-aboutTime-

今までの人生ってひとつひとつの時間が愛おしいなと感じ、覚えていることを忘れないうちに残…

-aboutTime-

今までの人生ってひとつひとつの時間が愛おしいなと感じ、覚えていることを忘れないうちに残しておこうという思いつきなアカウントです🌷 愛おしさに気付くきっかけになった作品 『アバウトタイム』『ストーリーオブマイライフ(若草物語)』『僕の妻と結婚してください』

最近の記事

パパとパパの子ども

今日は父の日。 私の父…いや、私の「パパ」は世界で1番だ。 私が年齢を重ねるごとに、周りの人はみんなパパからお父さん呼びに変えようとしていた。そんな中で私は絶対に「パパ」呼びを変えたくなかった。お父さん呼びに変えるとなんだか距離が空いてしまう感じがしていたのだ。 そしてもう一つの理由が、父と娘ではなく「パパとパパの子ども」の関係を続けたかったからだ。これはおそらく感覚的な物だろう。言葉で説明することは出来ないが、小学生頃の私はなんとなくそう思っていたのだろう。もしかすると

    • 人生を導く光

      私は両親が大好きだ。 コロナ療養が終わり、久しぶりに実家でごはんを食べた。 実家の安心感は計り知れない。幼い頃から過ごしてきた環境というのはこれほどまでに心を暖めてくれるのか。 私はここのところずっと悩んでいた。今の仕事が体力的に続けられる自信がなく、副業から本業に繋げられる何かをやりたいのだ。それにあたって大金を払ってスクールに通うか否かに心が揺れていた。そのスクールに入れば今後の仕事は補償されると伝えられたが本当なのかわからない。怖い気持ちはあるが、勇気を持って挑戦し

      • 3歳の初恋

        私の初恋は幼稚園の頃だった。 年少さんから3年間同じ組だったDくんだ。そんなにたくさん遊んだわけではない。背の順で並んだ時に隣がDくんで手を繋いでいたからかもしれない。かわいい。 小さい頃はオーロラ姫が大好きだったからか、夢で私がドラゴンに捕まっているところをDくんが王子様として助けにきてくれた夢もみた。かわいい。 バレンタインにチョコをパパ以外に初めて渡したのもDくんで幼稚園の頃は唯一の男の子だ。何をあげたかは覚えていないが、ホワイトデーにお返しでもらったディズニーの

        • 嫌いな言葉「体験」

          私は小さい頃「体験」という言葉が嫌いだった。 理由は明らかである。 「体験教室あるって!行ってみようか!」 ママのこの言葉のせいである。私は人見知りで新しい人とお話しするのが苦手だった。3月生まれ故か周りの人よりもうまく出来ないことに少しばかり劣等感を感じていたのかもしれない。そしてきわめつけは見学にきたパパが家に帰ってからからかうことだ。 私にとっては何よりも「体験」が苦手だったのだ。 今まで色々ことをしてきた。ヴァイオリン、テニス、ボーリング、歌、お菓子作り、手芸

        パパとパパの子ども

          大きな古時計

          私は年中さんになった時、ピアノに憧れた。 理由は周りの女の子達が習い始めたからだ。 ただそれだけの理由で通わせてくれた親には本当に感謝している。 ここで音楽に触れたおかげで私の感受性は強くなり、音楽が大好きになった。 ピアノ教室に通うにあたって、一つ記憶が残っている。それは体験会に行った時のこと。先生に「何か得意な歌はありますか」と聞かれた私は迷わず言った。 『大きな古時計』 当時ハマっていた童謡だ。私は先生の伴奏に合わせて自信満々で歌い始めた。ただ歌うだけではない。な

          大きな古時計

          遠距離恋愛

          終わった!!長かったホテル療養!! おつかれさま自分!! るんるんで帰宅するとそこに「おかえり」と言ってくれる彼氏はもういない。 コロナにかかったタイミングと2ヶ月ほどの出張が重なったのだ。お家は大好きだが久しぶりの1人はとても寂しい。直接お見送りを出来なかったことも悔しくて涙が出る。とはいえ、仕事も再開するしやっていかなくてはいけない。 さぁ、初めての遠距離恋愛の始まりだ。

