![その時自分史が動いた__7_](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/19110754/rectangle_large_type_2_f560c29efe24e0792190ada77544e24a.png?width=1200)
ニューヨークの会計士が、なぜ今メキシコでラッパーをしているのか。#1. スマイリー(メキシコ)
#その時自分史が動いた は、私たち夫婦が世界一周をしながら現地の人々に突撃取材をし、彼ら彼女らの語る人生ストーリーと私たちの視点を織り交ぜながらお伝えしていくシリーズです。(背景はこちら)
ニューヨークのあこがれの会社での11週間のインターンシップ。
僕は、これが終われば間違いなく内定をもらい、会計士として華々しいスタートを切るだろうと想像をしてたのですが、その矢先に。慕っていた上司に呼び出され、こう言われました。
「お前、ここで働きたいなんて思ってないだろ」
頭の中が真っ白になりましたね。
「インターンを始めてから3週間、お前とはよくランチに行ったりもしたけど、一度も仕事の話を持ち出したことなんてないよな。お前が話題にするのはいつも、旅のこと、社会のこと、世界のこと。この会社で働きたいと思ってるとは、思えないんだよ」
その夜。生まれて初めて、パニック障害を起こしたんです。
息ができなくて、気絶しそうになって、涙が止まらなくなって。僕にとってこの日は、目の前で地球が崩れ落ちるかのような衝撃的な出来事でした。
***
スマイリーは、2019年1月からメキシコのオアハカ州で生活をしている27歳のヒップホップアーティスト。
私たちが夜訪れたバーでたまたまパフォーマンスをしていて、仲良くなったので取材を打診してみたら、快くOKをしてくれた。
ただ、彼の人生についてなんて何も知らずに声をかけたため、正直、面白い話が出てくるか見当もつかない。内心かなり不安な気持ちで待ち合わせ場所に着くと、日曜日だったためあいにくお店が閉まっていた。
どっか空いてるところを探そう!と歩きながら話しているうちに、彼がオアハカにいる理由などが徐々に明らかになっていった。
そして開いているカフェにたどり着いたころには、彼をインタビューに誘った直感は正しかったと、確信できていた。
元ニューヨーク在住の会計士が、なぜ今オアハカでラッパーとして活動しているのか。旅の4日目にしてこんなぶっとんだキャリアの人を見つけてしまったことに身震いするほどだった。
ラップなんかには興味のない皆様にこそ、是非とも読んでもらいたいストーリーだ。
***
【原点】「お前は、会計を勉強すべきだと思う」
僕自身はアメリカで生まれ育ってますが、両親は、ドミニカ共和国から移ってきた移民です。僕や兄弟はいわゆる「first generation」世代。
だから僕らにはずっと「金にならない仕事をするほど恵まれてはいないんだ」という感覚がありました。例えば、心理学に興味があった時期もあったけど、そんなもの勉強しても何になるんだ、辞めておこう、って。
そういう背景もあって、大学の専攻について兄に「お前は、会計を勉強すべきだと思う」と言われたとき、素直にそのとおりの道に進むことを決めたんです。
今考えると、兄は会計が何なのかなんて分かっていなかったと思います(笑)。Jay Zなどの90年代のラップの歌詞に「それは会計士に任せてる」("my accountant handles that")っていうのがよくあって、そのせいでなんとなく「お金のことなら会計士」というイメージだったんじゃないかなと。
とにかく、大学では会計や経済を専攻し、着々と会計士への道を歩むことになりました。
【ターニングポイント】「お前、ここで働きたいなんて思ってないだろ」
驚くかもしれないけど、僕は大学で自ら立ち上げたビジネスクラブのリーダーを務めていたような優等生でした。いわゆる"レール"のど真ん中にいた。
課外活動をした方がよいという理由で、中国に留学したりもしてました。
それが僕にとっては楽しかったんですよね。
でも、そんな僕に突然訪れたターニングポイントが、インターンの上司に言われたセリフだったわけです。内定を取るために必死に働いていた僕の心に突き刺さったこの一言。
「お前、ここで働きたいなんて思ってないだろ (You don't want to be here)」
(僕は、ここで働きたいなんて思ってない)
心の奥底では、それが真実だということは分かっている。分かっているんだけど、それをどうしても認められないんです。それで上司の言葉を受け入れられなくて、体が反応したのかもしれません。
これってきっと、多くの人が経験していることなんじゃないですかね・・・自分の本当に好きな道があるのはわかっているけど、それを自分で認めたくない、というモヤモヤ。
パニックを起こした夜、お世話になっていたメンターに電話をかけました。上司のあの言葉は何を意味しているんだ?って。
