「反省しろ」というお言葉
先日、誕生日別の御神籤みたいなのをいただきまして、なかにこんな言葉が書かれてました。
「当たってる」
これをくれた人に言われました。
「当たってる」
僕も思いました。
この性格のせいで周りと距離を取るようになった気がします。
近くなればなるほど許せなくなる事が増えそうで。
それなら程よい距離感を保つほうが互いに円満な気がしていて。
それがきっと、店主とお客さんという丁度良い距離感が保てる仕事を選んでる理由なのかもしれません。
自分に厳しいとはいえ、それはほんの一部で。
厳しくした分、甘やかす所は甘やかすんですが、それが他人となると上手くいかず。
どこを律し、どこを甘やかしてるかが分からないからです。
だから僕にとって「ないな」って部分が、相手にとっては「甘え」の部分という事もあり、他の部分を厳しく律してる可能性もあるのに、そこを見ようとしない。
でも、そんな詮索は面倒だし、そこまで考えて深く付き合うかを決めるなんてナンセンスだから友達を作らず。
あれ、僕は何を書いてるんだろう。
話を戻そう。
今朝、常連さんと話してる時に「真面目」の話になって。
「仕事をしないで生きていこうという人とは合わない。」
そんな話をしました。
これには僕も同意見で、今は賢く生きるとか、こうやったら生活保護をみたいな情報が溢れているけど、そんなのには興味がなく。
それを得意気に話してこようもんなら軽蔑の眼差しを向けると思います。
そんな話をした後に思い出したんです。
冒頭の言葉を。
「他に対する情愛に欠けるところがある」
自分の考え方が正しいとはこれっぽっちも思ってないけど、だからと言って肌に合わない考え方を称賛できるほど広い心は持ち合わせていなくて。
これが僕の甘えでもあるんだけど。
それを見透かされていたのだ。
だから、常に反省しろと言われてるのか。
600時程度の短いお言葉に、反省という言葉が3度も出てくる。
僕の今年の漢字になるかもしれません。
反省。
勤勉だけど調子に乗るなよ。常に反省しろ。
情熱を制御しないと生活に破綻をきたす恐れがあるから冷静に反省しろ。
反省のない魂は守り手のない財産のように破滅する。
これらの言葉を忘れずに生活するのが大切なのかもしれません。
円満な常識家であるよう努めるべし。
こんな事も書かれていて、確かに目指すべき人物像としてはいいかもしれないな。
という事で、この紙をくれてありがとうございました。
心にぐざぐさと突き刺さりました。
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