市川夫婦@世界一周中

30歳夫婦。半年間、世界一周をしながら出会った人々のストーリーを発信していきます。 #その時自分史が動いた ◆Instagram:https://www.instagram.com/the_ichikawas/

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  • その時自分史が動いた

    世界一周をしている夫婦です。このマガジンでは、私たちが旅をしながら出会う人たちのストーリーを伝えていきます。 どんな思いでどんな人生を歩んでいるのか。 どんな思いでどんな仕事をしているのか。 そういった生のストーリーを、私たちが見たまま聞いたままに。 一歩前に踏みだすキッカケになったり、新しい何かに気づけるキッカケになれば、嬉しいです。 詳細はこちら: https://note.com/the_ichikawas/n/nd319e11545ce

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夫婦で世界一周をしている理由と「その時自分史が動いた」シリーズに込めた想い

はじめまして。私たち市川夫婦は、2019.12.18より、世界一周の旅に出ています。 良い(とされる)大学に入って、良い(とされる)会社に入って、結婚して… 気づいたら、なんだか見たことのある人生を歩んでいた私たち。 30歳になった今年、ついに決断をしました。 ずっと夢だった世界一周をしよう。正直にいうと、行くかどうか、何年も、死ぬほど悩みました。 夫・竜太郎は、「その後のキャリア、どうなるんだろう?」という不安。 妻・瑛子は、仕事をパートタイム×リモートで続けるため、

    • 大虐殺を生き延びたからこそ、僕は漫画を描く。- ルパート(ルワンダ)【Part 3】

      ルワンダの大虐殺を生き延びた、漫画家のルパートさん。 Part 1で大虐殺の歴史を振り返ったうえで、Part 2では、父親が大虐殺の餌食となってしまったときの、最期に放った一言についてお伝えした。 三部作最後となるPart 3では、ルパート本人の逃避劇、そしてそれをバネにして力強く生きている今の生き様についてご紹介する。 また、皆様の感想コメントをルパート本人にも直接届けたいと思っているので、是非最後まで読んでいただけると嬉しい。 「信念」が武器になる、ということを知った

      • 「おまえを、許す」。自分を殺した敵に向けて父が放った最期の一言 - ルパート(ルワンダ)【Part 2】

        ルワンダの大虐殺を生き延びた、漫画家のルパートさん。 Part 1では、そもそもなぜ大虐殺が起きたのかという歴史について、彼が伝えてくれた通りにまとめてみた。 Part 2となる本記事では、ルパートの当時の体験をお伝えしていく。 1994年4月7日。「朝5時に起こされた僕たち兄弟に向かって、母がこう言ったんです。 『昨晩何が起きたと思う?大統領が殺されたのよ。きっと復讐しに来るわ、どうしよう…私たち、死ぬかもしれない。』 前日にフツ族である大統領が乗っていた飛行機が銃撃さ

        • ルワンダの大虐殺を生き延びた生存者との衝撃的な出会い - ルパート(ルワンダ)【Part 1】

          「同じルワンダ人同士が、敵となる。 昨日までは友達だったのに、信頼している同僚だったのに、ある日を境にいきなり命を狙われる。木を切るための鉈が、人を斬るために使われる。 たったの25年前の出来事だとは思えないでしょう…。 でも、僕の目の前でその現実が起きていたんです。 生きる地獄とは、まさにこのことでした。」 ***私達夫婦の世界一周旅の10か国目。 ルワンダの首都キガリに到着した後、予約をしていたAirbnbに向かった。 そこで出迎えてくれたホストが、本日の主人公・ルパー

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        夫婦で世界一周をしている理由と「その時自分史が動いた」シリーズに込めた想い

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        • その時自分史が動いた
          3本

        記事

          ルワンダの子供たちに、背中をピシっと正してもらった話。【短編ストーリー:ルワンダ】

          ルワンダの子供たちに、「マニー!マニー!」と声をかけられた。 (わあ、お金か…。) (この子たち、この年で物乞いしてるのか…。) (でも、あげるわけにはいかないよな…。) そんな風に思ったことをのちに激しく反省することになったのは、なぜか。そんなお話です。 *** ルワンダ北部のギセニ地域でのこと。 コンゴ共和国とルワンダを隔てるキブ湖や、活火山であるニーラゴンゴ山などの雄大な自然を誇るこの場所で、コンゴナイルツアーというサイクリングコースに挑戦しました。 この写

          ルワンダの子供たちに、背中をピシっと正してもらった話。【短編ストーリー:ルワンダ】

          お前はどうしたい?と聞かれても答えはなかった。それでもノープランでルワンダ移住を決めた理由 #11. ちさ(ルワンダ)

