「飛びぬけたものなんてない普通の人」が、ジャマイカで挑戦し続けている理由 #7. Yutaro (ジャマイカ)
#その時自分史が動いた は、私たち夫婦が世界一周をしながら現地の人々に突撃取材をし、彼ら彼女らの語る人生ストーリーと私たちの視点を織り交ぜながらお伝えしていくシリーズです。(背景はこちら)
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「本当に数年前まで、僕の人生、何もなかったんです。横浜出身で、サッカーが好きで、普通の家庭で普通に育って。テストでも、部活でも、中の上くらい。平均よりはちょっとできるのかもしれないけど、何も飛びぬけていない、みたいな。何にも一番になったことなんてないんじゃないかなと思います(笑)」
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ジャマイカで起業をしようとしているんだから、きっとレゲエ好きでドレッドヘアでワイルドな人なんだろうな…
そんな謎の覚悟を胸に秘めながら会いに行った本日の主役であるフルタさんは、そんな妄想なんて一瞬にして忘れさせてくれるような、いわゆるジャパニーズ好青年だった(笑)
「レゲエはあまり興味がなくて…」そう苦笑するフルタさんとともにレストランの席を探しながら、あらゆる質問が頭の中を目まぐるしくまわっていた。
フルタさんのことは、ツイッターで知った。
「フルタ@ジャマイカ1の塾作る」というプロフィールを見た瞬間に、絶対会いたい!と思って突撃メッセージ。
そうして今回の取材が実現したのだ。
「普通」が悪いわけじゃない。でも、やろうと思えば誰にだって、「普通」から脱却する力はあるんだ。そう感じさせてもらえるストーリーだ。
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【第一章】
自分のほうが、絶対に良い先生になれる
「小学生の時、トラウマになるくらいに嫌いだった先生がいました。
『自分のほうが、あの人よりは絶対に良い先生になれる』。
そんな思いをどっかで感じていたので、大学4年生の時、教員免許の試験を受けることにしたんです。
学部は理工学部で、専攻は数学。
その場合って、研究者とかを目指さない限りは、これといった進路がないんですよ。なので学校の先生を選ぶパターンは割と多かったと思います。
それなのに。
教員試験に、落ちてしまったんです。
僕には、翌年の採用試験まで中学校の『講師』という立場で数学を教える、という選択肢しか残されていませんでした。
『自分のほうが良い先生になれる』
そんな風に思っていたのに、いざ生徒を目の前にしてみると、なかなか思ったように行きませんでしたね。
どんな話をしても、子供たちを全然惹きつけられてないのが分かるんです。
大学時代に熱中した自転車旅の話をしたときだけ、ちょっとだけ生徒たちの目がちょっと輝いたのですが、それ以上にネタもなくて。」
グサッと刺さった生徒の言葉
「とどめとなった出来事は、生徒たちに授業の感想を聞こうと、匿名のアンケートを取った時でした。
集めた回答を読んでみると、そのうち一つ、
『話がつまんない。嘘なの分かってるから』
という辛辣なメッセージが入っていたんです。
生徒から直接こんな言葉を言われるというのは、先生にとって最も辛い瞬間なはず…ましてや、きっと情熱と思いやりを持って教壇に立っていたんだろうなというのがフルタさんの言動から伝わってくるからこそ、私たちまでショックを受けてしまった。
「話がつまんない」。生徒から直接こんな言葉を言われるというのは、先生にとって最も辛い瞬間なはず…ましてや、情熱と思いやりを持って教壇に立っていたんだろうなというのがフルタさんの言動から伝わってくるからこそ、私たちまでショックを受けてしまった。
思わず「そんなぁ…」とつぶやいてしまった。
「多分、自転車旅の話を『嘘』だと思われたんでしょうね。
誰が言ったかも大体分かりましたし、彼女も半分冗談で書いたんだとは思うんですが、まあ、へこみました。
自分の人間としてのあまりの普通さに、なんというか、驚愕してしまったんですよね。彼女の言葉は、決して彼女一人の意見じゃないんだろうな、とも思えてしまって。
『もっと、子供心をつかめるような大人になりたい』
そんな風に強く感じるようになったキッカケでした。」
前歯のない先輩
「そこで、長期休みを使って、複数に分けて日本を自転車で一周することにしたんです。
お盆休みに、横浜から北海道。春休みに、横浜から沖縄。そしてその次に、日本海側で北海道から沖縄まで。
でもそのためにはお金が必要で。
そこで、講師の傍らできる仕事として、運送業者でのアルバイトを始めたのですが、これがまたきつかった。
バイトの先輩が、前歯のないような、それまでに関わったことのないような方で。その人に、毎日毎日怒鳴られ続ける日々だったんですよ。
周りが社会人になり、教師として活躍し始めている中で、なんで僕はこんな思いをしないといけないんだろう。
そう思えると、悔しくて惨めで。涙が出たんですよね…
大人になってから泣いたのなんてこの時くらいかもしれません。
でも、おかげで自転車旅を実現することができて、その話を生徒たちにするとやっぱり目を輝かせて聞いてくれたんです。」
白紙の試験用紙
「そんな講師生活を一年間過ごして、また採用試験のタイミングがやってきました。
でも、ギリギリまで悩んだ末、結局試験用紙を白紙のまま提出して帰ったんです。」
せっかく一年間講師として頑張っていたのに、自らチャンスを放棄してしまったとは・・・!「面白い先生になりたい」という気持ちを強く感じていたからこそ驚いて、その理由を聞いてみた。
「一回不合格になったのが良かったんでしょうね。
周りは、何も疑問に思うことなく、先生になるという一本道にまっすぐつき進んでいったけれど、僕は、試験に落ちたことで考えさせられるキッカケを色々もらえたんです。
