【こえ #32】ずっと営業職。社内外でしゃべるのが仕事だったから…
林 宏一さん
「ずっと営業職。社内外でしゃべるのが仕事だったから。」
人当たりのよさそうな雰囲気をまとう林さんが、下咽頭がんと告げられ、喉頭(声帯)を摘出する手術を受けたのは約5年半前。
医者から「声が出なくなる」と言われても「かすれが多いなど、その程度の声は出るだろうと高を括っていた」。でも、「全く話せなくなった」。
「ホワイトボードを使ったりメールでやり取りすれば何とかなるだろうと思っていた」。でも、「仕事を進めていく中で喋れない不便さを身に染みて感じた」。
営業畑を歩んできた身として「大きなダメージだった」。
術後に会社に復帰するのと同時に、がんで声帯を摘出し声を失った人の社会復帰を支援する「銀鈴会」に通い始める。発声練習をする機会は、週3回の火・木・土。平日は会社の昼休みを利用し、土曜は自宅から通い続けた。それ以外でも、会社に出勤すれば始業前に会議室でひとり発声練習を行い、休憩時間には仲間に自分の声を聞いてもらい、営業先に行って無理やり喋る実践までした。
それを1年ほどやり続けた結果、日常生活に必要な会話が比較的に自由にできる“中級”発声レベルまで取り戻した。「営業職で人前で話すのがアイデンティティだったから、取り戻すにもそれがうまく働いたのかも」と微笑まれた。
そんな折だった。癌が肺に転移していることがわかった。会社も「銀鈴会」も約1年間の離脱を余儀なくされた。やっとの思いで取り戻してきた自分にとってあまりにも「衝撃だった」。
しかし、林さんはまた会社にも「銀鈴会」にも戻ってきた。会社では、より営業支援側に仕事内容は変わったものの、今でも営業部門で活躍されている。「銀鈴会」では、今では発声訓練士として初級クラスを教える側になった。
「銀鈴会」に入会された5年半前を振り返って話された。会員数は「今の5倍もいて、大部屋の椅子がすべて埋まるほどだった」。しかし、コロナ禍で「会の中でも流行したり、高齢者が多いから感染したくないと思う人も多く」、会員の足が遠のいた。
コロナで減ってしまった会員を取り戻すため、「病院の然るべきところや各自治体の福祉課にパンフを置いたりすることで、まず知ってもらうことが大切。会員のネットワークからも広がっていってほしい。あと、、、」
そう話し始めた林さんの顔はもう、一度声を失ったとは思えない、営業マンの顔になっていた。
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