          #その時自分史が動いた は、私たち夫婦が世界一周をしながら現地の人々に突撃取材をし、彼ら彼女らの語る人生ストーリーと私たちの視点を織り交ぜながらお伝えしていくシリーズです。(背景はこちら) ***「ある良く晴れた日。 洗濯物を干しているときに『あ、今って5月なんだ…』ということにふと気づいたんです。 ここ数年、季節のことなんてまったく気にしてなかったんですよね。 急に、抜け殻のように過ごした数年間から目が覚めたような感覚でした。 そして、こんな時間の使い方していたら、も

          お前はどうしたい?と聞かれても答えはなかった。それでもノープランでルワンダ移住を決めた理由 #11. ちさ(ルワンダ)

          自分を30年間牢屋に入れた人間を、あなたなら許すことができますか ~元政治犯が教えてくれたこと~【短編ストーリー:南アフリカ】

          南アフリカ・ヨハネスブルクでの初日。 国の文化や歴史について生の情報を得るべく、Uberの運転手と会話をしていました。 「ネルソンマンデラは南アフリカのヒーローだと思うんだけど…」 と、質問をしようとしたら、途中で遮られました。 「My friend, マンデラは南アフリカのヒーローじゃない。世界のヒーローだよ」 そう断言した運転手の顔は、誇りに満ち溢れていました。 そうか。たしかにそうなのかも…。 それから一週間、南アフリカをまわる中でネルソンマンデラの偉業について

          自分を30年間牢屋に入れた人間を、あなたなら許すことができますか ~元政治犯が教えてくれたこと~【短編ストーリー:南アフリカ】

          犯罪に手を染めていた少年を救った、生き方としてのラスタファリアニズム #10. Jahwit(プエルトリコ)

          #その時自分史が動いた は、私たち夫婦が世界一周をしながら現地の人々に突撃取材をし、彼ら彼女らの語る人生ストーリーと私たちの視点を織り交ぜながらお伝えしていくシリーズです。(背景はこちら) *** 「昔、かなり悪いガキだったんだ。ちょっとしたいたずらとかっていう次元じゃなくて、かなりダメなやつ。犯罪に手を出してしまってたわけ。それで俺も、アメリカの中でも「トップクラス」の悪ガキたちが集まる学校に通ってた。もうとにかく、ルールも政府も社会も、全部くそくらえ、と思ってたね。」

          犯罪に手を染めていた少年を救った、生き方としてのラスタファリアニズム #10. Jahwit(プエルトリコ)

          アパルトヘイトは、今も生きている ~友人の一言によって明かされた現実~【短編ストーリー:南アフリカ】

          「ケープタウン、最高だよ!めちゃくちゃ過ごしやすい街だよ!」 色んな人のそんな声をきいて楽しみにしていた南アフリカ・ケープタウン。実際に行ってみるとたしかに言われた通りで、圧倒的な大自然、美味しいご飯、清潔な街、という文句なしの素晴らしい場所でした。 でも、何かどこかモヤモヤがぬぐえない。 そんなとき、たまたま電話していた友達の言葉でその違和感の正体が分かったんです。 「ケープタウンにいるんだ?不思議なところだよね。 見渡してみな?働いている人以外、白人しかいないでしょ。

          アパルトヘイトは、今も生きている ~友人の一言によって明かされた現実~【短編ストーリー:南アフリカ】

          「私らしさ」とは、大嫌いだった会社にあえて戻ることだった #9. マリニス(ブラジル)

          #その時自分史が動いた は、私たち夫婦が世界一周をしながら現地の人々に突撃取材をし、彼ら彼女らの語る人生ストーリーと私たちの視点を織り交ぜながらお伝えしていくシリーズです。(背景はこちら) *** 「会社を起業した数年後、ニューヨークに転勤になった彼氏についていくことにしました。仕事はそのままリモートで続けていたのですが・・・ふと、私が起業をして手に入れたいと思い描いていたことはすべてただの妄想だったんだ、ということに気づいてしまったんです。 起業をすれば何事も自分で決め

          「私らしさ」とは、大嫌いだった会社にあえて戻ることだった #9. マリニス(ブラジル)

          世界一周を、中断しました。でも、だからこそ、発信は続けます。

          昨年12月18日、夫婦で世界一周を始めたとき、まさかこんな展開になるとは思っていませんでしたが、コロナウイルスの影響がここ数日で刻一刻と激化している状況を踏まえ、旅を続けるのは賢明ではないと判断しました。 「タンザニアのサファリどうしようかぁ~」なんてのんきな会話をしていた日から、ものの数日間で、「帰国か?滞在か?」という瀬戸際の状態に。 結果、帰国を決めた数日後には、ルワンダ発着便全便欠航が決まったので、ギリギリセーフなナイス判断だったのですが… こんなにも刻一刻と世界情