          遠距離恋愛

          絵本

          本を幼い頃から読むことは大人になってからの想像力に繋がる。 私はパパとママにたくさん絵本を読んでもらっていた。『はじめてのおつかい』『おしいれの冒険』『11匹のねこ』『はらぺこあおむし』どれもお気に入りだ。 絵本は知らない世界に入り込むことが出来た。何かを頑張っている主人公には一生懸命応援の気持ちを送り、登場人物と一緒にたくさん冒険もした。 たくさんの絵本に触れたからこそ私は好奇心旺盛で空想力の高い人間に育っていったのだろう。世界の文化に興味が出たのも、夢で映画のような

          魔法の世界

          あれは幼稚園に通っていたある日のこと。私はママのある言葉でパッと目が覚めた。 「今日はディズニーランド行くよ!!」 その一言で重かった瞼が一気に軽くなった。 この日はなんとなく幼稚園に行くのが嫌だった。別に幼稚園が嫌いなわけではない。きっと行けば楽しいはずなのだが、なんとなく行くのが面倒だったのだ。学校行くの面倒だな、会社行きたくないなというような気持ちと同じなのだろう。そんな憂鬱な日が一気に魔法の1日に変わった。 あの日は人生で最初のサプライズといえるのではないだろ

          魔法の世界

          泥団子作り

          今回は私の幼稚園の覚えている記憶を思い返してみる。 私の仲良しのお友達の中に同じ誕生日の子がいた。私の周りは4月、5月生まれの子が多く3月生まれで仲良しがいるというのは心強かった。今でこそ生まれ年の差はないが、幼稚園の頃の生まれ年の差はかなり大きい。身長もかけっこも工作も全て周りの子には敵わないのだ。しかしそんなことには気付かないのが幼稚園生の私たち。そんな差があるなんてことは気付かず、全てドヤ顔でこなしていたようだ。 私は家ではかなりはしゃぐしおしゃべりな子だったが幼稚

          泥団子作り

          おてんばな赤ちゃん

          どうやら私は結構おてんばな子どもだったのかもしれない。こんなことを思ったのは小さい時のホームビデオを観た時だ。 顔に対して大きな瞳。いつもびっくりしたような表情。しっかりとした毛量の髪の毛。人は自分が赤ちゃんの時の写真を見てかわいいという感情を抱くことが多いだろう。しかい私は違う。「おもしろい」の一択だ。髪だけ残して顔をパパにすり替えたらなんの違和感もないくらい、セットしてないパパの髪の毛を持つ赤ちゃんなのだ。近所の方も男の子だと思っていたらしい。納得しかない。 目はママ譲

          おてんばな赤ちゃん

          金のねじ

          3月1日 春の始まりと共に私は生まれた。 家族の第一子として誕生した私はたくさんの人が喜んでくれただろう。ここで喜んでくれた家族や親戚のおかげで私は今の人生を歩んでいくことができている。 もちろん私は当時の記憶などは残っていない。 それでも聴いた話しを頼りに振り返りたい。 私の両親は実家が富山県にある。初めての出産ということもあり、ママはおばあちゃんのいる富山県で私を産んでくれた。 私が産まれた日、パパはお仕事の関係で新幹線だったか飛行機に乗っていた。そろそろ産まれる

          金のねじ

          私の愛おしい時間についての物語

          これは私の平凡な人生の中で、小さな幸せや記憶をただただ残す物語。 何も面白いことは起きないかもしれない。それでもこれが私の人生であり、全てがとても愛おしい時間なのだ。これからの人生もこれからの人生も幸せでありますように。 そしてこの物語を読んだ人が日常を過ごせることへの幸せや、自身の幸せな記憶を思い出すきっかけになることを祈っている。 それでは私の人生の幕開けだ。

          私の愛おしい時間についての物語