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【イベントレポート】「第7回なぜ青梅でアートなのか 」(ゲスト:サトウリュースケ)

こんにちは。
合同会社ARTの地産地消は、「アートの力でクリエイティブで豊かな市民生活を実現する」をビジョンに掲げ、地域住民の皆様と地域で活動するアーティストの交流を積極的に推進していきます。

その一環として、「なぜ青梅でアートなのか?」というテーマのもと地域で活動するさまざまなアーティストと代表の井上がお話しするトークイベントを定期的に開催しています。

今回は、8月10日(土)に開催されたトークイベントの様子をまとめました。長野からやってきた、サトウリュースケさんとはどんなミュージシャンなのでしょうか。それではお楽しみください。

音楽との出会い

井上正行:それではよろしくお願いします。はじめに音楽と出会った経緯に触れながら自己紹介をお願いします。

サトウリュースケ:はい。僕は長野県出身です。音楽をやるために上京してきて、青梅に来るまでは都心で活動していました。なんで音楽を始めたかといえば、動機が不純かもしれないですが、目立ちたいとかモテたいとかそういうところもありました。

でも、小さい頃から音楽は好きでした。誰かのCDを聴いては、「俺だったらこうするのに」と思うことがあったので、そういう気持ちがつもりにつもって、自分で歌うようになったんです。それが、大体中学校2年生か3年生くらいの時ですね。

井上:初めてギターに触れたのも中学校3年生あたりのことだったのでしょうか。

サトウ:そのあたりですね。

井上:歌もですか?

サトウ:最初ギターに触れて、その後に歌うようになったと思います。でも、家族でカラオケに行って、歌楽しいなと思っていましたね。

井上:中学生よりも前から歌うことの魅力を感じていたんですね。

サトウ:そうですね。

井上:中学を卒業したあとは、どういうかたちで音楽と関わってきましたか?

サトウ:高校3年まではバンド活動をしていて、そのまま売れると思っていました。地元でチヤホヤされたので(笑)。でも、東京に出てきて大失敗しました。

挫折、ホームレス、そして・・・

井上:聞いてもいいですか。どういう失敗だったのでしょうか。

サトウ:わりと大手のレコード会社に所属していたんですけど、 そこで「作りたい曲」と「売れ線の曲」のどちらを作っていくのがよいのか悩んでいたんです。「自分の好きな曲を作ってはいけないんだ」と思いながら活動していたら、どんどん病んでいってしまいました。当時お付き合いしていた方とも一緒に暮らせなくなってしまい、半年間ホームレスをしました。

それが23、24歳くらいだったかな。渋谷にいたホームレスのおっちゃんに拾ってもらったんです。だから「ホームレスレス」でしたね。

井上:「レスレス」だと、お家ある人になっちゃいますが・・・(笑)。

サトウ:そうだね(笑)
そこまで落ちて、タバコを拾いに行くんです。釣りで使うルアーケースに溜めていくんですよ。ここはラッキーストライクとか、セブンスターとかって。集まったら身うけ先のおじさんのところに持っていくんですよ。

あとは、居酒屋さんの裏に行って、積んである酒瓶のケースからほんの少し瓶の底に溜まっているお酒を集めました。少しずつ1つの瓶に入れていくんです。

そうすると真っ黒いお酒ができるんですよ。

井上:黒いお酒を集めてるわけじゃないですよね。

サトウ:もちろんです。いいものじゃないけど、それを集めておじさんと2人で飲んで過ごしているうちに半年が経ちました。

井上:季節はいつからいつぐらいだったのでしょうか。

サトウ:春先から秋くらいまでですね。
その間は、リュックとギターだけを持っていたんですけど、ギターはもう触らず、 やる気もせず・・・。おじさんさんもそのことについては触れず。なんかあるんでしょうね、このホームレスの身の上話あんまり聞かないみたいな。

