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第四章Tears of The Baddest Man on the Planet.
親分はあいにく不在で、1時間位だろうか家の前で佇み帰りを待った。 しかし親分は帰って来なかったので、兄貴分である先輩の家に行った
『どうしたんだよその手は』
『指詰めて親分の家に持って行ったら留守なのでこっちに来た』
『なんで指なんか詰めるんよ、堅気にでもなるつもりかそれとも何かあったんか』
『いや、堅気になる気なんか更々ないよ。 理由は何も言わず、指だけを親分に持って行ってよ。 俺は今から病院に行くわ』
『そうか、分かった。 指は預かって俺が持っていくよ、早く病院行ってこい。
お前が帰って来るから背広を作って持って行けと言われて、お前の家に行ったら、お父さんが迎えは私達が行くから遠慮してくれと言われ
迎えに行けなかったんよ。 遅くなったけど出所おめでとう。 後で一杯飲もか、早く病院行って来い』
これで第一関門突破
一カ月位、田舎で刑務所のアカを落として俺は大海を見学、いや。 ヤクザの修行の旅に出るのだ
ヤクザがヤクザであろう事を、一通り見たりやったり、己で体験もしない事を下の人間にああでもないこうでもない言えるものか
俺はそこらのヤクザになんか成りたく無い、何の為に刑務所で突っ張って来たのか、意味もないわぃ。
そんな思いで指の処置へ向かった
修行というものは親分の下、もしくは兄貴分の下で怒られながら、助けながら、一つずつ学んでいくもの
俺の修行は第一歩から。 そこらのヤクザとは違った道を歩き出したのだ
病院から同級生が経営している床屋へと向かった
『おおう、帰って来たのか。おめでとう』
大きな鏡に映った顔面タトゥーと包帯に巻かれた左手を見つめた同級生も不思議と何も聞かず髪を綺麗に整えてくれた
夕方まで時間を潰し、国分の街に飲みに出かけた
指を詰めたばかりで飲んだらいけない事は分かっていたが、先輩達とも合流し3年振りの酒を飲み
家に帰り、父ちゃんの隣に敷いてある布団で静かに横になったが指の痛みで眠れるものではない
痛み止めの薬は同級生に持たせたままだったのだ。
アルコールがだんだん切れて来るにつれ痛みは増し、せめて夜が明けるまでは父ちゃん母ちゃんを静かに眠らせてやりたい
でも痛い。 心臓が移動して来ている。 掛け布団の重みで当たると痛い。 外に出したら手が冷えて又、痛い。
一ヶ月は国分の街に居た。 もちろん親分の所にも出入りし、指の件は兄さんから話してもらっているので俺には何も問われなかった
けれど、親分と親分の兄貴(総長代行)と共に別府の街に義理状を届けに行く時、親分が兄貴分に話し出した
『兄貴、板元がなぁ、出所の日に指を詰めて指は預かっているのだけれど、理由を何も言わないで困っている、どうするかな』
俺の運転で親分達が俺の指の話をしているのでドキドキしていると、
『出た日に詰めたんか。 その指は何か意味がある指だぞ・・・』
『そうか』
『このまま黙って預かっておれ。 いつか堅気になりたいと言い出す日があるかも知れん、
失敗をしでかす時があるかも知れん、そん時のつもりで預かっておれよ』
『そうだな。 分かりました兄貴』
俺は人の心の深奥を見れる親分が居る事に驚き、とても嬉しかった
総長代行は12年後、俺が東京の親分と養子縁結の話し相手になった親分であった。
当時の鹿児島はモンロー主義。 他団体と一切の縁組禁止があって、その中でも唯一認めてくれた親分であった
さて、初めての旅は出所1ヶ月を過ぎた頃に、兄さん分の一人と些細な事で揉めて自転車を投げつけられて
折角治りかけた小指が切れ出血してしまった事をキッカケに話は進んでいった
子分の中に4歳年上の兄さん分がいてその兄さんは俺と同じ実父が韓国人であるというそれだけで急激に仲良くなっていたのである
その兄さんに血の流れる小指を治療を治療して貰いながら、俺の方から相談を持ちかけた。 揉めた兄さん分に仕返しをしたいと
『揉めたらいかん』と、俺を優しく諭すのだったが、『それなら俺は暫く旅に出る。親分には黙って行くから兄さんから暫くの間、
許してくださいと親分に良く話して下さいよ』『旅まで出ないで良いものを、分かった。 親分には話しておく』
とは言いつつも俺の腹ワタも収まらず、一晩寝て朝になっても悔しかったから揉めた兄さん分を殺りに行こうと
枕の下にドスを忍ばせて朝を迎えたら、その兄さん分が昨晩の件を謝りにやって来た。