すると、「インターンシップは、会社側がお前を見極めるためだけでなく、お前がそのキャリアを見極めるためでもあるんだ。違うなら違うで、いいじゃないか」と心を落ち着かせてくれて、そのおかげで何とか11週間のインターンをやりきることができました。
結局、内定はもらえませんでした。
やっぱり、落ち込みましたね。でも、「どうせ内定もらっていたとしても蹴っていたんだろ?」というメンターの言葉を自分に言い聞かせ続けました。
【新たな出発】クレイジーなのは僕じゃない。
それから時が経ち、卒業が近づいてきた頃。なんだかんだで会計士という道を捨てきれていなかった僕は、内定を3つももらっていました。内部監査、コンサルティング、ファイナンシャルアナリスト。
でも、これっぽっちも嬉しくなかった。自分に問いかけてみたときに、どれも楽しめないだろうということは分かりきっていたんです。
だから、すべて断りました。
ニカラグアでの1年間のボランティアプログラムに合格していたので、そっちに行くことを決めたんです。当時すごく海外ボランティアに興味があって。
友達からは「クレイジーだ!(You're crazy!)」としか言われませんでしたね。でも僕からしたら、クレイジーなのはどっちだよ、と言いたかった。
熱くなれないと分かりきってる場所に疑いもせずに進んでいくのと、本気になれる何かを探しに行くのと。
反対していたやつらは全員、インターンを少しも楽しんでなかったんですよ?週末のために生きて、気を少しでも楽にするために酒や薬に頼って。
人生の目的を追求するのを恐れているんじゃないかなと思います。居心地の良いところから抜け出すのを恐れている。本当はもっと気楽に、色々試してみればいいのに。
僕の場合、ニカラグアでのボランティアを「試してみよう」と思った理由は2つありました。
一つは、南米が好きだったこと。アメリカでは「他の国に住むなんてクソだ」っていう空気がなんとなく充満してるんですが、大学の研修でチリにいったとき、アメリカ以上にホーム感があって驚きました。親の出身もそうだし、僕にとってのホームはやっぱり南米なんです。
そしてもう一つは、そんなチリで原住民が排除されているというニュースをみて、「自分の力で何か役に立てたらいいのにな」と思ったこと。それ以来海外のボランティアプログラムに積極的に参加するようになり、(はじめは「課外活動」として経歴書でアピールする目的もありましたが)次第にやりがいを感じるようになっていったのです。
僕には、大切にしている価値観があって。
「進もうと思っている道が正解かどうかなんて分からない。でも、一つ確実なのは、その道がさらに次のステージへと導いてくれる (I don't know if it's what I want to do, but I know it will lead me to the next thing)」ということ。
やろうとしてることは何かには必ずつながるはずだ。だから、ニカラグアで何が待ち受けているのかわからなかったけど、とにかく信じて突き進んでみることにしました。
【下り坂】自分で選んだ道は、苦しかった
内定を蹴ってまで選んだニカラグアでのボランティアは、半年経ったころに途中で中断することになってしまいました。
ニューヨークに急遽戻らざるを得なくなり、仕方なく転職活動を。周りは、社会人3年目になっていました。精神的にかなりきつかったです。
そこでなんとか見つけたのが、Working WorldというNPOでの仕事でした。結果的にそこに3年くらいいましたね。仕事は、普通に楽しかった。
でも、ずーっとモヤモヤしていたんです。
僕はラテンアメリカが好きなのに、なんでここにいるんだろうって。特に、ニカラグアで不完全燃焼で終わってしまったということがずっと引っかかっていて。
だからとある日、ニカラグアに再訪することを決意しました。
帰国せざるをえなかった理由は、人との関係性がこじれたからだったんですが、それをちゃんと清算しに行くというか。ずっと尾を引いていたモヤモヤをスパっと断ち切りたかったんです。
その判断が、本当に良かった。今まで引きずっていた過去を、過去のものにできた。一気に体が軽くなって、世界は美しい!と叫びたくなるほどに心が自由になったんですよ。自分でもびっくりするくらいに。
***
長くなってきてしまった…しかも、まだラップの話もオアハカの話もできていない。でも、スマイリーの「気づき」と「葛藤」を繰り返しているところ、共感できるところが多いと思うのは私たちだけだろうか。
私たち夫婦も、「エリート街道なんてもう捨ててやる!」「いや、かなり不安だぞ」「世界一周行ってやる!」「でもそんなことしてていいんだっけ?」という葛藤を繰り返してきたので、激しくうなずきながら話を聞いていた。
スマイリーはここから、いくつかの段階を経て、すこしずつ生活を変化させていく。会計士からラッパーへの転身は、ある日突然雷のように起こったのではなく、ゆっくりと時間をかけて実現されたものだったのだ。
***
【進化①】やりたいんだったら、やればいいじゃん!
