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放浪記録(Boston⑤)自分で自分の評価を決めない

自分の思う自分自身と、周囲から見た自分は全然違うという事はよくある。
自身のキャラクターや長所短所など人間的なこともそうだし、自分では得意と思っていないことでも周囲からは良い評価をいただいたり、またその逆もあったり。
何かに取り組んむ時、自分の出来栄えは極力考えないようにしてる。
自分の出来栄えに関して、良い事であれ悪い事であれ周囲が好きなようにあーだこーだ言うのは、実は凄い事だと思ってる。
何の興味も魅力もないものに関しては誰も何も言わないどころか、気づきもしない。何の評価もない。悪い評価でも、とりあえず何かしらを受け取ったら、自分の存在が目に留まったと言う事だから、ずっとマシだと思ってる。

ボストンでのコンサート。

23歳当時、ソプラノだった私が歌ったのはオペラ「ドン・ジョヴァンニ」からツェルリーナのアリアとジョヴァンニとの二重唱。ロシア歌曲数曲だった。

私より遥かに格上の歌手の圧倒的歌唱力や舞台での振る舞いは素晴らしく
ため息が出た。

自分がどう歌ったか、舞台上でどんなだったか、全く記憶にない。
そんな余裕なかった。
とりあえずガクガク震えていた足を必死で踏ん張らせたのだけは覚えてる。

それと
歌う事による充実感と心地よい疲労感を初めて味わった

コンサートが終わり、
そのあとは下の階のフロアでパーティー

私は自分の歌が下手だったと思うから
何だかお客さんや他の歌い手に会うのも恥ずかしくて
小さくなって会場に入り
静かに隅っこの方に素早く移動した。
極力目立たないように。

見つからないうちに帰りたいな。

でも先生はみんなと話し始めてるし、もう少し待とうか…

私の姿を見つけた先生と先生の仲間たちが
手にしていたグラスをフォークでカンカンカンって鳴らし
談笑する会場中の人々の注目を促した。

先生がスピーチする
「皆さん今日は来てくれてありがとう。今日は日本から来た Little
girl がBostonでコンサートデビューしました。お祝いの乾杯をしましょう!」

会場中が暖かな笑顔と拍手で乾杯してくれました。
そして次から次へと思い思いの感想を述べに来てくださり、あたたかなハグ&キスで次回のコンサートにも呼んでほしいと連絡先の書かれた名刺をたくさんいただき、写真を撮ったり、乾杯したり、踊ったりして、パーティーが終わったのは夜中の12時を回っていた。
興奮していて疲れも眠気もなかった。
足取り軽く、本当に幸せな気持ちでアパートに帰った。
同時に全く想像していなかった私の歌に対する人々の反応に戸惑いながら。

この日を境に
教会や老人ホーム、アートギャラリーや小さなサロン、パーティー会場などで歌う機会をいただくようになりました。
これほど勉強になる活動の場をコンスタントに与えていただけたことは、それまでの自分を思うと奇跡だ。

自分では上手くできなかったなと思っても周囲の反応は良かったり、良くできたかもと思っても周囲の求めるものとは違ったりする。
自分の出来ることを精一杯やるだけでいいんだと思った。
相手の好みや感情はコントロールできないし、全ての人の思いに応え、受け入れてもらうことなんてできるわけがない。
自分の発するものを好んでくれる人もいればそうでない人もいて、それで当然。
だから、受け入れてもらえる場所があるなら、そこでやってみようと思って継続する事にしました。

やはり多様性の国。
多民族、多文化、多宗教。
好みも様々。
そこで、たまたま私の声と歌を好んでくれる人々に出逢えてという事。
運が良い
本当にラッキーだった。

楽しい怒涛の学びのBostonでの日々も2年目が終わろうとしていた頃
私はまた成長するために
新たな決断をしました。


放浪記録
次回に続きます
呼んでくださってありがとうございました😊

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