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【こころ #65】当事者活動に必要なのはカギとカネとヒト


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稲沢 公一さん


 稲沢さんは、東洋大学で教授として理論福祉学・援助関係論・精神保健福祉を教えながら、脳や心に起因する疾患及びメンタルヘルスへの理解を深め促進する『シルバーリボンジャパン』の顧問も務める。


 稲沢さんは、必ずしも最初から精神保健福祉の道に進もうと思っていたわけではない。新聞で『社会福祉士』という新しい資格ができると知り、「高齢者の世話をするものだと思って」大学に入学した。でも、配属された実習先は、アルコール依存症の男性50名が共同生活する施設。「アルコール依存症って福祉なの?」が、正直な感想だった。

 しかし、「こう表現したら怒られてしまうけれど、面白かった」。お酒に飲まれて、家族や職や財産を失い、精神病院に入院し、その先で行くところがないような方々が、お互いのストーリーをあけすけに話し合う。精神病院の中に入れば、「この世の中になんていう世界があるんだ」と驚いた。

 稲沢さんは、そこから精神障害に強い興味を持つようになる。


 しかし、当時は『精神保健福祉士』という資格がまだ存在しない時代。即ち大学に精神障害に関する専門の授業がなかったのだ。故に大学院に進み自ら勉強を始めた。

 その中で出会い手伝うことになったのが、当事者家族の全国組織『全家連(全国精神障害者家族連合会、現みんなねっと(事務局長は第4話でご紹介した小幡さん))』だった。そして、そこに間借りする形で立ち上がったのが、当事者の全国組織『全精連(全国精神障害者団体連合会)』だった。

 当事者会や当事者家族会との関係をつくり、稲沢さんは大学教員としてのキャリアをスタートさせた。


 そこから20年程経ったある時、稲沢さんは研究費を得たことで、全国の当事者会がどう変わったか調査するためいくつかの支部を回る機会に恵まれた。しかし、そこで、「20年前と同じ人が当事者会をまだ運営しており、新陳代謝がなかった」ことに大きなショックを受けた。

 昔から取り組んでいる人からは、「若くて運営の力もあるような人は仕事をしていて、休みの日に当事者会に出てくるのはしんどい。だから、若い人がいない」といった声が漏れた。

 そうした背景には、稲沢さんが最初に関心をもったアルコール依存症のセルフヘルプグループは「行かないと死んでしまうから行く」が、精神障害の当事者会は「行かなければならない理由がない。だから、行くと楽しかったり、居場所になるような理由まで必要」といった事情もあった。


 そんな中で唯一の例外だったのが、長野県だった。新しい人がやっていて、子供たちに精神保健の授業をやってみるといった新しいイベントも開催していた。そこで出会ったのが、冒頭で言及した『シルバーリボンジャパン』代表の関さんだった(第33話第34話でご紹介)。


 全国の当事者会を見て気付いたことが、一つあった。「継続するには、カギとカネが必要」であること。実は当時、多くの当事者会が、その地域で運営される地域活動支援センターなどの施設を間借りする形で活動していた。活動資金(カネ)はもちろん、場所(カギ)も依存していた。

 そうした中で、長野県の支部は、自ら受託して地域活動支援センターを運営し、賄える人件費が数名分でも7~8名が週の数日単位で分担することで活動を充実させ、その結果、地元自治体の審議会にも委員として呼ばれて要望を発信するなど、いい循環を生んでいた。また、北海道の支部でも、当事者である所長とスタッフによって、当事者会自体が就労継続支援B型事業所を運営することで、自らカギとカネを手にしていた。

 「誰かにカギを開けてもらって集まれるのでは、頻度も限られる。いつでも意見交換ができる自分たちの場所を自分たちで管理することでこそ、変わってくる」。そんな想いが稲沢さんにはある。


 そんなうまくいっている支部にはもう一つ共通点があった。「誰でも全くゼロから切り拓くのはしんどい。頑張ろうとする人の背中を押した人が必ずいた」

 実は、稲沢さんが顧問を務める『シルバーリボンジャパン』も同じだった。かつて代表の関さんが一人で取り組んでいる頃は、関さんが忙しかったこともあり、「年1回イベントをやっても人が集まらないこともしばしばで、理事会を何年も開かないこともあった」

 しかし、そんな『シルバーリボンジャパン』をもう一度動かしたのは、関さんの背中を押した、第14話で紹介した森野さんであり、稲沢さんのかつての教え子でもあり第26話で紹介した船木さんなどの存在だった。そんな支援者が現れたことで、厚生労働省からも声がかかり、毎年10月10日の『世界メンタルヘルスデー』には東京タワーライトアップを行うなど、「活動はあれよあれよと広がっていった」


 稲沢さんが精神障害に携わるようになった30年前は、『統合失調症』が『精神分裂病』と呼ばれ、何の情報も得られなかった時代。そんな症状を「口にすれば、家族の結婚がダメになると口止めされる」時代でもあった。

 30年以上が経った今は、精神疾患患者が400万人以上と言われる時代。各駅にメンタルクリニックがあり、障害者への合理的配慮も始まり、自ら症状を話し配慮を求めることができる時代になった。一方で、未だに精神保健福祉士の資格取得を「そんな危険な人たちに会う仕事はどうなのか」と親から反対される学生にも出会うのが現実だ。


 稲沢さんは、「偏見とは、情報処理の怠惰」と言った。正しく情報を集め、それを正しく解釈する。それが行われないために、障害に対する偏見は残ったままだ。

 そんな偏見を地道になくすためには、正しく情報を発信し伝えていく当事者による活動が欠かせない。そして、そのためにはカギとカネ、そして活動を後押しするヒトの存在が欠かせない。


 これから当事者会を立ち上げようとする方や立ち上げてから苦労されている方は、稲沢さんが見てきた知見と、『シルバーリボンジャパン』の取組体制を是非参考にしていただきたい。




ここまで読んでくださった皆さまに‥


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