ニューヘブリデス諸島へあこがれと旅立ち
原始美術への遭遇の旅
80歳を超えてもなお野蚕絹に魅了され続ける、今泉雅勝さん。今泉さんは、幼少期から美に興味を持ち、独自の美意識を持っていました。そして、昭和46年に訪れたニューヘブリデス諸島で出会ったスモールナンバース族が彫るメモリアルポールに、美の真髄を見出しました。
ここからは原始美術に出会った遭遇の旅記録になります。
ニューヘブリデス諸島へあこがれと旅立ち
地図に見えるように、エスピリツサント島からアネチウム島に至る南北およそ800キロメートル。80あまりの島々が連なる人口78,000人くらい(各島々の山野に済、首狩りの習慣を残していると言われているサカウ族やビックナンバース族、スモールナンバース族などについては確たる人口把握がなされていない)の英仏共同統治の諸島である。
役所や警察署はそれぞれ別々で、入国手続きも自分の好きな方で行います。さらに、共同政府であるコンドミニウムも存在します。また、セファネッチというヤシ園の資本が諸島内の経済の殆どを掌握しており、政府の活動と見まごうばかりの活躍ぶりを見せています。
アティンティン像
アティンティン像はオセアニア全域の民芸品の中でも最高傑作の1つであろう。というのも、オセアニアのどの地域にも木をくり抜いて作った太鼓があるが、何の彫刻もされていない。ニューヘブリデス諸島のアンブリウム島では、声を出し、意志を伝達する道具だとされ、一人の人間とみなされ、部落の広場に集めて大地にしっかりと立てられる。製作の動機は、彼らの最も重要な財産である豚を食べたこと(個人で他人というよりは人々にふるまう)に対する記念物として作られるが、あくまで豚を食べた人の個人所有である。そして所有者を表す太鼓のリズムが披露され、意志の伝達のための道具として部落の有機的な一員となる。だから、他人が故なくして打ち鳴らしてはいけない。時には、いくつかの大きさの異なる太鼓を内なる事によって踊りや歌のリズミカルな伴奏にも使われる。今日も公害も何もない、真空管のような静かな何回もの青空に響き渡っていることでしょう。
ニューヘブリデス諸島諸島へ至る道
諸島を訪れるには三つ半のルートがある。
一つは飛行機で香港からニューギニアのポートモレスビーを経てソロモン諸島のガダルカナルを通りエスピリツサント島に至るか、ポートモレスビーを経てシドニーからニューカレドニアを通り、この島の行政の中心地エファテ島のビラに至るか、あるいはフィジーからニューカレドニアを経てビラに至るかである。
後の半というのは日本の貨物船がコブラ積み込みのためエスピリツサント島のパリクラという所に日英共同設立の漁業基地があり、日本の漁船が多く出入りしている。
これらの船はいずれも普通客を乗せないがさんこうのためのもの。アンブリウム島へはエスピリツサント島からセスナ機が飛ぶ他にコブラ採集船、現住民の船が時としてキャッチできる。部落へ入るためには現住民の船に命を預けて乗るのが一番よいよいである。
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