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「かつめ」をみつめる#4

「かつめ」とは、こちらのエッセイマガジンのことです。

ルールは、月ごとに決められた単語2つを必ず入れること。1つは最初の段落に、もう1つは最後の段落に入れます。この2つ目の単語が、次の月のエッセイへのバトンとなります。

エッセイってわかんね~と思っている私がやること

①『かく、つなぐ、めぐる。』の記事をじっくり読む。
②キーワードが書いている文を抜き出してみる。
③全体の感想を書く。

8月のキーワードは「Tシャツ」と「台風」でした。(はやくしないと9月が終わっちゃうから急いで私)

高校球児の夏の思い出……といっても、誰もがドラマのようにメラメラと甲子園を目指しているとも限らないらしい。運動部の経験がない私にとって、兼子さんのエッセイで描かれる漢の世界は遠く離れたもののように見えるのだが、一方で、兼子さんの心情は運動が苦手な私ともリンクする部分があって面白い。

ずっと辞めたいと思いながらも、気合で3年間耐え抜いたところに尊敬の眼差しを向けている。私は高校の部活を途中でやめてしまったから。たった3年間とはいえ、この3年間は大きい。最後まで続ける人と続けない人では得られる経験が異なる。「高校の部活を途中で諦めた自分」はなかなか忘れられないものだ。

さて、私の高校は野球部がすこぶる弱くて、甲子園なぞ目指せるわけもないくらいのチームだったのだが、それでも部活はきつそうだった。コールド負けするくらい弱かったらしいけど、それでも坊主だし、野球部特有の変な挨拶があった。そういうのは、学校の強さに関係なく一緒なのだろうか?

果たして、強豪校の高校球児がどれほどの練習をしているかなんて、私には到底想像がつかないが、私からすれば学生時代に野球を、いや、運動をしていただけで相当ヤバい。

キーワード①:Tシャツ

夏といえば何か? と問われたら、海、スイカ、風鈴など思いつくものはたくさんあるが、その中の1つに「甲子園」がある。正式名称は「全国高等学校野球選手権大会」だ。しかし、甲子園と言うだけで多くの人はそれということが分かる。それだけ、多くの人に愛されているということだろう。開催期間限定で放送される『熱闘甲子園』なんて、号泣不可避だ。そんな涙もろい僕も、かつては高校球児だった。毎日、泥だらけになった練習着のTシャツを風呂場でゴシゴシと洗っていたものだ。

運動部は運動部でも、泥だらけになったTシャツが出てくるのは野球部経験者だけなのではなかろうか。サッカーやテニスも外でプレイするスポーツだけど、泥というよりは汗のイメージだ。高校は特に、コートがある学校も少なくないと思う。泥まみれで練習していた元サッカー部員、元テニス部員の方がいましたらすみません。

「かつめ」の他のエッセイでも、洗濯物としてのTシャツはちらほら見かけるが、どれも洗濯機で洗濯されたものだった。「Tシャツを洗う」という1つの動作をとっても、誰がどのように何で洗っているかで随分と違う風景になると思った。

キーワード②:台風

人生でたった一度しかない高校球児としての大半をそんなマインドで過ごしていた僕にとって、甲子園に出場している選手たちは無条件で尊敬の対象だ。本来は疎むべきである台風が来て臨時休校になった時に、こっそりとグラウンドに集まり、暴風雨のなか転げ回りながら遊び回っていた自分と比べると、立派な人間しかいない。彼らなら、室内でトレーニングをするか、バッティングセンターに行ってるだろう。そんな彼らはきっと、最後の試合に負けたとしても後悔は残らず、「やれることは全てやった」という、清々しい気持ちになるのだろう。

ーーもう高校時代には戻れないけど、「どんな環境でも後悔しないようにベストを尽くす」という思いを今の僕が持てているのは、間違いなくあの頃のおかげだ。

せっかく休校になったのにグラウンドに集まるんだ……!という驚き。学校から休校情報が下されるのを、願うように待っていた秋頃を思い出した。

私は台風で休校になった日にどうしていたんだろう。少なくとも、家からは出ていないことは確かだけど、何をしていたのかまではさっぱり思い出せない。学校が休みになった時点で、どれだけ風が吹いていようが、どれだけ雨が降っていようが、どうでもよくなっていたに違いない。暴風雨の記憶がほぼないんですもの。


同じように高校球児だった人たちがこのエッセイを読んだら、どんな感想を持つのかも聞いてみたいです。





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