ニカラグアの呪縛が解けてからは、積極的に音楽イベントに顔を出すようになりました。
そしてとあるコンサートで、「小さい頃はラッパーになりたかったんだけどもう手遅れだなー」とつぶやいたとき。
「やりたいんだったら、やればいいじゃん!(If you want to do it, just do it!)」
隣にいた同僚の一言で、僕の人生の次の章がはじまりました。
行動を起こせるかどうかって、背中を押してくれる誰かがいるかいないかだけの差なんだと思います。
昔、中学生の時に自分でラップを書いて兄に見せたことがあったんですが、彼は「ふーん」としか反応してくれなかった。でも、同僚の言葉で夢がよみがえった。実際に目の前でライブをしているラッパーは、自分と同い年だった。まだ遅くないかもしれない。
その日から、自分でラップを書いたり、会社のイベントで歌ったりもしてみました。
【進化②】本当にそれでいいのか、俺?
しかし、音楽と仕事との両立にはかなり苦戦しました。地元のアーティストに相談をすると「仕事辞めればいいんじゃないの?」という素朴な疑問をぶつけてきた。それでも僕は、即決できませんでした。
お金の問題というよりも、大きな変化を起こすのが怖かったんだと思います。僕らって、こういう人生を送りなさいっていうのが決まりきった社会に生きてるじゃないですか。だから、そこから少しでも離れていくのが怖かった。本当にそれでいいのか、俺?って。
その時に思い出したのが、数カ月前に行ったSilent Meditation(黙想)でした。
色々重なって、うつ気味になってしまっていた僕は、昔出会った旅仲間が勧めていたSilent Meditationに参加してみたんです。1週間一言も発してはいけない。読み書きも、人と目を合わせることすらもNG。脳に与える刺激を最小限に抑える究極の瞑想です。
そんな状態で、僕は、頭の中がすべて音楽になっているということに気づきました。新しい歌詞、音楽ビデオの演出など、気づくと音楽のことを考えてた。
そっか、僕はやっぱり音楽をやらないといけないんだ。そう確信できた瞬間でした。
そして、そのために、不要なものはすべて捨て去ることも決めました。
辞めるべきなんじゃないかとずっと思っていたアルコールをやめる。そして、ベジタリアンになる。そんな決断をすんなりとできるような時間でした。
自分の直感に従おう。
仕事があろうとなかろうと、3カ月後にはニューヨークを出て南米に戻ることを決意しました。
【進化③】 オアハカとの出会い。本当の自分との出会い。
次の行き先として決めたのはメキシコ。アートにあふれるこの街で、自分のアーティストとしての未来が花開くんだ。そう期待に胸をいっぱいにしていた僕は、到着してすぐに、現実を突きつけられます。
ニューヨークでの通勤、冬の寒さ、太陽の弱さ、生活コストの高さが嫌で出てきたのに、メキシコシティは、同じようなもんじゃないか。いや、交通の不便さや、空気の悪さを入れると、もっとひどいかもしれない。期待値が高かったからこそ、絶望感も大きく、またパニックを起こす羽目に。
そんな僕を救ってくれたのは、友達のルームメイト。彼女は、生粋のオアハカーニャ(Oaxacana, オアハカ出身の人)でした。僕が、太陽とアートで溢れる小さな街に住みたいんだと言ったらまっさきに、「だったらオアハカね」と断言してくれた。その言葉だけを信じて、オアハカに移住することを決意しました。
実はこの頃はまだ、Working Worldの仕事をリモートで続けていました。でも、オアハカに来てから、コミットしたい気持ちがより強くなった。だから2019年の秋、ついに仕事を完全に辞めました。
***
友人の言葉がきっかけで音楽に目覚めてから、まずは住む場所を変え、そして仕事を辞め、徐々にラッパーとしてのキャリアを進化させてきたスマイリー。現在、オアハカでフルタイムのラッパーとして活動しているということについて、どう感じているのだろうか?
