第九章Tears of The Baddest Man on the Planet.
その日の夜
19時からホテルの地下にある会場でタイソンが招待していた外国人達を招き、祝賀パーティーが予定されていた
俺は約束通りお母さんをエスコートしなければならなかった
実は試合の10日前、新館のエレベーターで紛れ込んで乗ってきた40歳前後のアマチュアカメラマンに袖口を引かれ
『何だ?』と鋭く問うと、その男は首からカメラをぶら下げた姿で
『すみません。 貴方はマイク・タイソンの関係者でしょう、ちょっとこれを見て下さい、お願いします』
と差し出されたのは写真のアルバム帳で、そこには売り出し中のタレント達が写っていた
『私は有名人の追っ掛けカメラマンです、私の趣味なんです。 もう一週間前からどうしてもマイク・タイソンの写真を撮りたくて
チャンスを狙っていましたが、結局1枚も撮れませんでした・・・ お願いします。 貴方の力で1枚でいいですからチャンスを作って下さい』
『お前は何処から来たんだ』
『はい、静岡から来ています』
俺はその男の態度についホロリとしてしまいつつ、世の中には色々な趣味を持った人間がいるものだと驚いた
『よし。 それならタイソンの試合の日を調べてな、試合に勝ったら地下の会場で祝賀パーティーがあるからその時に会場の中に連れて入れるか約束は出来ないが、そんなに頼むのなら会場入口に待機していな。 チャンスがあったら中に入れてやろう』
『ありがとうございます。 必ず待機しています』
ホテルのガーデンラウンジでお母さんとお茶を一緒にして俺の左腕に手を絡ませたドレス姿のお母さんをエスコートして会場に向かった
会場の入口には受付テーブルがあって、その隣にちょこんと座っていたアマチュアカメラマンは首に2つのカメラをぶら下げて待っていた
『二時間も前から待っていました』
『よし、俺に着いて来い』
俺は左腕にお母さんをエスコートしながら右手でそのカメラマンを引っ張る形で会場の中に入った。 誰も文句は言わなかった
会場内はアメリカ大リーグの選手やら
200名位の招待客で埋め尽くされていた
タイソンに俺が花束をプレゼントすると、すかさずそのカメラマンはタイソンと俺が並んだ姿をカメラに収めた
すると会場内の招待客が持参のカメラでタイソンを撮ろうとすると、タイソンが言った
『ピッチ・ノー 今日は私が皆んなを招待した。 しかし、ピッチ・ノーだ』
鋭く言い放ち、誰も写真は撮れない・・・
俺とそのカメラマンは、俺が握手して回る相手を撮りまくった
招待客の中にはテレビの中でしか知らない元・ヘビー級チャンピオンの
カシアス・クレイ
モハメド・アリも来ていて
俺は握手を交わし一緒に飲んだ。
クレイの目は不気味な目をしていて
まるで鮫の目を思わせた
目は笑っていないが、全身で喜びを表して俺と接してくれた
会場の隅っこにポツンと日本人が居た
その方はなんと、日本プロボクシング協会会長ファイティング原田ではないか
ファイティング原田も
元・世界チャンピオンではあるが、ボクシングの世界ではヘビー級の選手達は軽量級のボクサーなんか目にもくれない世界である事実を、この会場で目の当たりにした
しかし俺はファイティング原田に握手を求め、敬意を込め二人で写真を撮った
パーティーは1時間位で終わってしまったが俺は水割りのグラスを片手に祝賀パーティーの雰囲気に静かに酔っていた・・・
明日はタイソンチームが米国へ帰国の途に着く日である
俺としては成田空港迄、見送りに行きたかったがホテルを離れる事は俺のボス伊藤先生に失礼になるので、グッと我慢した
その夜、バーカプリにイライジャーがお金を持って来てくれた
『政成、ボスからだ。 受け取ってくれ』
『ありがとう。 半分は親分に届けるよ』
お金は500万円入っていた
『イライジャー、シカゴに帰っても俺は同じ部屋に居るから必ず電話してくれ。 元気でな』
俺は日本のヤクザ、親持ちの日本のヤクザ。
いくら俺が日本人離れした日本のマフィアであろうとも、親分を思う気持ちは誰にも負けずに持っていた
俺はお金が1000万円入れば半分の500万円、100万は入れば50万円、10万円なら5万円と必ず親分に届けて受け取ってもらった
タイソンから受け取った内の半分のお金を親分の元に持参して、そこで初めてマイク・タイソンのボディーガードを務めた話しを伝えたのだ
俺はタイソンチームが帰国後も伊藤先生のボディーガードを続けていた
しかし、そのボディーガード業も終わりを告げようとしていた
伊藤先生からも謝礼の500万円貰ったのを機に、俺の選んだ道はやっぱりと己の親分の元へ戻って行った
伊藤先生は、このまま続けてくれたら近いうちに立派な事務所を構えさす。 と、申されていたけれど俺はこの4ヶ月間余りにも先生に甘え過ぎて大きな負担を掛けている事に、俺自身が申し訳なく思っていた
タイソンのボディーガードを務めながら、その経費は全て先生から出ており。 又、それに甘えて俺も1日10万円の飲食を続けてしまい
先生に対して心苦しい思いが日増しにあった
先生はその間も俺にお金を儲けさせようと考え、アルゼンチン産の牛のなめし皮2000トンを一括で輸入する話を下さり
