アリス=紗良・オット
~ECHOES OF LIFE~
いま、買ったばかりのCDを聴きながら、この文章を書き始めている。
”ECHOES OF LIFE”
世界的ピアニストの一人、アリス=紗良・オットの新盤である。
アリスさんの言う通り、日本語訳するのが難しい。
「人生のこだま」が最も適切だろうと、彼女は言う。
彼女の音楽に対するアプローチは深く、また人生観もいつまでも瑞々しい。
だから、言葉にするには困難を伴うが、自分の備忘録のために、そして皆さんが彼女の音楽に触れるきっかけになればという思いで書き進めようと思う。
一昨日のこと、5月27日、僕は愛知県芸術劇場へ向かった。
アリス=紗良・オット、4年ぶりの日本ツアーのために。
4年前の夏、僕は”Nightfall”という彼女のツアーを何気なく聴きに行った。
一番安い席で、遠くから彼女の演奏を聴いた。
その、あまりの衝撃に、たとえようのない感動に包まれたのを忘れない。
時代の流れの速さのなかで、人々は「心」を忘れてしまいそうになっている。残念ながら、僕が大好きなクラシック音楽においてもその影響は避けられない。
ある人は職業のために、ある人は凝り固まった音楽至上主義のために…。
クラシック音楽、そして人は、もっともっと大きな可能性を秘めているのに、人々は小さなエゴに閉じこもろうとして止まない。
アリス=紗良・オット。彼女はそんな現代のなかで、苦しみを恐れず挑戦を続ける稀有なピアニストである。
そんなことを考えながら、新幹線ではなくあえて高速バスで大阪から愛知へ向かった。阪神高速からは、僕が”Nightfall”のときに初めて彼女の演奏を聴いたフェスティバルホールが見えた。
ショパン:24の前奏曲から現代へ
会場である愛知県芸術劇場は初めて訪れた。
名古屋に向かうことそのものがとても久しぶりだった。
行き交う人々から聞こえてくる言葉からもうかがえるが、大阪でもない、東京でもない空気はどこか居心地がよく、新鮮味を感じる。
夕方には会場の近くに到着し、ゆっくりできる喫茶店を探した。
名古屋はどの喫茶店に入っても僕が好きな小倉トーストがある。
会場から程近い、「エーデルワイス」という喫茶店を見つけて、心を落ち着かせる。本棚に置かれていた杉原善之という明治生まれのアマチュア写真家の写真集が目に留まった。70歳ほどで妻を亡くしてから始めたという写真は、余計な欲のない、素晴らしい写真集だった。
「いい時代だったよ。」と店主が言う。
そして、天井の装飾がとても美しい。
時刻は午後6時45分、開演の時刻。
でも、まだアリスさんは出てこない。10分くらい過ぎてから出てきただろうか。その様子もまた、どこか彼女らしい。
彼女はいつものようにピアノ椅子に足を組んで座り、マイクを構えて挨拶をする。その様子が、とても様になっている。
今回のツアーは有名なショパンの24の前奏曲が全てプログラムに入っていて、それが中心となり、7つの現代曲が彩を加える。
7つの現代曲は様々で、プログレッシブロックで知られるバンド”ピンクフロイド”から日本が誇る作曲家、武満徹まで実に幅広い。
「ショパンの24の前奏曲はとても挑戦的」と彼女がマイクを通して言う。
今回のツアーもまた挑戦的で、7つの現代曲を織り込んでいるだけでなく、長年の構想を経て、何度も真剣にアイデアを交換し合ったという建築家のハカン・デミレルのデジタルアートを映像で会場に映し出す斬新なものだ。
僕自身も、「音楽と美術は必ず融合できるはず」という信念をもって過ごしてきたものだから、とても興味深いものだった。
演奏に入る直前、「休憩なしの70分のコンサートなので、どうぞリラックスできる体勢でお聴きください。」という何気ない彼女の優しい言葉が心をほぐす。
彼女が今回のツアーのために公式サイトに寄せた言葉が頭をよぎる。
そして彼女は言った。
「心の美しさを探す旅へ、一緒に出かけましょう。」
アイデンティティ
アイデンティティとは何か。
それが今回の彼女のツアーの命題であったように思う。
プログラムに、武満徹による「アイデンティティ」という曲が織り込まれていることも、それを象徴している。以下のインタビューが僕の脳裏から離れない。まさに彼女の神髄である。引用して掲載するので、皆様にもぜひ彼女のインタビューを観ていただきたい。
「自分という存在は一体何者なのか。」
この発想こそが、人間が絶対に忘れてはならない最優先すべきものだと僕は確信している。
けれど、人はそれを忘れる。恐ろしいのは、僕自身もそれを忘れかけることがあることだ。
多発性硬化症という難病と向き合いながら、さらに深みを増した彼女の演奏が、僕を、聴衆を、「心の美しさを探る冒険」へと恐ろしいまでに引きずり込んでいく。
実は、僕は彼女の公式サイトでの言葉とは裏腹に、一つ一つの曲を意識しながら楽しもうと考えていた。
僕に限らず、クラシックファンの皆さんはそうやって楽しもうとされた方も多かったのではないかと思う。
しかし、演奏に入ってみるとそんなことはどうでもよくなった。
僕らは完全にアリス=紗良・オットという船に乗り、すでに思考と経験の大海原に駆け出していたのである。
ハカン・デミレルによる映像美も、それを大いに手伝っていただろう。
何かの終わりは何かの始まり。
次の一歩、そのまた次の一歩へ。
70分の夢のような航海は終わった。
彼女はいつものように微笑みをたたえて、両手を胸にあてて精いっぱいのお辞儀を繰り返す。
盛大な拍手のもとに、カーテンコールは何度も繰り返され、彼女はときに少女のように小走りで聴衆に応えてみせる。
そしてアンコールは、エリック・サティのグノシエンヌ第1番。
4年前のツアー、”Nightfall”を思い起こさせる小粋な選曲だ。
最後にまた彼女はマイクを手に取って聴衆に話しかけた。
今回のツアーはとても個人的な発想がもとであったことや、名古屋に来ると手羽先を食べるなんて話をして、僕らを落ち着かせてくれる。
会場をあとにしても、僕の心は浮遊していた。
僕はどこに向かうのだろう。どこに向かうべきなのだろう。
そして、何のために生きていくべきなのだろう。
終わりに
実は、今回のコンサートも4年前同様、足を運ぶべきかどうか少し迷ってしまっていた。愛知までは少し遠かったし、心の余裕を少しなくしかけていたこともある。
コンサートを聴いた後は、彼女が言っていた、手羽先か、それか味噌カツを食べようと思っていたけれど、想像以上に精神力を要求されたコンサートだったので少しあっさりした「きしめん」を食べることにした。
初めてだった愛知芸術劇場コンサートホールもまた素晴らしく、名古屋が思っていたより近かったので、また機会あれば躊躇なく足を運ぼうと思う。
それにしても、彼女の音楽への執念は凄まじい。
あれほどまでの凄みは、音楽だけでなく、人生そのものへの執念でもあるからだろう。そして何より、彼女の音楽は無欲なのである。
まだ彼女の音楽を生で聴いたことのない方は、ぜひコンサートホールに足を運んでほしい。
必ず、何か自らの内面に発見があるはずだ。
彼女の挑戦に心から感謝を込めつつ、今回はここまで。
2022年5月29日 白木静
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?