          世界一周を、中断しました。でも、だからこそ、発信は続けます。

          弁護士という道を、波のためにあっさりと捨てた男。#8. パンチョ(ペルー)

          #その時自分史が動いた は、私たち夫婦が世界一周をしながら現地の人々に突撃取材をし、彼ら彼女らの語る人生ストーリーと私たちの視点を織り交ぜながらお伝えしていくシリーズです。(背景はこちら) *** 「勤務先のオフィスは、ペルーにしては珍しい高層ビルの22階にあって。 その日僕は支社長の部屋で、本人に向かってこう伝えたんだ。 『支社長、僕、この会社を辞めようと思っています。自分で起業をしようと思っています。とにかく、サーフィンがしたいんです』 彼には、止められた。自分が

          弁護士という道を、波のためにあっさりと捨てた男。#8. パンチョ(ペルー)

          「飛びぬけたものなんてない普通の人」が、ジャマイカで挑戦し続けている理由 #7. Yutaro (ジャマイカ)

          #その時自分史が動いた は、私たち夫婦が世界一周をしながら現地の人々に突撃取材をし、彼ら彼女らの語る人生ストーリーと私たちの視点を織り交ぜながらお伝えしていくシリーズです。(背景はこちら) *** 「本当に数年前まで、僕の人生、何もなかったんです。横浜出身で、サッカーが好きで、普通の家庭で普通に育って。テストでも、部活でも、中の上くらい。平均よりはちょっとできるのかもしれないけど、何も飛びぬけていない、みたいな。何にも一番になったことなんてないんじゃないかなと思います(笑

          「飛びぬけたものなんてない普通の人」が、ジャマイカで挑戦し続けている理由 #7. Yutaro (ジャマイカ)

          今の自分の生き方、子供に胸を張れる?娘のロールモデルでいるために選んだ道と、その裏に潜む葛藤と現実とは。#6.マリエラ(コスタリカ)

          #その時自分史が動いた は、私たち夫婦が世界一周をしながら現地の人々に突撃取材をし、彼ら彼女らの語る人生ストーリーと私たちの視点を織り交ぜながらお伝えしていくシリーズです。(背景はこちら) *** 「ロボットのような気分でした。同じ時間に起きて、出社して、帰宅して。自分が"成功"できるということを自分で証明したくて、でも、その価値を認めてもらえなくて、苛立ってて。 ついに何かが切れそうになった時、ふと自分に問いかけたんですよね。 私、こんな生き方を娘に見せてていいのかな

          今の自分の生き方、子供に胸を張れる?娘のロールモデルでいるために選んだ道と、その裏に潜む葛藤と現実とは。#6.マリエラ(コスタリカ)

          スペイン生まれの日本人が選んだ、"楽" ではないけど楽しい道 #5. Tadashi(メキシコ)

          #その時自分史が動いた は、私たち夫婦が世界一周をしながら現地の人々に突撃取材をし、彼ら彼女らの語る人生ストーリーと私たちの視点を織り交ぜながらお伝えしていくシリーズです。(背景はこちら) *** 「両親は日本人ですが、僕はスペインで生まれ育ちました。母は元々日本の先生で、父はスペインの日本大使館で働いていました。なので、それなりに裕福な家庭で育つ予定だったのですが・・・ 僕が4歳のとき、父親が亡くなったんです。突然の出来事でした。母はスペイン語すら話せない状況。それだっ

          スペイン生まれの日本人が選んだ、"楽" ではないけど楽しい道 #5. Tadashi(メキシコ)

          "パッション"は、見つけるものではなく見つかるもの。世界を旅して磨き続けた「自分」という軸 #4. ジル(プエルトリコ)

          #その時自分史が動いた は、私たち夫婦が世界一周をしながら現地の人々に突撃取材をし、彼ら彼女らの語る人生ストーリーと私たちの視点を織り交ぜながらお伝えしていくシリーズです。(背景はこちら) 「数年前のとある日。 夫のダビデから『俺は、サンマテオ(※)では死にたくない』と言われました。彼はニューヨーク育ちのプエルトリコ人。自分の故郷で第二の人生を歩みたいという想いがあったんです。 でもその頃、私には、25年間積み上げてきたRicochetというビジネスがあった。その場を離れれ

          "パッション"は、見つけるものではなく見つかるもの。世界を旅して磨き続けた「自分」という軸 #4. ジル(プエルトリコ)