そんな暮らしが半年ほど経った時に、おじさんから「お前、音楽やりたいんじゃないの」って聞かれて、「どうなんですかね」とか言ってごまかしてたら、そのおじさんが寝てる段ボールの層になってるベッドの裏から、1万円をばって出して、「これで帰れ!」と言ってくれたんです。「これで出直して、お前の活躍は渋谷のテレビで見つけてやる!」みたいに言われて。「もらえないです」と言ったんだけど、いいからって言って渡されました。

それでリュックをしょってギターケースを持って出る時に、そのおじさんが、「てめえ!2度と帰ってくんなよ!」って怒鳴ったんです。泣きながら帰りました。「あそこまで言ってくれたんだ。だったら、建て直してみよう」と思って、長野に帰って、お金を貯めて、また28歳の時に東京に出てきました。

それからは、レコード会社にも所属しましたが、自分の好きなこと、好きな音楽が作れないようだったら同じことの繰り返しだからと思い、個人のミュージシャンとして30歳くらいの時にスタートを切りました。今41歳ですが、どうにかなりつつある状態にまでなってきました。

井上:「上上Brothers」というバンドもやられていますよね。こちらはいつくらいに結成したのでしょうか。

サトウ:今、バンドを始めて8年か9年ですね。大体31歳くらいの頃です。

井上:個人のミュージシャンになってからですね。

サトウ:そうですね。いわゆる楽器をやっている人は、 例えばブルースが好きだったら、そのブルースに則っている感じじゃないと、「それ違うよ」と言ってきたり、 例えばロックやクラシックもそうなんですけど、そこから外れると「ちょっとそれは」ってなりがちなんですね。

その感じ、専門的になる感じが嫌いだったんです。なんていうのかな。お決まりのパターンみたいになるのが嫌だったので、ドラムはパンク、ベースはミクスチャーロック、僕はポップスという編成でバンドをやっています。

井上:この8年、9年くらいの間で、個人としてもバンドとしても音楽活動を行なってきたんですね。

サトウ:そう。ソロ活動とバンド活動を並行してやっていますね。
「サトウリュースケ」という名前と、「上上Brothers」という名前で。やっていて気づいたのですが、どっちにとってももいい時があるんですよ。

例えば、ソロで大きい仕事をもらった時に、これバンドでもいけますかって言えたり、バンドでいい仕事もらったんだけど、日にちが合わなかった時に、ソロでもいけますよ、って交渉できたり。つまり、二刀流みたいな感じでやっていますね。

井上:今までどんないい話がありましたか?

サトウ:コロナ前に、結構大きなフェスが決まったことがありました。 結局コロナでできなくなってしまいましたが。

最近だと「GO OUT」というアウトドアファッションなどを扱っている雑誌があるのですが、ここが主催するフェスに出ました。

井上:何人ぐらい集まるイベントでしたか。

サトウ:2000人くらいの規模だったと思います。

井上:そうすると、自然に囲まれた場所でみんなでテントを立てるなどして鑑賞するようなイメージでしょうか。何月頃にあったイベントですか?

サトウ:そうですね。今年の7月頃にあったイベントです。そういえば今思い出しましたが、とあるイベントで、元ミッシェルガンエレファントのチバさんに蹴られたことがあります(笑)。

井上:ええ!それはどういうイベントだったんでしょうか。

サトウ:それは、あるライブハウスで定期的に開催されていたメモリアルライブイベントでした。チバさんはお祝いの言葉をいうために来ていたんです。

そこに僕も呼ばれていて、楽屋に行ったらチバさんが立っていて、入って1秒くらいで蹴られました(笑)
邪魔だったんでしょうね。でも、決して悪意があったわけじゃなく、ふざけてやったみたいです。ちょっと腹立ちましたけど(笑)。

井上:今となってはだいぶ貴重な体験ですよね。他に何か面白い体験はありましたか。

路上ライブからの命の危機・・・!