講師をしていた学校では、僕を可愛がってくれていた30代半ばくらいの先生方が、口をそろえて『俺らの人生、これでいいのかなー』って悩んでいたんですよ。
それを見て、僕も今方向を変えないと、30歳を過ぎたころに同じ壁にぶち当たっちゃうんじゃないかと思ったんです。
もともと今の自分に足りないものを痛感していたということもあり、こうなったら自分は完全に違う道でチャレンジしよう、って心が決まった瞬間でした。
そう吹っ切れた結果、採用試験を白紙で提出する勇気が湧いたんだと思います。」
【第2章】
「普通の人」が、ジャマイカへ
それで選んだのが、JICAの青年海外協力隊に応募するという道でした。
僕、結構心配性で、何か決めるときは慎重に、安定ルートをいく性格なんですよ。なので、これもかなり時間をかけて決めましたね。
世界一周も検討したのですが、色んな場所を転々とするよりも一か所にとどまって何か課題に取り組むほうが自分には合っているんじゃないかと思ったんです。
(それも、自転車旅をしているときに、とある限界集落で町おこしに奮闘している人に出会って、カッコイイと思ったことがキッカケでした)
実は、応募したときは、アフリカを希望していました。
だから、ジャマイカに派遣されることが決まった時は驚きましたけど(笑)、そんなこんなで、ジャマイカの教育省で2年間過ごすことが決まったわけです。
青年海外協力隊って、基本、放置なんです。とりあえず行ってこい、みたいな。
ぽつんと全く知らないところにいって、一人で切り拓いていくという覚悟が必要でした。
僕も、教育省で特にこれといった仕事はアサインされなかったので、とにかく色んな学校に突撃アポを入れて、訪問させてもらって、授業をさせてもらっていました。
現地の子供も先生も親も、何言ってるかなんて分からないし、がむしゃらにやるしかない状況でしたね。
周りの協力隊の仲間の中には、メンタル的に病んでしまう人もいました。
でも自分は、楽しかった。
なぜかというと、ジャマイカの子供たちはとにかく伸びしろが半端じゃなかったからです。
日本の子供たちは、95点くらいのものを100点にしようと頑張ってるイメージなのに対して、ジャマイカはもともと40点くらいだから、ちょっと教えただけで成績がどんどんあがるんですよ。
隊員としての任期は2年でしたが、終わってからもまだこっちの子どもたちの為に頑張りたいという気持ちがあったので、教育省に現地採用をしてもらってジャマイカに戻ってきました。
ただ、実は、それがキッカケで、ジャマイカに来る前に籍を入れていた女性と別れることになってしまったのです…
これは、めちゃくちゃ大打撃でした。
でも逆に、もうジャマイカで成功する以外に道はないなと腹をくくった瞬間だったんです。もう本当に、これしかないわ・・・と。
転んでは起き上がる、というのはまさにこのこと。そんな冒険を続けてきたフルタさんにとって、これからどんな未来が待ち受けているのだろうか。
「普通の人」が、起業家へ
「今、ジャマイカで学習塾を起業するべく奮闘中なんです。2020年7月に、開校する予定です。
現在は、現地の教育系企業で働いているのですが、ビジネス目的なので結局お金持ちの子供が対象になっちゃうんですよ。それだったら僕がわざわざジャマイカでやる必要はない。
そこで、新しいチャレンジをすることにしたんです。
でも究極は、いつかまた日本で教員をやりたいという気持ちがありますね。
その時に、今度こそは、子供たちの心をがしっとつかめるような大人になっていたい。
だからこそ、誰もやったことのないような挑戦にどんどん挑んでいかなきゃ、と思っているんです。」
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編集後記
飛びぬけたことなんて一つもない普通のサッカー少年が、10年後には単身ジャマイカで塾を立ち上げるという、なんとも取材甲斐のあるフルタさんのストーリー、いかがだっただろうか。
お話を聞いていてすごく印象に残ったのは、悔しいという想いをポジティブな糧にする力。
教員免許の試験に不採用になり、辛いバイトをしたとき。
アンケートで「面白くない」といわれたとき。
遠距離していた女性と離婚することになったとき。
そんなネガティブな思いを「よし、こうなったらやるっきゃない!」というポジティブな行動につなげるような、そんな炎に変えられる力は、誰にでも備わっているものではないと思った。多くの人は、「仕方ないか…」とあきらめてしまったり、「自分はこんなもんだよ」と折れてしまったり、「見返してやる」という険悪なエネルギーに変えてしまったりするのではないだろうか。
フルタさんにとっては、そういったネガティブな経験が、ある意味「乗っていたレールから外れる」キッカケになったのだろう。
教員になるというレール。日本に住みながら結婚生活を築くというレール。
そんなレールから外された時に、「どうにかしてレールに戻らなきゃ」「しがみつかなきゃ」と思うのではなく、「自分の力で新しいレールを作ってやるぞ」という風に切り替えられるところが、フルタさんの強みなのかもしれない。
「将来はまた教壇に戻りたい」というフルタさん。
過去の悔しい体験を糧にして、今度こそは「先生の話、面白い!」と生徒たちに言ってもらうために着実に行動している姿は、とてもまぶしい。
私たちからしたら、今この瞬間に教壇に戻っても生徒たちは目を輝かせて話を聞くだろうと思う。
だけれど、フルタさんにはまだまだ高い目標値がある。
いつか、またフルタさんが生徒の前に立つ機会が来た時に、私もその場に居合わせたい。
そんな風に思わせてくれる出会いだった。
「自分は普通だ」。そう思って一歩踏み出すことを躊躇している方に、勇気を与えられるストーリーなのではないかと思う。とにかく何かをすることで、「普通」じゃなくなるのだから。
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