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高給でも尊敬されない分かりにくい仕事の裏側:本当の価値とは?

「カネ」の市場と「尊敬」の市場は違ったりする。

実は世の中にはめちゃくちゃ稼げるけど全く尊敬されない仕事がたくさんある。

あと社会貢献性がめちゃ高いけど全く尊敬されない仕事がたくさんある。

ナイーブな世界観だと人は稼いだり社会貢献することを素晴らしいと思うと予想するだろう。ゆえに高給だったら社会貢献性が高い人ほど尊敬されるように思える。

現実はこれとは逆だ。

例えば

「うちの部長窓際でソリティアやってるのに高給もらっててクソ邪魔」

みたいな会話があったとしよう。

この話の中で「部長」「ソリティア」「高給」だけが客観的な事実で、「窓際」「クソ邪魔」は主観であることが分かるだろうか。

なんらかの仕事をしているのでソリティアをしてても対価が支払われているのであって、残念ながら主観の部分は「認知の歪み」と言われる現象だろう。

ではなぜこのような事態が生じるのだろうか?

それは、人は想像力が乏しく、複雑な現実を把握する能力もまた低いからである。

高給の仕事ほど経験することが難しく、やったことのない人には想像すら出来ないし、主観から抜け出すことができないと現実を客観的に捉えることが出来ないので、社会貢献の仕組みが分からなかったりするのだ。

だから、実は高給と尊敬や憧れはしばしばトレードオフである。みんなひっそり稼いでいるのである。

実際、プライムの企業4000社の事業内容を調べてみると、地味と言うか、ピンとこないものである。それは、自分の理解力が足りないだけのことなのである。各社、稼げる事業で社会貢献性が高いからプライムなのである。

逆にこう考えることもできる。

分かりやすい成果は華々しく、パクりやすく、レッドオーシャンなので、給与が低い。

実に簡単に出来るので、パクったところで見た目には華やかだが稼げるわけでは無いし、周りと似たり寄ったりで埋もれてしまう。

すると「こんなはずじゃなかったのに」と、いつまでもワナビーのまま、次の(人とは違う特別な)「目標」探しに右往左往することになる。

逆に嘘をついて、真似出来ないと思わせることで、尊敬を得る方法もある。こちらも再現性が無いのでタチが悪い。

それが尊敬の「市場」だと言うわけだ。

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