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第八章Tears of The Baddest Man on the Planet.

ホテル内には黒人マッチョ男に憧れを寄せる、所謂グルーピーと呼ばれる日本の若き女性達もたむろしていた

どうにかしてタイソンチームの引き連れて来た若き練習相手。 ヘビー級のポープ達10人
やがてはその中からチャンピオンが出現するかもしれない可能性を秘めた男達に、グルーピー達は接触を求めて集まって来ているのだ

その中の二人が終電に乗り遅れ、ホテル内の来客用ソファーで一夜を明かそうとしているので
みかねた俺は声を掛けた

『こんな遅くにどうしたんだ』

『どうにかして黒人の男に会う機会を求めていたらこんな時間になって家に帰れなくなってしまったので、ここで夜を過ごす事にしました』

『そうか、女性一人だったら誘わないけど二人だから。 俺の部屋はシングルで少し狭いけど、そこで良ければ貸してやってもいいよ』

『お兄さんはどんな人?』

『俺か、俺は用事でずっとホテル住まいをしている者だ
ホテルの副支配人もよく知っているから何も心配要らないよ
もしかしてアンタ達は、マイク・タイソンと一緒に来ている黒人ボクサーを追っかけ回している連中の仲間か?』

『きゃぁぁ。 そんなにモロに言わないで恥ずかしいから、でも本当よ』

『俺はそのボクサー達とも親しいけれど、紹介なんかはしてやれないぞ』

『お兄さんボクサー達とも知り合いなの?  それなら紹介して欲しいなぁ』

『それは出来ないよ。 よし二人共、俺の部屋に連れて行ってやるからそこでシャワーを使ったり、夜飯もルームサービスで取ってやるよ』

『ありがとう。 もう紹介してとは言わないから、それは二人で甘えようかな』

可哀想だったので823号室に連れて帰り、シャワーを使わせて化粧を落とした姿はそこいらの若い普通の女性だった。
ルームサービスの食事も終わり

『始発電車の時間までベットで二人で並んで休みな。 黒人に夢中になるのも考えものだな』

『だって私達は黒人の男じゃないと夢中になれないの』

『そうか、実は俺はタイソンのボデーガードなんだ。 俺は今からタイソンの朝のランニングの様子でも見に行って来るから
二人で大丈夫だな。 何かあったらさっきの所に居るよ』

そんな、彷徨う女二人を部屋に泊めてやった事もあった


ところで俺の親分は、仕事で京都市に出張が多く一週間のうち週末だけ帰京して又、月曜日から金曜日迄は京都市に出掛ける日々が続いていた

俺の悪い所は常に俺の行動を会長に伝えない事だった。  常々反省はしているのだが、
『親父。 今、先生とタイソンの二人をボディーガードしているのですよ』 それすらも伝えてはいなかった。

その頃の俺はどちらかと言えば寡黙な、というか殆ど自分自身の内面を誰にも見せようとしなかった。
その点で言えば、俺こそマイク・タイソンのボディーガード役としては打って付けの者であったのだろう

会長も俺も自慢話をしないどころか、男と男は真の心と心で繋がっていれば良い。
心と心の結びつきをお互いが求めていたので
普通の会話もさして必要ではなかったのだ。
かえって何も話さない方が
『アイツは奥ゆかしい奴だ』と、益々良い方向に思って貰えるのだから、男は黙ってサッポロビール
そんな意味合いの上で、ホテル住まいの内容は殆ど伝えていなかった。

会長に言わせれば、恐らくこうだったのだろう・・・

『あの野郎、碌に電話も寄越さないがどうやら伊藤先生に可愛がられてホテル生活に満足していやがる。
まぁ、電話のない事は頑張っている証拠で
何か困った事が起きたら電話があるだろうから
今しばらくは俺の元を離れて色々な事を経験をさせてやろう。
遊びでホテルに行かせているのではないからな』

しかし人間と人間とは、それが如何なる立場であろうともやはりそれなりの言葉や会話は必要なのである

それでもこんな男が一人や二人居るのも良いではないか。

伊藤先生に預けてあるのだから、先生の為に一所懸命励んでいると思ってくれているのだろう

まさか、その先生の男気によりマイク・タイソンのボディーガード役を務めているとは
一番先に報告しなければならない筈の会長がそんな成り行きになっていようとは、つゆ知らぬ事であった・・・

会長が知ったのは、タイソンのボディーガードを務め上げてタイソンチームが帰国してから俺の報告で・・・

『なんだ、そうだったのか。
それは素晴らしい仕事を仕上げたな』
それとなく話は知ってはいたのだが、あえて連絡しないでいたのだ

『どうだった、マイク・タイソンは?』

この時に俺の口から詳しい報告を、初めて聞いたのだった・・・

『はい。
ホテル内での私の務めも無事終了して、試合の当日はタイソンチーム30名全員で大型バスで東京ドームに乗り込みました

試合は呆気なく2ラウンドK・Oで勝ち

私はリングサイドをウロウロとしておりました

タイソンのあのスピードには、今の世界では誰も太刀打ち出来ないですね

相手は軽くパンチを受けただけで、もう腰も足もすくんでおりました。
試合とは言っても試合にもならない一方的でした

私は産まれて初めてボクシングの試合を生で観たのですが、私が舞い上がってパンチが当たるのを2発ぐらいは覚えていますが
あとは全く覚えておりません。
それはリングサイドを見張っていた事も有りますが・・・』

