【こえ #23】元気そうだからとりあえず手術やるべ。声は諦めてくれ…
齋藤 久嘉さん
平成25年のお正月。齋藤さんは南米ペルーのアンデス山脈高地にある古代インカ帝国の遺跡マチュピチュを訪れた。帰国してどうにも調子が悪かったが、仕事が忙しい。3月末になってやっと「風邪薬を1か月飲んだ」。それでも喉がいがらっぽく、大病院に行ったら「下咽頭がん」「余命半年」といきなり宣告された。
医師からは「齋藤さん、元気そうだからとりあえず手術やるべ。声は諦めてくれ。」と言われたが、当時は2つの会社を経営しながら地元の区長代理も仰せつかるなど非常に忙しかったため「それどころじゃなく、何とも思わなかった」。
むしろすぐに気がかりになったのは自分よりも周りのことだった。担当医に「手術を1か月待ってくれ」と言い置き、まず区長のもとを訪れて「手術して声が出なくなるから」と区長代理を降りる段取りをつけた。
会社経営の関係で多額の借金もあった。自分にもしものことがあれば、残された奥様に迷惑がかかる。「声よりもそっちの方が大事だった」から、不動産など売れるものをすべて売り払って借金を返済しきった。自身が直面した危機的状況でこのスピードで決断を下すのは経営者ならではだろう。
手術を経て67歳で喉頭(声帯)を摘出するとともに、喉頭と一緒にのどを構成し空気や食べ物の通り道である咽頭を切除したため空調(小腸)を移植することで食道を再建した。
術後に声を取り戻すために、群馬県で喉頭(声帯)を摘出した方が発声訓練に集う「群鈴会」に入会するが、「ここからが大変だった」。
それまで「群鈴会」では、喉頭(声帯)を摘出しただけの「単純喉摘」の会員は自力で発声する『食道発声法』を訓練するが、齋藤さんのように摘出だけではなく空腸を移植した会員は自力ではなく補助具の電気式人工喉頭(EL)を使って話すのが普通だった。
そもそも下咽頭がんは他のがんに比べて患者数が少ない上に群馬県ともなればその数は更に限定され、結果的に自力での食道発声に挑戦し、ましてや他の当事者に教えられる人などいなかったのだ。
空腸移植で初めて食道発声に挑戦する会員として「何もわからないから自己流で訓練を頑張った」。そんなパイオニアだからか、入会してわずか3年で「群鈴会」の会長に就任される。今では空腸移植された多くの方に発声法を伝授し、最近では86歳の方が数年で発声ができるようになったそうだ。
がんを宣告されて真っ先に頭をよぎったご家族には「がんにならなくてもお酒のせいで天国行きだったよ、なんて言われるんだ」。逆に「がんになったおかげで命があるのかもな」と齋藤さんは大きな口を開けて笑われた。
これからもその豪快なリーダーのもとで多くの当事者が声を取り戻すことだろう。
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