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気にしないふりをする、という話。

■全文3569字


生活を営んでいると
「気にしないふりをする」という場面が、多々ある。


※1年前手記 (昨年24年2月作成)





「気にしい」の人


私はいわゆる「気にしい」だ。
気が付く事がらについて、何かと気にする方である。

要らぬ事まで気にしてしまうので、
周りに迷惑をかける事も、ある。結構。


特に昨今「気にしないふりをする場面」について書いてみる。
それは夫の病気についてだ。



「自律神経失調症」


夫は病気持ちである。
病名は「自律神経失調症」。

いわゆる「慢性疾患」で、長く付き合う代物のようだ。


発症したのは5年以上前。
店を立ち上げて数年目の頃だったそう。


それまで比較的健康体に恵まれていた夫だったが、異変を自覚し始めた。


夜ベッドに入っても眠れない。
動悸がおさまらない。
やたらと喉が渇く。

眠いのか眠くないのかが判らない。
朝は来るので
眠れぬままとりあえず仕事に行く。


そういう日々を過ごしていたある日、
仕事中に倒れた。


心臓が痛い程激しく鼓動するのを感じ、
血の気が引き、立つことさえままならない。


死ぬかもしれない。

そう思い、店内でたった一人だった夫は
自分自身で救急車を呼んだ。


一命は取り留めたが、忘れもしないのが
救急隊員の対応。

その時の担当者は夫の状態をみて

「こいつは大丈夫」
と判断したようで、

病院に着くなり「科まで自分で歩いて下さい」と夫に指示したそうだ。

そこを真っ直ぐ行って左に曲がると
扉がありますから、という具合に。


意識朦朧ながらも歩いた記憶がある、
と夫は私に話した。



その担当者の対応が適切であったかはさておき、本当の地獄はその後から始まった。


状態が落ち着き家に帰った夫は
病院に通院の予約の電話をするが
「初診は2ヶ月待ち」と伝えられたそうだ。

2ヶ月、なかなかの長さだ。
店を出して数年目、
店が続くかどうか正念場にいた夫には
待つ余裕は無かった。


今すぐなんとかせねば、仕事が回らない。

その後病気について
自分で調べまくり、あらゆる民間療法を試し
何とか、今に至る。らしい。


この病気、慢性疾患であり
完治という道のりが、長いようで。

救急車に運ばれ帰された後も、発作が続いた。

発作が起きると胸が激しく脈打ち、
気持ち悪さと苦しみと闘いながら、時が過ぎるのを待つ。それを数年間繰り返した。


正直仕事をしている場合じゃない。
しかし夫は個人事業主、たった一人の会社。


義母も協力しながら、何とか息をし、
店を回して来た。

その後、私が嫁いで来て
今の店の営みを続けている。


民間の厳しさは「異常」


病気発症の原因、
それは「仕事の過度なストレス」だ。


夫は他人と自分の為に店を立ち上げたが、
あまりの厳しさに当初より苦しんだそうだ。


強烈。

その苦しみは強烈だっただろうと、
私は思う。


「見立てが甘かっただけだろう」

と言われればその通りなのかもしれない。
というかそれは「正しい」と思う。


無理がある。どう考えても。


私だったら今の商売を始めようとは思えない。とても。
理由は幾つかあるが、業界の秘密を露呈する事になるので余り書けない。

余り多くは書けないが、

構造が崩壊している。

その事だけは、書いておく。


この業界で「小売店を一から始めて営む」というのは、正気の沙汰じゃない。
傍で観ていて、私は思う。


チューニングが、難しい。
楽器の話ではない。
「真面目さのチューニング」だ。


夫は大変に真面目な性格だ。
真面目過ぎて、真面目に商いをし過ぎて
こわしてしまった。自分の身体を。


趣味の分野を相手に
真面目にやり過ぎてしまったのだ。
その結果が、身体にあらわれた。


トラスロッドを回し切った楽器を
弾ける状態に持っていくのは至難の業だ。

そういう状況を、夫は綱渡りし続けている。

それでもその道を、店を続ける道を選ぶ夫を
私は、見ている。


「気にしないふりをする」時


「気にしないふりをする」のは、夫が発作を起こした時だ。


何度か見ている。
身体がぶるぶると不規則に揺れ、夫は何も出来なくなる。体表は血の気がなく青白くなり、大変に苦しそうな呼吸を繰り返し、勿論喋る事も困難な程余裕の無い状態が続く。

このまま起きないのではないか?