貯金を切り崩せば、一年間仕事をしなくてもオアハカでなら生活できるということがわかっています。「一年間、音楽にだけコミットしたら、どこまで行けるのか?」今、それを試しているところなのです。
変に聞こえるかもしれないけど、僕は、貧乏なアーティストになりたいとは微塵も思ってません。ただ、純粋に音楽が好きだから、もしその好きなものだけで生活できたとしたら、最高じゃないですか。
生活できるくらいのお金を稼げるアーティストになること。これが僕の成功の定義です。
屈託のない笑顔からは想像できないほどの紆余曲折を歩んできたスマイリー。そんな彼が常に大切にしている行動指針とは何か、聞いてみた。
ここ数年で意識するようになったことだけれど、「常に自分に問いかける」ということかな。今自分はなぜこれをやっていて、それに対してどう感じているのか?と問いかけてみる。例えば、酒を辞めたのもそれがキッカケでしたね。飲むことって自分にどんな価値を与えてくれてるの?って考えたら、マイナスしかなかったんです。
現状に対して「これでいいんだっけ?」って問いかけられる人が増えれば、もっとハッピーな世の中になる気がしています。
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編集後記
皆さんは、どうだろうか。日々の生活をしている中で、自分に、何を問いかけているだろうか。
「これでいいんだ」「これが自分のやりたいことなんだ」って自分を信じ込ませる、自分を思い込ませる、というほうが実は多いのではないだろうか。
スマイリーの「自分に問いかける力」は、私たちも見習いたいと思った。
そして、「今自分がやっていることが必ず次につながると信じる力」も尊敬に値すると思う。
自分がそれまでに描いていた人生設計図をリセットする怖さ。
経済的な安定や社会的な地位を捨てて「好き」に走る怖さ。
そんな怖さに時には負けてしまいそうになりながらも、スマイリーは逃げずに前に進む強さをもっているなあ、と。
スマイリーのターニングポイントから学んだこと
スマイリーのターニングポイントは、ほとんどが「人との出会い」もしくは「新しい場所との出会い」のどちらかに当てはまる。
弱ったときに誰かに相談する。どうしようもなくなった時には場所を変えてみる。そんな無意識の行動が、自然と彼をターニングポイントへと導いていったように見える。
でも、やはり一番大きかったのは上司の「お前はここにいたくない」という言葉ではないだろうか。それがあったからこそ、ある意味吹っ切れて、「そうだ、僕はここになんていたくないんだ」という気持ちをはじめて言語化できた。それがあったからこそ、友達に「クレイジー」と呼ばれても、自分を信じ切る強さが生まれたのではないだろうか。
私たちには、その上司は、ものすごい愛情をもってそのセリフを放ったのではないかという気がしてならなかった。
最後に、スマイリーにとっての幸せとは何か、書いてもらった。
A lush green forest on a mountain side, illuminated by the sun.
太陽に照らされた、山沿いの、緑豊かな森。
そういえば、彼に最初に会ったとき。
もともと会計を勉強していたと聞いたから思わず「会計士なの?」と聞いたら、「いや、ラッパーだよ」とキッパリ断言してくれた。
この先どうなるかは自分自身も分かっていないけど、今は誇り高きラッパーとして生き生きと輝いているスマイリーに、心からのエールを送りたい。
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写真:市川竜太郎
文:市川瑛子