それで仕返しは断念・・・
旅に出る話しも、その兄さん分には黙って別れたのであった。
最初の旅は高校生の時からの兄弟分の所と決めていた。
その兄弟分は、実の叔父さんが鹿児島で有名な組長なのに、その組で修行をしないで
同じ田舎出身の名古屋で組長になった人間の所で組員になっていた
名古屋に着いて4年振りに会うと、とても喜んでくれた
暫く厄介になるわと話して、安アパートも借りて生活を始めた。
何日かして、兄弟分の部屋に遊びに行くと。 詰めた指が小瓶に入れられ、インテリアの如く飾ってあった
『兄弟、あの指はなんない』
『色々あったから田舎に帰ろうと決心して詰めたんだけど、姐さんに泣き口説かれて田舎に帰れんようになった』
と、話すではないか。 男が指まで詰めて決心した事を、いくら姐さんが泣いて止めたって
その色々が改善されない限り、解決するはずのは無い話である
この1ヶ月間、兄弟にしか言えない男の愚痴として、既に何十回と兄弟から親分との話を聞かされていた。
しかし、その内容がお金の絡む聞くに耐えられぬ話になっていた
俺達の歳は若く、まだヤクザとしては一人前では無いけれど燃える桜島を観て育って来た熱き血の沸る、薩摩隼人でもあった
『兄弟、俺に話してくれるのは他言無用の兄弟だからと話してくれていると思って、ずっと聞いていた。
兄弟、 俺達の世界は親分に何かあった時、俺達子分は命を賭ける、そんな世界だ。
兄弟はそんな親分の愚痴ばかり言って、いざとなった時にそんな親分でも命を賭けて、親分の為にやれるんかい?』
『・・・・・』
『兄弟、あと指一本詰めて、鹿児島に帰らんか。 俺も一緒に詰めてやるから・・・
その代わり間違っても又、引き止められたらその時はどうすれば良いのか分かっているよな』
『おう、分かってる』
『よし、それなら今から詰めよう』
兄弟の部屋には舎弟と先輩二人が集合した。 皆、鹿児島出身者
すると兄弟の舎弟が、
『私も指を詰めて鹿児島に兄貴と一緒に帰ります』
『そうか、そんなに兄弟の事を思っているのなら、ほれ。 そこに兄弟が詰めた指があるじゃないか。 兄弟の指では嫌か?
俺達は既に指が無いから又、詰めるだけの話だけれどお前には指がまともにあるのだから、大事にした方がいいよ』
『分かりました。それなら兄貴の指を生かす事にします』
そうしてテーブルにまな板と出刃包丁を持って来て、俺が有無を言わさずに兄弟の右手の小指を飛ばしてやった
指は一発で飛んだ。 そして俺もまな板の上に右手の小指を投げ出し、今度は兄弟分が右手で包丁を持って俺の指を飛ばした。
俺にしてみれば、俺から口を切った兄弟分の為の義理の指詰め、この先、思う通りにさせてもらう為の意味深い指詰めだった
誰が見ても俺が先導して皆んなに指を詰めさせた構図になってしまったが、仕方がない。
指5本を持って親分の元に持って行っても親分は会わず、若頭が『こうなったら仕方ないな』と。
兄弟達は鹿児島に帰り、1人の先輩は名古屋に残り、
もう1人の先輩と、丁度その時に来ていた北九州市の彫師と一緒に俺は、北九州市を次の旅先に決めた
兄弟と別れる前に東映の映画館に一緒に出かけますた際に運悪く兄弟の居た組の本部の若頭にバッタリ会ってしまった
『お前達5人揃って指を詰めたらしいな。アッハハー』
怒られると思っていたのに笑い飛ばす。 凄い男も居るものだ。 この人も漢に違い無い・・・
北九州市は彫師の出身地で、俺の先輩とは大分市の特別少年院で知り合って先輩の組には彫師の仕事で来ていたのだが、
お金も貰えず怒っていた。 彫師は車を持っているけれど、免許は持っていないと言うので俺の全身に刺青を入れてくれるという条件で、
彫師の助手がてら運転手をしていた。 彫師は北九州市の天頼寺に住んでいたので、天頼寺彫孝という名であった
俺は彫師の手伝いとして全身に刺青を入れてくれる事に感謝をしていたが、彫師の考えは別にあって、間も無く懲役から帰って来るであろう
兄貴分の舎弟に俺を刺青の義理を持ってさせようとの魂胆があったのだ。その兄貴分が出所前に俺は刺青も途中で断念せざるを得なかった
それでも両肩から腕にかけて手首まで九分の刺青を入れてもらった
唐獅子三匹に牡丹の華、五葉のそれは綺麗な刺青であったけれど、まだ色の入っていない筋彫り未完成ではあったが俺は感謝している
北九州市から田川市は近くて、刑務所の御礼を兼ねて、修ちゃんに会いに行った。
修ちゃんは俺の為に、保護房で9食の断色をさせられるハメになった仲だ
