あきらめたらそこで終わり 〜野球選手もあなたもその一歩から〜
みなさんは、「学習性無気力」という言葉や「学習性絶望感」という言葉をご存知ですか?
元は動物実験から発見されたことらしいのですが、人間は特定の苦痛や現実から“逃げられない”と経験から悟ると、あきらめの気持ちが先に立って苦痛からのがれることをあきらめてしまうことをいう心理学の言葉です。
うつ病に至る原因のひとつとも言われているようです。
例えば、身体的拘束を受け監禁されている人が、物理的な拘束を外されて犯人と外出しているのに関わらず逃げられない、逃げようとしないという事件があったりしますが、この事例は学習性無気力あるいは学習性絶望感によるものだと言えるかもしれません。
また、このような不幸な例でなくても、鬼ごっこや「どろけい(けいどろ)」遊びで捕まる瞬間にあきらめて力を抜く瞬間や、プロ野球選手が内野ゴロを打った瞬間に走るのをあきらめることなども学習性無気力の例として挙げられるかもしれませんね。
この“経験から来る無気力やあきらめ”は、私たちの日常生活や職場など、もっと身近にあることかもしれない。そう思うことがあります。
例えば、職場での意思決定において「前例踏襲」を当然の前提とすること。明らかな間違いに気づいても、前任者の時からのことなのでそのまま放置してしまうこと。現場を知らないトップの場違いな指示を無抵抗のまま受け入れてしまうこと・・・などが思いつくことです。
この学習性無気力と向き合っていくことは、とても難しいことだと思います。
人間は、経験することを通じて豊かになっていきます。
また、学習することを止めることもできません。
わたしが伝えたいのは、「必要以上に聞き分けの良い子になる必要はない」のではないか、ということ。
「悟りつつも勇気を出すこと」、「前例を疑ってみること」、「時に挑んでみること」が必要なのではないか、ということです。
例えば、「朝遅刻しそうになった時に走ってみたら、意外と乗りたい電車に乗れて間に合った」、「Word文書の力作が保存されずに消えてしまったけれど、心折れずに頑張ってみたら意外と前より良いものができた」、「見つけたコンペのプレゼン資料の締切が今日の夕方だったけれど、なんとか間に合った」というような経験が今までありませんでしたか?
これまでの経験からあきらめてしまったかもしれないけれど、「ちょっとした勇気やチャレンジが日常の景色を変えることがあるのだ」ということは心に留めておきたいと思います。
時には根性、です(笑)
あきらめなければ、きっとなんとかなります。
「一塁まで、全力で、走れ」
「野球はツーアウトから」
日米ともにワールドシリーズや日本シリーズが楽しみな今日この頃です。
それではみなさま、今日もよい一日を。