そう思ってしまう。
しかししばらくすると発作は終わり、そのまたしばらくすると夫は現実に戻ってくる。

「ごめんお待たせ」
そう言う夫に対し

「うん大丈夫」
と私は声をかける。


大丈夫じゃない、本当は。
さっきまで大丈夫じゃなかった夫を目の前に、
私は演技をする。

気にしてないふりをする。


救急車を呼ぼうか迷った時も正直あった、
しかし現実は甘くない。と、私は予想している。


呼んで処置してもらったところでその場しのぎなのだ。
薬を飲めばきれいさっぱり完治する訳ではないし、手術でどこかを切れば予後が劇的に良くなるという類いのものでもない。

慢性疾患の治療は、西洋医学の不得意分野だ、と言う人もいる。
その意見にあらかた賛同したくなる自分が今、いる。

発作の間、
ひたすら、待つ。ただ、じっと。
時が過ぎるのを。


夫を救ってくれるのは医学なのか。
病院なのか。なんの薬なのか。
未だ解らずにいる。私は。


泣きたくなる。
夫のいない人生など考えたくは、無い。



日常の「演技をする人々」


私以外にもたくさんの人が

「気にしないふりをし」ていると、

私は思っている。



演技が要求されるのだ、

生活を営むには。



どうしてこんなに苦しい事が起こるのかしらね。つらいわね。


「つらい」と言っている間にも時は過ぎるので、選択肢は3つだ。

改善策を考え実行するか、
そのまま堪えるか、
逃げるか、だ。



今回の主題に対して
私は「そのまま堪える」を選んでいる。




本当は夫に健康でいて欲しい。
店を閉じて2人とも雇われの身に成り
給料を貰う生計の立て方に変えたい、と、つらくなる事が、ある。


でも夫の哲学を見届けるのが私の欲なので、夫の傍に居ようと思う。

斜め後ろから。
時々横から。時々遠く後ろから。


つら過ぎるんだな。
自分一人だけで生きるには。
私はもう自分のためだけに生きるのはしんどい。つらい事はもうご免だ。


辛いのは塩辛と大根おろしだけでいいよ、いやマジで。
こんなに人生世知辛いとは思わんかったよ。

自業自得だが、すべては。
大人だからね。

誰かと生きるという事




夫と結婚した時、思った事がある。



「ああ、生きてていいんだ」
と。


愛するだれかに認められた瞬間を感じた。
社会的に。


どうやら生きてていいようだ。
そう思えた。




だから結婚をしようか迷っている人は、した方がいいよと、私は言う。


どの人と? というのは大変に議論を尽くした方がよろしいかと思いますが、

結婚するか? しないか? で言えば、
するのもいいと思いますよ、と言う。



するしないは自由ですよ、勿論。

でも、もししてくれたら
生活が色付くだろうし、

もしかしたら子どもが産まれるかもしれないし、
そうしたらさらに賑やかな毎日を送れる可能性は上がるし、

周りも元気が貰える。きっと。


子どもは宝だ。
この国の未来は大変に暗いが、それでも
希望を持って生活を営む若い人が増えて欲しい、と強く願う。
(この国の行く先を、気にしないふりを私はしている。何年も。)



つらい毎日に
「一緒に生きよう」と決めてくれた夫に
私は感謝している。

夫を支えようと努力するのは
男女の色恋というより
師弟関係の温情に近いかも、しれない。

救ってくれたから。
どうもありがとう。


だからあなたがどんなに苦しそうにしていても

その道を進むのなら、



出来る事をするよ。
あなたの恩を忘れない。


たとえ先にお空に帰って
一人のこされても。


かなしいけれど。





終わりに


noteを書いていると
「どうして自分の話ばかりを書いてしまうんだろ?」と不思議だったが

(自分の事が好き、という本能に近いナルシストを差し引いたとしても)


責任問題なんだよな、理由は。


書けないのよ、関係があると。

身内か、自分の事しか書けない。

許可というのは、骨が折れるんだな、何事も。



そういや夫の病気の事は、もっと前に書こうとしていた。

去年の11月。あるいは12月8日。

でも色々気にして色々考えてしまい、今になってしまった。

身内の病気について書くなんて非常識かとも思い、躊躇した。

でも、書く事にした。私がのこしたかったから。



そういや、とある楽曲を想いながらこの記事を書こうと決めたが、言ってたな。

たかちゃんが。

「この曲好き」って。


そっかー、たかちゃんも好きかー。よかった。


夫と喧嘩して別れたくなったらたかちゃんには相談しよ。バンドに引き入れた責任だ。




ゆるせるのは大事な身内と、気にしないふりをしてくれる一部の「大人な大人」だけだ。

そう思っている。
今のところ。

だって、つらいじゃん、人生。
精一杯でしょ? あなただって
つらくない演技をしているんだ。


そうして当事者を回避している。


でも知っている。
心優しい人もいる事。

そういう人達の「気にしないふり」という優しさにあまえて、今日私は息をしている。















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