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友達の子どもは、友達。

前回のnoteの中で、口からついて出た言葉があります。

「友達の友達は、友達」とよく言いますが、私としては「友達の子どもは、友達」です。

友達みんな、すくすく育っています。
すくすく育ちすぎて、遊んでくれなくなってます。

まめよしnote「『友達』って、呼んでいいのかしら問題。」より

それを今反芻して、「なるほどこれはいい言葉かもしれない」と思っています。

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この土日、私は親友に会いに遠出しました。

親友には3人子どもがいて、みんな未就学児です。
そう、まだ私と遊んでくれる年代です。

土曜日の夕方、お宅にお邪魔しましたが、その前から子どもたちが「まめよしはまだ来ないの?」と待ちわびてくれてたようで。

控えめに言って、めっちゃ嬉しいんですよ!!

到着した時には、少し警戒されましたが、打ち解けてからは、いろんな遊びをしました。

しまじろうのおもちゃで遊ぶとか、小学館の図鑑に付属するDVDを一緒に観るとか、金魚にエサをあげるとか。

あとは、オムツ替えたり、お着替えの手伝いをしたり、ごはんのサポートしたり。

何を言ってるかわからないけど、一生懸命に話してくれたり。

アラフォー夫婦2人で暮らしていたら、分からないことや知らないこと、やらないことだらけです。

普段やらないことを一緒にやって、めちゃくちゃ楽しかったんです。

自分の世界を広げるって、どうしても国外に出るとか壮大なものをイメージしがちだけど、もっと近くでもできるもんですね。


最初の話に戻ります。

「友達の子どもは、友達」

友達とは、自分の世界を広げてくれたり、深めてくれたりして、楽しくいられる存在でもあります。

そういう意味で言えば、この週末を一緒に過ごした私たちは、紛れもなく友達だと言えるでしょう。

よく、「年代の違う友達がいるのは、刺激があってとてもいい」と聞きます。
これは、かなり大人歴が長い人たちの世界のことだとばかり思ってました。

でも、親子くらいの大人と子どもというフェーズであっても、「年代の違う友達」といことが言えるんだとわかりました。


帰り際に、急に寂しそうな顔をしていた子どもたちは、きっと次に会う時には、私にまた全然違う世界を見せてくれるでしょう。

でも、だからと言って、大人の私が教えられることはないだろうか?なんてことは考えてはいません。

だって、友達に対してそんなこと、思わないですから。

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