『そうか、それで』

『帰りのバスはファンに囲まれまして・・・
一目見ようと私達にまで、バスの窓越しに握手責めでした
何人ものファンと握手しましたよ。
ファンは私が何者かも考えず、握手・握手・握手で・・・』

『そうか。 お前もスター並みだったなぁ』

『タイソンがバスに乗り込んでからも
バスは這う這うの体で漸くファンの囲みから抜け出しましたよ
その日の夜の祝賀パーティーには、タイソン夫人のお母さんをエスコートして二人で腕を組んでパーティー会場へ向かったんですよ
一週間前の話しですけれど・・・』


マイク・タイソンとタイソンチーム30名はタイトルマッチに乗り込んだ日本でのトレーニング計画を実行し、無事に計量を通過

いよいよ待ちに待った、試合当日を迎える事になった・・・

試合会場は東京の後楽園に新設された、プロ野球・読売巨人軍のホームグラウンド

ドーム球場のこけら落としの記念試合として催されていた

勿論、ドーム式の球場は日本で初めての事でありドーム球場に入る客もタイトルマッチのチケットを買い求めた者達が入場記念の一号となる

そして日本で初めて行われる世界ヘビー級タイトルマッチと、初めて尽くしでボクシングファンにとっては、どうしても生で観たい

その想いは強烈なものであった。


貸切の大型バスは既にホテルの正面入口に横付されていて、俺がバスに乗り込んだ時はすぐに出発という時間
バスの中にはタイソンチーム30名
それと特別な関係者だけが席を占めていて窓側に一人で座っていた方の隣に俺は座った

バスの中は既に異様な空気に包まれていて、緊張感で張り詰められていた・・・

俺は隣に座った方と握手をして挨拶をした
アンディ・ウィリアムスと名乗った男は試合前、アメリカ国家を斉唱した

勿論、アメリカでは一番有名な歌手なのだが当時の俺がその事を知る筈も無い・・・


バスは20分もすると、東京ドームの正面入口に着いた

関係者専用の通路を通り、そのままイライジャーと俺は試合会場の下見に入った

まずはピッチャーマウンド辺りに設置してあるリングに近寄り、それから特別席・A席・B席の椅子に座ったりしながら
ネット裏辺りになる席にまで足を伸ばして、序でに外野席辺りを見学に行った

試合開始迄まだ3時間はあったのだが、俺はバスに乗ってからずっと気持ちが昂っているのが自分自身で良く分かった

対戦相手はビッチという名前だけ聞いているだけで、もはや俺には対戦相手の詳しい話しを聞く必要も無い。 そんな状態だった

試合が始まった

1ラウンド

お互いにジャブの出し合いで始まり、どちらも無理に突っ掛ける事も無しに終わった


2ラウンド

スピードのあるタイソンがいきなり前進して懐に入るかの様にスピードに乗せた強烈なパンチを繰り出した

パンチが一発・二発と当たった所で相手は堪らずダウン・・・

パンチは左右のフック気味のストレートだった

誠に呆気ない幕切れであった。
しかし、ヘビー級のパンチは凄い

大金を投じてチケットを買った者に対して申し訳のない時間で試合が終わった様に感じたが、ヘビー級の試合はこれが本当の醍醐味なのかもしれない


マイク・タイソンが2ラウンドでK・O勝利 両手を上げた

タイソンのスピードのある足と、同時に繰り出す左右のパンチの速さはまるで、示現流の寄せ足の速さ・打ちとそっくり同じではないか

こんなスピードに乗ったパンチを誰が躱わす事が出来るだろう

まさに今、その醍醐味をこの目で観た


俺は本当の所、リングの上よりもリングと最前列の間だけに気を配っていた
試合など、勝ちさえすれば良いだけの事で突発的な事故が起こらない
それだけに精神を集中していた

大金を払って試合を観に来る根っからのボクシングファンがまさか、試合をぶち壊す
そんな奴が出現する筈がないのは分かり切ってはいたが
世の中には、まさかの出来事は多々あるもので・・・
その万が一が起こらぬ様にするのが、イライジャーと俺の仕事でもあった

イライジャーも試合の内容など気にもせずに
突発事故だけが起こらぬ様に気を張っていた。


試合が終わるとタイソンチーム30名は待機していた大型バスに乗り込みタイソンが来るのを待っていた

タイソンは勝利者インタビューを受けるとの事で、1時間近くバスの中で待ち続けた

バスの中は喜びで満ち溢れていた

特に練習相手として来ていた10名の若き未来のボクサー達はタイトルマッチのたった2ラウンドの時間を、そのままバスの中まで引きずっておりそれぞれのボクサー達は静かに無言の状態が続いていた

ところが、大型バスが何百人ものファンに囲まれてしまいバスの中の俺達がファンからの握手責めになってしまった

この日本人の俺にもファンが握手を求める始末で、バスの窓越しに俺もファンと握手をしたのだった

俺は気持ち良く握手をしながら小指の欠けた現実を思い出し、なんだか恥ずかしくなった

今日迄の3ヶ月を無事に終了し、試合にも勝利してくれ、この上ない喜びに包まれていた


タイソンがファンにもみくちゃになりながら大型バスに戻って来た

もはやタイソンの身を案じるとかそんな気分は誰にも無く、タイソンを一目見たさにタイソン自身も身を任せているかの様であった

バスの周囲を取り囲んだファン等がバスを出発させない為に、バスが発車出来たのは更に30分も後になった・・・

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