サトウ:ピンチと面白いが合体したようなお話はありますよ。1回目に東京に来た時、路上ライブをやっていたんですよ。やっている時に、 ずっと体育座りで聴いていた女の子がいて、ちょっと怖いなと思って演奏していたんです。

特に喋りかけられることもなくライブが終わって、駅のホームで電車を待っていたらさっきの女の子が駆け寄ってきました。そしたら、「電車がなくなってしまったので泊めてもらえませんか」と言ってきたんですよ。下心は全然なくて、僕も夜中にレコーディングで家を空けることが多かったので、寝るだけならいいかなと思って寝かせてあげたんですね。コーヒーはここにあるから飲みたい時にどうぞ、とか言って。

井上:この時点で、結構怖いですよね。だって知らない人ですもんね。 いつくらいの時の話ですか。

サトウ:19とか20くらいの時かな。 それで、朝の4時とかに家に帰ったら部屋が片付いているんですよ。「気持ち悪!」と思ったんですけど、一応お礼を言ったほうがいいかなと思って、「片付けてくれてありがとう。じゃあそろそろ始発だから、どうぞ」って言ったんです。

そしたら、相手が「どういうこと?」って切り出したんですよ。その時「このパターンか」と思って・・・。

井上:いやいや、どのパターンですか(笑)。

サトウ:そういう感じになるよねって思って。そしたら、「ふざけないでよ!」とか言い出して、急に脱ぎ出しちゃったんですよ。

井上:ええ!?

サトウ:「何言ってんだよ!だめだよ!とりあえずコーヒー飲もうよ」と言って近くにあった毛布で覆ったんです。落ち着かせようと思って、言ったんですね。

そしたら、バーン!と立ち上がって、部屋の掃除してるからわかるんですよね。包丁の場所とか。それを持ち出して投げたら、頬をパッと掠めていったんですよ。その時、生まれて初めてアメフトのタックルをして、倒したら相手は落ち着いたようで、包丁なんか投げたらだめだよって言ってそれから「じゃあ、コーヒー飲もう」って言って飲みましたね。

井上:コーヒーは飲むんですね(笑)
そんなことがあった後で、コーヒーを淹れるのはちょっと間抜けな感じじゃないですか。準備しているときとか。

サトウ:間抜けだったと思います。でも、とにかく落ち着いてもらわないといけなかったので。それで、帰ってもらいました。

その後も、しばらくお風呂の窓から帰っていくのを見ていました。そしたら、朝の5時半くらいに戻ってきてドアをドンドンドン!開けろ!ってやられたんですよ。開けられないように、ドアに背をつけてなんとかやり過ごしました。

井上:だいぶ怖い思いをしましたね。また戻ってくることはなかったんですか。

サトウ:それからはパッタリとなかったです。というか全然音楽の話と関係ないですね(笑)

青梅と出会いと創作と

井上:ところで、最初にお会いしたのは2020年頃でしたよね。

サトウ:そうですね。

井上:今から4年前、5年前ぐらいに青梅にきたということになりますが、それはどのような経緯だったのでしょうか。

サトウ:はい。青梅に知り合いがいました。「夜噺屋もぎ」という飲み屋の夫婦です。そのお二人が僕が都内でライブをやっていた時にみにきてくれていて、すごく気に入ってくれたんです。いつか青梅においでよって言ってくれて、飲みにいったら青梅っていいところだなって思たんです。

それから2年くらい経った頃、その夫婦から、転居するから自分達が住んでいた場所に住まないかと連絡があったんです。思い入れのある場所だから、できれば知り合いに住んでもらいたいと思っていたようなんです。

ちょうど僕もその頃、都会のコンクリートジャングルに住むことに疲れていた時で、長野と風景が似ていて、都心にも通いやすい場所に住みたいと思っていました。

井上:それは、2019年くらいのことですか?

