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優しさは見た人の記憶に残る
あれは4年前。春もうららかな…とは言いがたい、若干汗ばむ陽気の5月の真っ昼間。所用で出かけたときのこと。
私がバス停に着くと、ベンチには1人の白髪の老人が座っていた。
その時は「先にベンチ座ってる人がいるなー」ぐらいの関心しかなかったのだが、パッと彼と目が合った時、ニコッと笑って「こんにちわ」と挨拶してきた。
まさか挨拶されるとは思ってなかったコミュ障の私は「あっ、こ、コンニチワ」と、挙動不審な挨拶を返して、ベンチからやや離れた大木の日陰でバス待ちを始めることに。
それから程なくして、5〜60代くらいのマダムが2人、ワイワイ話しながらバス停にやってきた。
すると、どうだろう。
先に座ってた白髪の老人がスッと立ち上がり、笑顔で「どうぞ」とベンチを譲ったではないか。
マダム2人も「いやいや、大丈夫ですよ」と最初は断っていたものの、彼が「私、ちょっと休憩してただけなんですよ。だからどうぞ。」と言うものだから、「じゃあ…」という形で座ろうとしたのだが。
「あ、ちょっと待ってください」
何故か、かの老人が「待った」をかけた。
そして、わざわざバス停の日陰になるところまでベンチを動かしてから、マダム2人を座らせたのだった。
遠巻きに見かけてた私も、マダム2人も、驚いた顔で老人を見た。
マダム2人は「あら〜〜〜っ!!ありがとうございます、優しい〜〜〜っ!!」とキャッキャはしゃぎ、かの老人は「日向じゃあ暑いですもんね」と微笑んでいた。
ちなみに、このとき老人もちゃっかりバス停の日陰に入っている。(自分を犠牲に、人へ親切にしているわけではないというところが良い)
それを遠巻きに見ていた私は「(は〜〜〜っ、コレが本物の「紳士」だ〜〜〜!!)」とわけもなく確信し、心の中で彼を「老紳士」と称賛した。
「優しさ」というのは、当人だけではなく見ている人をも幸せにする力があると思う。
この出来事が印象深く、また良い記憶として残っているからだ。
とはいえ、人に優しくするというのは難しい。かくいう私も席を譲ろうとして断られたことがある。
それなのに、あの老紳士は「ベンチを動かす」という、また一歩進んだ思いやり、優しさを見せた。
この老紳士のようになるには、おそらく相当な気配り力(りょく)が必要になるだろうなとは思うものの、「優しさ」について考えるきっかけになったのだった。
これは余談だが、マダム2人がバスに乗って去った後、老紳士は悠々と去っていった。本当に休憩していただけだった。
そういうところも含めて、私はこの出来事が好きだ。