【て #2】障害を諦めてこなかったパラテコンドー選手
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大津恵美子さん
「障害」を辞典で調べると、二つ意味が出てくる。
さまたげること。また、あることをするのに、さまたげとなるものや状況
個人的な原因や、社会的な環境により、心や身体上の機能が十分に働かず、活動に制限があること。
パラテコンドーの強化指定選手である大津さんは人生でどちらにも直面した、なんて安易に言いたくなる。でも、大津さんは「別に障害だと思ってませんけどー」なんておどけて答えそうな気がする。
「スケボーやってて、手を真っ逆さまにスーパーマンみたいに着地したら、粉砕骨折しちゃったのー」
怪我は「まだ腕がくっついていてよかった」というほどひどく、大津さんの関節は見た目には残っているが、ボルトが何本も入っている。握力は少し戻ったが、「左手で携帯電話をもって肘を曲げて耳まで持ってくることはできない」左肘機能障害を負った。
学生時代は競泳選手で、社会人になってからは自然の水の中で行われる長距離水泳競技であるオープンウォータースイミング、スキーやスケボーもやるほどのスポーツ好き。
「昔からこれができなくなるかもと思うと、どうしてもやりたくなるんだよね」。スポーツができなくなるかもしれない。当初は水泳でのパラリンピック出場を考えるが、大津さんの障害の”軽さ”では出場の枠がない。自分の障害でもチャレンジできるパラスポーツを探した結果が、パラテコンドーだった。
テコンドーなんてやったこともない。当然、最初は負けて壁にぶち当たる。でも、「そこで続けるか続けないかで決まる。悔しくて乗り越えるか、嫌だで辞めちゃうか」
「死ぬかと思うぐらい」トレーニングを続ける中で、乳がんが見つかる。「おっぱい取れるチャンスだと思った」と言われ、きょとんとする私に、「試合前の減量では500mlのペットボトルも飲めない。おっぱいが取れると、300mlの水が飲めるのと等しいんですよ」と説明してくれた。きょとんは特に解消されない。
胸の形を残す温存手術を提案されても「いらないからって取ってもらった」。欠損が当たり前のパラスポーツの世界に入り、他の選手たちも見て思ったのは、「形が違って何か困ることってあるっけ?」
大津さんは、左胸全摘手術を行い、手術の際に胸に入れたドレーンという管を抜去してからわずか2週間で、全日本選手権に優勝した。
大津さんの「ぶっとんでポジティブ」な考えには、理由がある。
生まれてすぐに新生児集中治療室に入り、医師からは「あまり長く生きられないでしょう」「知的障害が残るでしょう」と言われたと親から聞かされて育った。結果的に何の障害もなく育ったが、「生きているだけで丸儲け」と思って生きてきた。
育った家庭では、父親が蒸発した。それでも「へこまなかった」。じゃあ「たくさん働かないとね、お金がないから引っ越さないとね」と感情的にならずに合理的に考えた。
お金がないせいで学校も行けない状態だった。じゃあ「学校で勉強できないなら、無料の図書館でタダで勉強した」
留学に行きたいけどお金がなかった。じゃあ「語学学校の現地スタッフとして働きながら言葉を学んだ」
パラテコンドーと同じ。共通するのは、”障害”があっても「諦めるか、やろうとコミットするか」
自分だけがそれをできる世界を目指しているわけではない。
大津さんは週末に重度知的障害のお子さんの自宅を訪問して家庭教師をしている。「”障害”の名前がついただけで、生きづらくなる、だから周囲が配慮することで終わることを許さない」
無理強いする話ではない。例えば、運動をすると脳の認知能力が上がると言われ、実際に「言葉を少し多めに覚えたり、我慢する力が増したりする」。だから、運動のコーチも行い、最後は伴走で一緒に大会にも出場し、10kmを完走した。ご両親も喜んでくれた。
「多くの人たちが社会課題があっても不満を言うだけ。解決策が見つかったのであれば、やらない手はない」。大津さんにとって、「家庭教師をすれば、たった5人でも手助けできる」のだから、やらない手はない。
そして、例え障害があったとしても「一方的に社会に理解を求めて、歩み寄ろうとしないのではなく、当事者も社会も双方で歩み寄ろう」と未来の子供たちに伝えたい。
なぜそこまでやれるのか?と聞くと、「自分ができないって言われたことを、できたことを自慢したい。わたし生きてますよ~って。自分の証明かな」と返ってきた。恐らくそれは、生まれてすぐに命を拾ったところから始まっているのではないか。
大津さんの次の自分の証明は、「2026年に愛知・名古屋で開催される第20回アジア競技大会に日本代表として出場し、メダルを取ること」だ。
その姿はまた、”障害”を前に諦めない人の模範となるだろう。
ここまで読んでくださった皆さまに‥
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