放浪記録(Boston③)環境を変える時は思い切って。
よく言われてる事だけど、今の生活に疑問や違和感を感じているなら、環境を変えると良いと言うのは本当だと思う。
Bostonに行った当時の私は、そんなことも特に考えてはいなかったけど、事実、全ての事が予想もできない形で動き出した。
レッスンは、初めての事だらけで、もともと劣等生の私には難しくて、毎度必死に汗だくになりながら何とかついていくだけであっという間に時間が過ぎてしまう。
ちゃんと習得できてるのかを確認する間も無く、毎日が目まぐるしく過ぎていく。
焦る暇もない、悩む暇もない。
そもそも、日本の音大に入れたのも奇跡のようなものだった。
受験当時の私が歌えるレパートリーは、音大入試の課題曲と自由曲のみ。
それまで歌った事なかったのに、高校2年の夏、音大の声楽科に行きたいと思い立ち、先生を探し、慌ててピアノ、楽典、ソルフェージュのそれぞれ、調音に新曲視唱、コンコーネにコーリューブンゲン、そして歌の勉強を同時に始めたものだから、歌のレパートリーも試験曲しか取り組む余裕がなかった。
ボストンで始まった予定外のレッスン
私は歌が下手なのに、こんなに必死に歌う技術を上達させるために、あらゆる方法を教えてくれる先生。プロ目指してないのに。
先生に、それとなく、もぅいいんだけど、そんなに真剣にやらなくても…と伝えたら
「あなたの歌、良いよ?声なんて最高だよ?歌う技術は習得すればいい。その声もったいないよ?誰が歌えないって決めたの?音痴じゃないよ?安定した発声法が身に付いてないから音程ずれちゃうだけじゃないか。」
意外すぎる。
今まで褒められたことない。
もともとBostonには語学留学だけのつもりで来た。
期間はたった3ヶ月の予定。
語学学校もしっかり楽しみ、朝から晩まで英語を勉強し、歌のレッスンを受け、自主練習。もちろん多国籍の友人もたくさんでき、ランチやディナー、パーティー、映画、アメリカ国内はもとよりカナダなどに旅行に行ったり、毎日が「楽しい」以外の言葉が見当たらないほど充実していた。
日本にいた頃、子供の頃からずっと頭の上に灰色の雲がかかっているような、どんよりとした気持ちで過ごしてきて
とにかく気持ちが自由ではなくて、人の目を気にして、いわゆる暗黙の了解の常識とされるものからはみ出さないように、
ガチガチに力が入って生きてきた。
でもそれを、まぁそんなもんだろみんな…くらいに思っていて、特にどうにかしたいとも思っていなかった。
一気に環境が変わって、アメリカの土地での生活環境は、
それら日本で感じていた全てのものがいつの間にか消えてなくなり、
いっさい余計なチカラを入れることなく、心も体もリラックスして
自分に集中した生き方が自然とできるようになっていた。
どういう環境に身を置くか、と言うことと同じくらい、
どういう人間と関わるかもとても重要だということも身をもって感じた経験の一つ。
私自身はこれまで良い影響を与えてくれる、私自身を成長させてくれるような良い人々との出会に恵まれている。
意地悪な人にもたくさん出会うけど、いつもそれをかき消すほどの良い人々に出会う。
共に時間を過ごす人の影響はとても大きい。
「朱に交われば赤くなる」と言うこと。
さらに「類は友を呼ぶ」…自分の在り方にも気をつけないといけない…
今までの時間を良いものとすることができたのは、大袈裟ではなく本当に、出会えた彼らのおかげです。
感謝してもしきれない。
多種多様の文化的、歴史的、宗教的背景を持つ人々と一緒に過ごすことが自然で当たり前の環境に身を置くことで、私の生き方は自然と変化した。
環境を変える。
それだけで必ず学びがあり成長する。
全てが未知の環境に一気に飛び込めば、学ぶことしかない。
また、それまでの自分自身に対する周囲の見方、評価も様々になる。
私の歌は全然ダメだったはずなのに、ここではそれを良いと思ってくれる人がいる。
可能性があると思ってくれる人がいる。
上手い下手の問題ではなく、ものの見方、考え方の違いだと思う。
その国、その文化の中で生きる人々の良いと思うものの趣味の問題もあるかもしれない。
もしも自分の考えや実力や、他の何かを、今いる環境で受け入れてもらえない、評価してもらえないと思う人がいるなら、地球上のどこかにはあるかもな…と思って
色々な場所を試してみるのもいいのではと思う。
生きる場所はいくらでもある。
幸せな学びの日々の3ヶ月はあっという間に過ぎた。
先生は、またここにおいでと言ってくれた。
歌は、自分で言うのもなんだけど、
良くなっていた。
ホストマザーは
「あなたの歌好き。良い声。続けてね。また歌聞かせて」
と言ってくれた。
嘘みたいだと思った。
学校のみんなとも、ホストファミリーとも、先生ともお別れが切なくて
最後のパーティーはぼろっぼろに泣いて、
たくさんのお手紙とプレゼントと山のような経験と思い出を大切にしまって
日本行きの飛行機に乗った。
ぼーっと飛行機の窓から小さくなるボストンの街を見つめながら、
雲の上から夕日と夜空と朝日を眺めながら決めた。
またすぐボストンに戻る。
…放浪記録
次回へ続く。
読んでくださってありがとうございました😊
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