アパルトヘイトは、今も生きている ~友人の一言によって明かされた現実~【短編ストーリー:南アフリカ】
「ケープタウン、最高だよ!めちゃくちゃ過ごしやすい街だよ!」
色んな人のそんな声をきいて楽しみにしていた南アフリカ・ケープタウン。実際に行ってみるとたしかに言われた通りで、圧倒的な大自然、美味しいご飯、清潔な街、という文句なしの素晴らしい場所でした。
でも、何かどこかモヤモヤがぬぐえない。
そんなとき、たまたま電話していた友達の言葉でその違和感の正体が分かったんです。
「ケープタウンにいるんだ?不思議なところだよね。
見渡してみな?働いている人以外、白人しかいないでしょ。」
その友達の肌は、黒い。
以前彼がケープタウンに遊びに来た時は、「働きに来たの?」と声かけられることが多かったと話してくれました。
そうか。
考えてみたら、ケープタウンをオススメしてくれた他の友人は皆、白人だ。もちろん一人に言われただけだし、ケープタウンが大好きな黒人もいるだろう。
けれど、でも、実際にその時に座っていたカフェを見渡してみたとき、ぞくっとしました。
「本当だ…お客さん、一人残さず白人だ。あとは私たち黄色い二人だけ。」
そうか。
それまでにお世話になった空港のスタッフやUberの運転手は100%の確率で黒人だった。泊まっていたAirbnbのオーナーは白人のご夫婦で、ヘルパーさんは黒人だった。
そうか…。
なんだか急に、その場にいるのが居心地悪くなってしまいました。
***
その時に思い出したのが、数日前にヨハネスブルクで訪れたアパルトヘイト博物館。南アフリカがかつてとっていた人種差別政策である、あのアパルトヘイトです。
・・・ここで、突然ですが、歴史の復習です。
皆さんは、アパルトヘイトが何年まで続いていたか、わかりますか?
結構最近だったよね・・・と思いながらも、私たちはまったく答えがパッと出てきませんでした。
その程度の理解度で訪れたアパルトヘイト博物館にて、その全貌を目の当たりにし、ずどーんと、重い衝撃を受けたのです。
まず、こちらの入り口。
扉が二つあります。左側が「WHITES」、つまり白人専用の扉。
右側が「NON-WHITES」、つまり白人以外の人が通らなければならない扉。
ただの再現だとはもちろん分かっているはずなのに、入るときに心臓がグーっと雑巾のように絞られるような感覚になりました。
だってどっちの入り口を通るとしたって、すっごい嫌だ。
でも当時は、すべてこのように別れていたのです。建物の入り口も、トイレも、公衆電話も。
ちなみに、私たち日本人は、どっちに分類されると思いますか?
NON-WHITESの方です。そう、差別される側です。アジア人も、ミックスの場合も、ヨーロッパ系の白人以外は全員右側の入り口なのです。
さて、先ほどの歴史の問題に戻ると、アパルトヘイトが終わったのは、1994年のことでした。
アパルトヘイトは「歴史」の出来事だと思っていたけれど、自分の生まれた後に起こったことだったんです。
今40代、50代以上の方が、若い頃に南アフリカに行っていたとしたら、NON-WHITESの扉をくぐらないといけなかったわけです。
なんだか、信じたくない。
でも、それだけ最近の出来事だからこそ、その傷痕は色濃く残っているんです。
それって、よく考えたら、仕方がないことなのかも。
だって、
「白人は偉い」「黒人は奴隷だ」
そう思い込んで育てられた人たちからしたら、ある日突然考え方を変えろと言われても、頭では分かっていたとしてもなかなか受け入れられないでしょう。
百歩譲って、人々の考え方は、時間が経つにつれて変わっていきます。特に世代が変われば、大きく変わります。
でも、それ以上に、時間がなかなか解決してくれない問題があって。
それが、教育水準の問題なんじゃないかなと。
親の教育水準が、子供の教育水準に大きな影響を与えるというのはいうまでもないですが、
貧困層で育ち、中学校までしかいけなかった親のもとで生まれた子供が、時代が変わったからといっていきなり東大に入るのは難しい、というのが残念ながら現実だったりするのです。
南アフリカでは、アパルトヘイト時代の教育水準で育った親世代が、ポスト・アパルトヘイト時代の子供を育てている。
時代が変わったとはいえ、急に逆転なんてできるわけないのかもしれない。
つまり、教科書的には1994年に終わったことになっているけれど、アパルトヘイトは、今も生きているんだな…。
そんなことを、アパルトヘイト時代に誕生したといわれる、当時の黒人用に違法で出回っていた「ミニバスタクシー」を眺めながら、考えていました。
(画像の引用元はこちら)
でも、だからって悲しくなる必要はなくて。
「解決してないのは、当たり前だ。だって、たったの25年前に、国をゼロから立て直さないといけなかったわけだから。課題はもちろんたくさんあるけれど、南アフリカは、これからなんだよ」
そう話してくれたのは、ヨハネスブルク出身の友人。
黒人の彼は、アメリカに留学をしてからそのまま働く選択肢もあったものの、あえて故郷に戻ってきたんです。
彼のような存在が、少しずつ、アパルトヘイトを歴史のものにしていってくれるのだろう。そんな明るい兆しも感じられる旅でした。
***
編集後記
この記事を書いていて思ったんです。「歴史」ってそもそもなんなんだ!?って。
アパルトヘイトは「歴史」の出来事だと思っていたけれど、自分の生まれた後に起こったことだった
記事本文では、こんな風に当たり前のように書いてるけど、そもそも過去に起きたことなんだからそりゃあ「歴史」に決まってる。
なぜか、「歴史=教科書に載っていること」みたいな変な考え方になっちゃってたんだなあと。
本来は、さっき送ったメールだって、昨日友達と電話で話したことだって、先週の会議で決めたことだって、全部歴史なんですよね。(今私たちが真っただ中にいるコロナウイルスの状況は確実に「歴史」の教科書に載るだろうし…。)
つまり何が言いたいかというと、私たちは常に「歴史」と隣り合わせ。歴史が少しずつ私たちの「今」を形作っていて、それがこれからの「未来」をつくる。
だから、さっき送ったメールだって、昨日友達と電話で話したことだって、先週の会議で決めたことだって、もしかしたら未来を左右することになるかもしれないんだなって。
そんな意識をしながら過ごしてみると、もしかしたらちょっとだけ、生活が変わるのかもしれない?と、ちょっと思ったりしたんです。
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