放浪記録(Boston①):Bostonに飛んじゃった。
しみったれた音大生だった私。
声楽科だったのですが、とにかくヘッタクソ。
オペラのアリアとかイタリア歌曲にフランス歌曲、ドイツ歌曲も歌うのだが…
とにかくへろへろのか細い声で音痴で、ピアノ伴奏に合わせると自分のメロディー分かんなくなっちゃって歌止まっちゃうという…
語学の発音も発声法もちんぷんかんぷん。全然できない。
もちろん成績も中の下。
ちょっともう救いようのない…
ヘタレ音大生の完成形かと思うほどの学生でした…最悪…
もう本当に…最後まで見捨てずに面倒見てくださった先生方には感謝と申し訳なさでいっぱいです。
で、音大卒業する頃には、流石に身の程を知るのです。
だから晴れ晴れとした気持ちで音楽やめました。
楽譜も処分。
「やめた。もう歌の練習も勉強も終わり。これからは別の事しよう。音楽学にも興味があるな。資格も何もないからとりあえず語学留学して、就活するにしても、音楽学を学ぶにしても、とりあえず英語習得しよう。」
という呑気な発想で、即、本屋に行き留学雑誌購入。
何もわからないから雑誌の1ページ目に特集されてた語学学校に決め、留学斡旋会社に連絡し、手続きして、卒業式終わった数日後にボストンへ飛びました。
必要最低限の荷物をスーツケースに詰めて。
ボストン到着。
ステイ先のご家族も最高に素敵な人たち。
もう音楽の劣等感からも解放されて、気持ちよくて、全てがワクワクして楽しくて仕方なかった。
学校も先生もクラスメイトもボストンという街も最高で
頭の上にかかっていた雲がパァ〜っと晴れた感じだった。
そしたら…
ホームステイ先のホストマザーの姪っ子さんが
オペラ歌手だった。
さらにステイ先のお隣さんがヴァイオリンニスト。
でた、クラシック音楽。
いや、良いの。聞くのは好きだからと
この時は呑気に構えていたのです。
でもここから急展開の始まりになるのです。
ホストマザーの姪っ子さんのモスクワ音楽院での同級生のオペラ歌手が
当時ボストンオペラで歌っていて、その公演がオペラハウスであるから行ってきたら?
というホストマザーの言葉に
「そうよね、せっかくボストンにいるんだし、オペラハウス行ってみたいし、オペラ聞いてこよう!」ってなって、ホストマザーが車出してくれてオペラハウスまで行き、ひとりでチケット買ってオペラを見ることに。
「オペラ公演が終わったら、彼に(そのオペラ歌手)に電話して、帰りは彼に車で送ってきてもらいなさい。彼にはもう私から連絡しておいたから。じゃ、オペラ楽しんできてね♡」ってママ…
え、私、英語まともに話せないのに電話って…まぁ…頑張る。
演目はチャイコフスキー作曲のエフゲニー・オネーギン
オペラハウスの美しさにも、演出、歌手の皆様のその素晴らしい歌声も、美しいバレエにも感動で胸がいっぱいでした。ぼーっと静かに涙が出るほど素晴らしかった。
オペラってこんなに素晴らしいんだと、呆然としたのを覚えています。
そして、終演後、電話しました。
つたない片言のなかなか怪しい英語で。そしてら
「あぁ!君!話は聞いてるよ!楽屋口まで来て待っててくれる?すぐ行くから」
って。
真夜中。異国。ひとり。
心細い気持ちで楽屋口で待ってると、
なんだか大きな人が優しい笑顔でこちらに向かってきました。
「この人だ。。。」
……続きはまた今度
放浪記録
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