしても、そこまでしてデカルトに書かせてきたのは、いったいどんな根拠や理由なのか(DM0.X705:AT.VI,1.16)。
produced by K.masamix "KIXAN" as the SHYNAMITES.
(ダーシャイノマイ/謝意乃舞 謹製)
[引用・参考文献]
DM.:Discours de la Methode.(AT.VI)(『方法叙説』)
AT.:OEVRES DE DESCARTES, publiées par Charles ADAM & Paul TANNERY,
nouvelle édition, J.VRIN, Paris, 1996.
[F mix]
(4) The relayed 《X》
この叙説はどうやらあまりにも長いらしいので、一度に全部読まれるかどうか、それはさておき、誰からともなく出くわすことになる考察は様々なのだが、そのように多様に考察する方法として原理的になっているのが諸々の規則だ。
それらの原理的な規則のうちの幾つかは、いずれも道徳やら気概やら生き甲斐やらに関するものである。
さて、根拠や理由として存在している、というのが、デカルトの形而上学の基礎や土台なのであって、順序づけられたり秩序づけられたりした問いは、たとえ物理学にならずとも物理的になるはずなのだが、心の動きとは別の困難が属しているのは、よりにもよって医学なのである。
デカルトの信じるかぎりでデカルトに要求なり要請なりされているところの事物なり物事なりがどうであれ、この叙説を六つの部分に区分けするくらいなら誰でもできそうだ。とはいえ、第一部でも、第二部でも、第三部でも、第四部でも、第五部でも、最後の部でも、自然たることについて探究していくうちに、もっと先に行くべくデカルトは、以前からずっと要求なり要請なりされてきたんじゃなかったっけ...。
そういえば、諸々の学問に触れつつ、その著者なるデカルトが探し求めてきたところの、この方法から、道徳や気概や生き甲斐を抽き当てたのも、デカルトだ。
神が実在することも、そして、人間としての魂が実在することも、根拠や理由をとおして証明しているのは、デカルトである。
物理学だか物理的なことだかについての問いを探し求めてきたのも、デカルトだ。
特にデカルトが説明しているのは、心の動きについて、そして、何か別の困難についてであって、やはり相違なり差異なりが我々の魂と獣の魂との間に在るかぎり、もっと先へ行って探究するのが自然であろう。
それにしても、そこまでしてデカルトに書かせてきたのは、いったいどんな根拠や理由なのか。
produced by K.masamix "KIXAN" as the SHYNAMITES.
(ダーシャイノマイ/謝意乃舞 謹製)
※ 本稿は以上です。閲覧ありがとうございます。
ここから先は
¥ 300
Amazonギフトカード5,000円分が当たる
当方はク◯エイターです🤗 さて◯の中に入るのは何でせう? 「リ」だと思ったらサポート宜しくです(少額支援歓迎)☺️ 「ソ」だと思ったら即、退場せよ🥺 ※1: 記事のシェア歓迎。 ※2: 只今100円玉と壱萬圓札が不足しております🙏