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SDGs歴史編〜 ホール・アース・カタログとアース・デー 〜 | 戦争をなくすために

1960年代から70年代にかけての社会変革の渦中、環境保全運動がその波に乗って芽生えた。この運動は、人類史上初めて地球全体の姿を目の当たりにした瞬間から、その核心に「地球感覚」を持つようになった。ソビエト連邦とアメリカの宇宙飛行士が宇宙から持ち帰った、青く輝く地球の写真は、われわれの惑星がいかに美しく、かつ脆弱であるかを示した。それは、地球を守ることの重要性を一層際立たせ、環境運動に新たな動力を与えた。

1968年の『ホール・アース・カタログ』の刊行と1969年の「地球の友」創立は、この運動がいかに急速に発展しているかを物語っている。しかし、地球全体の問題への目覚めだけではなく、アメリカ国内でも環境破壊が多発していた。カルフォルニア州サンタバーバラの石油流出事故、ロサンジェルスの光化学スモッグ、ウィスコンシン州とミネソタ州でのDDT汚染、オハイオ州クヤホガ川の炎上など、公害問題が次々と発生し、国民の間で環境への危機感が高まっていった。

こうした中で、1970年、アース・デーが誕生した。この日は、エコロジーとは何かを全国に知らせ、地球保護の意識を高めることを目的としていた。アメリカ合衆国の上院議員ゲイロード・ネルソンによって提唱され、デニス・ヘイズを中心に組織されたイベントでは、大学、学校、そして一般市民が参加し、全国で様々な活動が行われた。"地球を救え!"のスローガンの下、街の中心部は歩行者天国に変わり、ゴミ拾いや植樹などの活動が展開された。アース・デーは、平和で協力的な一日として、ベトナム戦争の暗雲が立ち込める中、人々に希望の光をもたらした。

アース・デーの成功は、環境に対するアメリカ人の考え方に大きな変化をもたらした。政府もこの変化に応え、環境保護局の創設に至った。この熱気は国際的にも波及し、1968年、4年後にストックホルムでの国連人間環境会議が開催する事が決まった。こうして環境保全運動は、一部の地域活動から、地球規模の問題へとその舞台を広げていったのである。

つづく…

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