俺は早速、会長を通じて日本一の毛皮商である大阪のチンチラ井上社長と、奈良市長の後援会長ハクオー商事東田先生を紹介してもらい
俺が話を取り持ち商談を進めていたけれど、塩漬けにしたなめし皮は不良品も相当混ざっているだろうとの結論に至り折角のお金儲けも頓挫してしまった
伊藤先生と久しぶりに会食を共にした際に
『政成君、2・3日したら総理大臣が初渡米の前に、私の隣の部屋に来るんだよ』
『え、総理大臣がですか』
『2日位の宿泊予定だよ』
2日後にソッと伊藤先生の部屋を覗きに行ってみたら、先生の隣の部屋にはSPが二人ロープを張って立番をしているではないか
先生が話していた
『私の仕事には、私の上と下が1人だけ分かっていて私の上には官房長官がいてそれ以外はお互いが知れない方法になっているんだ。 政成君は私の横の繋がりだ』と、話されていたのを思い出した
しかし、先生の隣の部屋に時の総理大臣が宿泊したとは、しかも1週間後には初渡米という。 慌ただしい時に俺のボスは一体何者なのか・・・
世の中には表と裏の世界が有り、裏の世界を手っ取り早く知りたければ警察官かヤクザの大物に成れば良く分かる。 と、いう言葉は知ってはいたが、本当に表と裏は存在しているのである
悪がいなければ正義は成り立たない・・・
現実問題として俺はヤクザ者ではあるけれど、東京のヤクザ者は凌ぎについては極秘中の極秘であって、それぞれが何の凌ぎをして生きているのかは霧の中だ
それはそれで。
秘密を知られたら妬まれ、歌われ、身体が幾つあっても足りない
ヤクザの世界も孤独なり・・・
イライジャーがシカゴから国際電話を掛けて寄越した
『政成、日本ではとても世話になったその御礼を兼ねての話しではあるが、黒人の女で20歳のシンガーソングライターを日本の政成の元に送りたい日本で歌手として売り出して欲しい。 テレビとかに出演出来ない時は、クラブ歌手でも良い。 全ては政成に任せる、どうだ?それで先ずは、歌のデモテープを送るから動いてみてくれないか』
『オッケー任せなさい』
俺の親分は、東京の最大大手のプロダクションの会長と親しくて事が起きたら面倒を見る立場にあったので早速、デモテープを試験的に確認してもらう件を頼み込んだ。
しかし間抜けな政成は、実はこれがこれで。 これだけの人間が自信を持って送って寄越したデモテープですから。 と、こんな話し方も出来なかったとは・・・
本当に、本当に間抜けである
『会長。 このデモテープ、どんなものかプロダクションの方に聞かせてみて下さい。 お願いします』
たったそれだけの言葉を添えて渡しただけで、最も聴く方が聴けば分かって貰えるという、浅はかな考え方しか持ち合わせていなった・・・
会長に同じ話を何回も話したくはなかったのだが1ヶ月間、何も返事がないので『会長、例のデモテープの結果はまだですかね』
『そうだな、そのうちに聞いてみるよ』
政成は思っていた。 シカゴのマフィアを代表してやって来たイライジャー
その男が御礼を兼ねて、しかも政成の為に成ると考え送って寄越したデモテープ
その歌い手はやはり一流なのだと・・・
日本でデビューさせたら俺にとってもドル箱となり、イライジャーに対しても顔向け出来る。
しかしこの話の3度目は会長に聞かなかった・・・
この件に対して納得いかなかった俺は、10年後に会長に問いかけた
『会長、10年前に渡したデモテープがあったでしょう。 実はあのテープは一流のテープだったと今でも思っている訳です
何故かと言えば、一流の男が私に託した物だったのですから・・・』
『なんだ、そうだったのか。 あの時にお前が詳しい内容を話さなかったからな』
『今、考えてみてあの時に詳しい話しをしたら会長もプロダクションへの頼み方に熱が入ってたでしょうし、相手方も違った方向で熱が入りそれなりの対応をしたのではなかったかと、今になっても思っています』
なんと奥ゆかしい男であろう・・・
結局、イライジャーの好意からなる黒人歌手の日本デビューの話しは、デモテープを誰が聴いたのか、何人の方が聴いてくれたのかすら分からない
それでもイライジャーは、俺にアメリカに来るようにと誘いの電話が相続いた
『俺は前科者の上、指も無ければ顔面に刺青まで入れている。 どうしてシカゴに行けよう・・・ 行きたくても無理だよ』
『カナダ経由で来る事は出来るだろう』
『そうか、ならば会長に相談してみよう』
古政会会長、古川政雄親分に話した
『なにぃ? アメリカに行きたい?』
『はい、シカゴに・・・』
『ダメだ、東京からは絶対に出さない、これは命令だ。 訳は言わなくとも分かっていると思うが、それ以前にお前だけは手元に置いておく』
『そうですか、わかりました・・・ 親父は我が子をシカゴのマフイアに送る度量は無いのですね』
『そうだ。 古川政雄はこんな男だ』
早速、イライジャーに電話を入れた
『そうか、ボスが反対したか・・・ 政成の考えだけではダメか。 政成ならシカゴで俺と組めば立派にやれるのに残念だな。でもこの話しはいつまでも忘れるなよ』
イライジャーとの電話でのやり取りは月に1回位のペースで何時迄も続いた
俺はシカゴ行きは断念したが、頭の中ではシカゴに行きたい考えは何時迄も消える事は無かった
その時点で俺は、日本のヤクザとして既に失格者だったのだろう・・・