放浪記録(ボストン⑥)ボストンからヨーロッパに引っ越す。
勉強すればするほど、次から次えと課題が見えてくる。
自分が何も知らない事に日々気付かされるし、技術の乏しさにも嫌と言うほど気付かされる。
初めはコンサートで歌う事がただただ楽しかったけど、徐々に自分の力不足を痛感し始める。追いついていかない。
焦りと不安とストレスがモヤモヤと増えていった。
Bostonでの生活は快適だった。
気候風土も好きだし、街並み、人々、文化芸術に触れる機会も日常に当たり前にある。
勉強もコンサートも楽しい。
学校の友達、ご近所さんたち、音楽仲間も増えていき、コンサートに」いつも来てくれる人たちとは、いつの頃からか普段からたくさんの交流をさせていただくようになっていた。
ずっとここにいたいな。
本当に思っていたし、実際この地に残れる方法を探していた。
同時に、また違う環境で勉強したいという思いも強かった。
美しい発声で美しい響きで美しい歌を歌えるようになりたいと思ったし、
そのためにはもう一歩踏み込んだ勉強が必要だとわかっていた。
ヨーロッパに行こう。
そう決めた。
先生を初め、コンサートをサポートしてくれていた多くの人たちにも感謝の気持ちと、これからの目標や計画を伝えたら、寂しいなと言いながらも、とても暖かく応援してくれた。
Bostonを去る前に最後、先生がレストランを貸し切って、親しい人々との夕食会とコンサートを企画してくれた。
とてもカジュアルで気取らない形で。
みんなで歌ったり、乾杯したり食事したり写真撮ったり泣いたり笑ったりの、幸せで温もりのある楽しい時間。最後にいっぱい、本当にいっぱい歌った。
ありがとうの気持ちいっぱいに。
本当に信じられないくらい愛情深いあたたかな人々に支えられていたんだ。
アパートも引き払って
最後、先生にホテルまで送ってもらった時は
もう信じられないくらい泣きじゃくった。
寂しいのと不安なのとこれでよかったのか分からない気持ちと、ありがとうと大好きが入り乱れて、ぐちゃぐちゃだった。
夜は眠れなかったけど、
ベットの中で、窓から見えるBostonの夜景をぼーっと眺めながら
「ぜったい大丈夫。私はできる。私は強いから。ぜったい大丈夫。」
よくわからないけど、ずっとそうやって独り言つぶやいてた。
翌日
早朝、3月のBostonのひんやりする気持ちい朝の風の中
いつも通ったボストンコモンの公園を散歩
「ありがと。また来るね」
お昼の便で、ミネアポリス経由で日本へ帰国した。
成田空港。
母国。
ある意味ホッとする。
でも
私はここには長居しないよ。
家路に着くバスの中では
疲れ果てとても深く眠った。
次回へ続きます
放浪記録
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