パパとパパの子ども
今日は父の日。
私の父…いや、私の「パパ」は世界で1番だ。
私が年齢を重ねるごとに、周りの人はみんなパパからお父さん呼びに変えようとしていた。そんな中で私は絶対に「パパ」呼びを変えたくなかった。お父さん呼びに変えるとなんだか距離が空いてしまう感じがしていたのだ。
そしてもう一つの理由が、父と娘ではなく「パパとパパの子ども」の関係を続けたかったからだ。これはおそらく感覚的な物だろう。言葉で説明することは出来ないが、小学生頃の私はなんとなくそう思っていたのだろう。もしかするとこれは妹や弟が生まれて可愛がられていることに嫉妬していたのかもしれない。そんなことを考えながらも私はやはりまぎれもなく今も「パパとパパの子ども」なのだ。
パパは幼い頃からたくさん遊んでくれて、たくさん甘やかしてくれた。仕事がお休みの土日は公園に連れて行ってくれ、夏は毎週と言っていいほど市民プールへ一緒に行った。少しやり残したお仕事があった時には会社のオフィスに連れて行ってくれ、そこのホワイトボードでお絵描き大会をした。何かを頑張った時には全力で褒めてくれてご褒美をくれる。私はそんなパパが大好きだったし自慢だった。
そんな私にも反抗期はくる。パパは全力で褒めてくれるのと同時に、からかってもくるのだ。小学生後半くらいからこのことに気付き、なんだかけなされている気がしてすごく腹が立っていた時期があった。私は滅多に人に対して「死ね」や怒りの感情が湧かない。コントロール出来ない反抗期の時には部屋を出て行ったパパの後ろ姿に小声で罵声を浴びせた。最大のストレス発散方法はパパの枕を思い切り投げたり踏み潰したりすることだった。
それでもパパとは普通に会話していたし、無視しようなどとは1ミリも思わなかった。今思い返すと、これはパパの愛情が日々感じれていたからなのではないかと思う。
パパは照れ屋であるが、時々すごくストレートに素敵なことを言うのだ。
「パパはママと子ども達が喜んでるのが嬉しいんだよ」
「やっぱりママが1番かわいいね」
「何も気にしなくていいからやりたいことをやりなさい」
「赤ちゃんは泣くのが仕事、子どもは遊ぶのが仕事、大きくなったら勉強するのが仕事、大人が仕事する」
「家族の笑顔が1番大切なんだよ」
どれもパパからの言葉だ。幼い時に言われたものもあるが今でも覚えている。どれも頭にではなく心に刻まれているからきっと覚えているのだ。
思い出しながら書いているとこちらが照れてしまう。言葉での愛情表現を時々してくれていたことが、「パパとパパの子ども」関係を守り続けてくれていたのではないだろうか。そしてこの関係はこれからも続いていく。パパがなんと言っても、喋れなくなってしまったとしても今度は私がこの関係を守っていく。
私はパパの子どもになれて幸せだ。
そしてパパは世界一のパパだ。
私はパパが大好きだ。これまでもこれからも永遠に。
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