サトウ:そうですね。

井上:そしたら、きた時くらいに「Cinema MADE IN OME」と出会ったということなのでしょうか。

ちなみに、「Cinema MADE IN OME」とは2020年から開催された野外映画上映のイベントです。青梅のお寺や御岳の川沿いなどで、上映が行われました。

サトウ:そうですね。当時この企画を主催していたお二人のうち一人の方が営んでいたカフェによく行っていたんです。そこの店主から「何をやられているんですか」と聞かれて、「音楽です」などと話していたんです。店主は僕と同じくらいの年齢だったので、仲良くなりたいなと思ってCDを持っていったんです。

お話をするうちに、「こういう映画をやるんだよ」とさっきの映画のお話になったんです。三つの短編映画を特別にみせてくれて、そのうちの一つが「ご縁」をテーマにした映画で、青梅に移り住んできたばかりの僕と重なったんです。

ぐっときて、音をつけたくなったから「書いてくる!」っていって、1日で曲を書いたんです。それを店主に聴かせたら、「ぜひイベントで歌ってくれ!」となりました。それが、青梅にきてからまだ1年も経っていない頃でした。

井上:1日で!すごいですね。

ちょうどその頃私も、映画イベントにお手伝いすることになっていました。そしたら、さっきの店主から「青梅にすごいミュージシャンが引っ越してきた!」と紹介を受けていたんです。

音源を聴いてみたらとっても良くて、これがリュースケさんの歌声と出会った最初のきっかけでした。『たぐる』という曲でしたね。感動しました。この曲はどのようにしてつくられたのでしょうか。

サトウ:当時まだ結婚しておらず、ずっと愛媛と東京で遠距離恋愛をしていました。結婚と同時に一緒に住むことになっていて、青梅の家で、奥さんを待っている時でした。

奥さんがやってくるという気持ちと、お家を紹介してくれたもぎの夫婦と、カフェの店主との交流と、こういったご縁がパッと繋がったことに「すごい!こんなにありがたいことはないな」と感じていた気持ちがはまったからできたんだと思います。

井上:不思議なご縁に恵まれているなと思っている時に、この映画と出会ったということですね。

サトウ:そうそう。観て、まさにこれだ!と思いました。

井上:映画もそういう内容でしたよね。

サトウ:あと、なんかやらしい話に聞こえるかもしれないですけど、僕の持ってるもので青梅と関わりを持ちたかったんですよね。僕は曲を作って歌うことしかやってこなかった。 歌で青梅の人たちと関われたら、素敵なことはないと思っていたんです。こういう意欲にも溢れていたから、できたんだと思います。

井上:私は、たくさんこういうお話を聞けるような場所作りをしたいなと思って会社を作りました。

リュースケさんは青梅にきて、地元の人たちと出会って、自分の能力を活かして作品にしてそれを発表した、と。青梅で生まれた作品を青梅の人たちに楽しんでもらった。

私の言葉で言えばリュースケさんは「ARTの地産地消を実践した」ということになります。もちろん、リュースケさん以外にも青梅で「ARTの地産地消」を実践しているアーティストはたくさんいますが、目の当たりにしたのはリュースケさんが初めてでした。

その翌年は、移転する前の「喫茶ここから」でライブをやりましたね。これはどういうきっかけで決まったのでしょうか。

サトウ:青梅でライブをやりたかったんですよね。自分発信で。
きっかけは、青梅にある金刀比羅神社でした。元青梅の市議会議員の榎沢さんにさそってもらったんですよ。「こんぴらさんで歌ってみないか?」と誘われて。その後に、「喫茶店でも歌ってみなよ」となったんです。それから何回か演奏させてもらいました。

井上:これが2021年頃のお話しですね。

2022年になると今となっては有名人ですが、ペンキ画家のSHOGENさんとのライブイベントが行われました。これもすごく不思議な縁でしたね。確かアフリカで絵の修行を積んできたSHOGENさんが、帰国して初めてコラボレーションした方がリュースケさんだったんですよね。