修ちゃんは兄弟分5人で組を立ち上げ、若頭になっていた
しかし、組長が姐さんと拳銃自殺をして組は2代目として残りはするものの、その当時は修ちゃんの奥さんが自殺した時期でもあり
3回目ぐらいに会いに行った時の事だったが、2階建ての修ちゃんの家が葬式でごった返していた
俺はその時、あいにく上下真っ白な服を着ていたので、修ちゃんに声を掛ける事もなしに手伝いの方に誰が亡くなったのかを尋ねた
修ちゃんの奥さんが亡くなった事を知り、俺はその足で文房具屋に行きそこの主人に香典袋に綺麗に名前を書いてもらい、修ちゃんの家に戻った
黒服の腕章を巻いた方に『すみませんが、何も知らずにこんな白い服を着ているので、これを修ちゃんに渡して下さい。二、三日したら又来ます』
と、伝えてもらい電車に揺られて田川市から小倉区へと、そしてバスで戸畑区へと帰って行った
ところが、その日の夕方になって車で修ちゃんが来てくれた
鹿児島へ帰る事になり、兄さん分と一緒にいる時に別の先輩と揉めて俺は三十八針も縫う大怪我を左側頭部に負うのであった
この時も剣道二段のお陰で命拾いをした。 大怪我を負った晩に俺と兄さん分の宿を聞きつけやって来た相手の実弟が左手小指を詰めた姿で
おでんを皿に持って来てくれて口も碌に聞かない俺の口元におでんのゆで卵を半分に割って『食べろ』と言うので無理に口を開いて食べた
鹿児島に先に帰って来ていた兄弟分も来てくれて『仕返しをやるなら一緒にやろう』と言ってくれた
揉めた先輩とは兄さん分が仲裁に入りなんと十七年後に全てを水に流して和解したのであった
俺は大怪我を負ったけれど、その時の立ち振る舞い全てを見た先輩は身内の人間達に
『板元と揉めても絶対に手を出すなよ。手を出したら今度は殺させるぞ』 と、話していた事を後になって何回も耳にした。
和解した後なので理由は書かないが、実弟の指詰めで想像してもらいたい
俺はまた旅に出た。 既に二十六歳になっていた
父が胃癌で手術した事も、前立腺肥大で手術した事も知らないで旅の空に、虫の知らせがあったのだろうか
家に電話をしたら母ちゃんが言いた
『なんで、ちょいちょい電話も入れないんね。 父ちゃんが2回も手術して姉ちゃん達も帰って来たのよ。 もう危ないからすぐに帰れ』と
家に帰ったら父ちゃんは病院で死にたくない、死ぬ時は家の畳で死にたいと言って痩せて骨だらけになった姿で静かに寝ていた
父ちゃんを励まして、暫くは家のみかん山の仕事をすると言って長男の一人息子、父の代わりに働くのは当たり前の話ではあるが家の手伝いをした
『家の蓄えも相当あったけれど、2回の手術で使ってしまいお前に何にも残すものも無くなってしまい申し訳ないな』と、言うのである
『父ちゃん何を言うない。 親の手術代を子供が負担しても当たり前なのに、父ちゃんは全部自分の金で済ませたのだから立派なものだよ』
そして、いよいよ危ないと先生を夜に呼んだのであった。 先生は2日に1度、往診に来て
ソ連製の痛み止めを1回五千円で、ずっと注射してくれていた事も母ちゃんが教えてくれた
その夜は末期のお水を口に含ませたりしたのだけれど、そんな時に限って同級生が家に来て、どうしても今から鹿児島に行かなければいけない用事があるから一緒に来てくれないかと言うのである。 結局は家を出て、加治木町から高速道路に乗り途中の桜島サービスエリアで車を止めて
しばし休憩を取り、車に乗り込もうとして運転席のドアを開けた時だった
屋根越しに助手席の向こう50メートル位の何もない切りたった山の涯にパッと花火みたいな火の玉が上がった
俺は『うわぁ』と声を出して仰け反り、その姿で火の玉を追うと火の玉は段々と天空の高みに昇って逝って、静かに尾を引いて消えていった
方角は北だった
北といえば、父ちゃんが生まれた韓国の南海島の方角ではないか
すぐに同級生に『今、何時だ?』 『一時十五分だ』 『そうか・・・ 今父ちゃんが死んだかもしれん』
公衆電話を見つけて母ちゃんに電話をした
『どこにいるの・・・ さっき父ちゃんが死んだよ・・・』 時間は一時十五分だった
北の空に飛んで逝ったあれは、きっと父ちゃんだったのだ
俺は父ちゃんが韓国人だと人から聞いて父ちゃんと碌に話もせずに、本当なのか聞きもせずに勝手に愚れてしまった
今まで一端のヤクザ者のつもりでいるが、父ちゃんは最後にもう2度と会えないぞ、と言うかの如く俺の前に現れて
最後の最後までバカ息子を思う気持ちが強く、永遠の別れを告げに来てくれた
父ちゃん、有難う・・・