サトウ:そうでしたね。彼と共通の知人から、「アフリカでペンキアートの修行を積んだ人が帰ってくるからコラボしてみない?絶対合うよ!」と言われたんですね。

当初僕はライブペインティングと一緒にやるの苦手だったんです。みんな描いている人を見るでしょ?俺はBGMかよって(笑)。逆も然りですよね。

でも彼とやった時は全然違いました。一緒にやっていてとても心地よかったんです。お客さんの視線もどちらかに偏ることがなかったですし。何かそういう力が働いているなと思いました。

井上:これもご縁を感じる素敵なイベントでしたよね。そして、直近では2024年の5月にもぎの夫婦がやられている「アトリエヨギ」でライブをやられていましたね。

ところで、リュースケさんは青梅にやってきてからご自身の創作の方法などに変化はありましたか。

サトウ:めちゃくちゃ生じてますね。前は自分の夢とか、それがうまくいかないみたいな題材が多かったんです。それが今では、人との繋がりなどがテーマになってきています。青梅ではいい人たちと出会ってきましたし、引っ越す気もないですから。

僕は長野県出身だし、都内に住んでいてもどこかずっと「よそ者なんじゃないか」と思ってきました。「何かやっても応援してくれないんじゃないか」とか。でも今はそういう気持ちがだんだん薄れています。

だから、ここが地元みたいになったらいいなと思います。そう思えると、作る歌も変わります。それにここは歌を作りやすい場所ですからね。

井上:どういった点で作りやすいのでしょうか。

サトウ:夜になると人と出会わないですよね。川に行っちゃえば、本当に誰とも会わない。都心にいると、自分の部屋くらいでしか一人になれないんですよ。

みんなと一緒にいるのはとても楽しいんですけど、孤独にならないと怖くなっちゃうんですよ。作品できないんじゃないかって思ってしまう
長野がそうだったので、そういう場所を選んで青梅にやってきたんじゃないかなと思いますね。

井上:確かにカラオケとかにいかなくても、青梅では気軽に一人になれますよね。夜の11時過ぎくらいになれば全然人がいなくなりますし。

さっき「孤独」と言いましたが、周りに人が全然いなくてポツンとしている状態もそうですが、違う見方ができると思うんです。一人で縮こまって、うわーっとなっちゃうというよりも、一人で夜の街にいると自分の世界がぐっと広がったように感じるような孤独がありますよね。「ああ、あそこの公衆トイレには誰もいないんだな」みたいな。

サトウ:そうそうそう!まさにそうなんです。東京ではこういう場所が全然ないんですよ。

井上:青梅にきてからは何曲くらい作曲しましたか?

サトウ:4年住んで、4曲ですね。少ないですね(笑)もうちょっと作らなきゃ。

井上:すごい濃密な曲を年に1曲作っているということですよね。それはこの後歌っていただける『たぐる』を聴けばわかりますからね(笑)。本当にいい曲ですから。

青梅で作った曲を、都心やその他色々な会場で演奏するわけじゃないですか。お客さんの反応も違いますか。

サトウ:まず、題材が変わったねと言われたことがありますね。最近、ある大きな劇団をやっている役者さんと知り合って、『たぐる』を聴いたら何かピンときたところがあったらしく、今曲をもとに脚本を書いてくれています。主役としてでてくれないか、とも言われています

井上:それも不思議なご縁ですよね。『たぐる』の元になったショートフィルムと、『たぐる』を元にして出来上がる劇を一緒に観てみたいなと思います。

それでは、そろそろお時間です。『たぐる』を歌っていただきましょう。本日はありがとうございました!

リュースケさんの歌を聴きながら感極まる井上

お知らせ

『へんなほんてん』開催中!

■へんなほんてん
会期 2024年8月25日(日)〜13日(金)
時間 10:30ー18:30(会期中は無休)
料金 入場無料
場所 THE ATELIER(青梅市本町130−1ダイアパレスステーションプラザ青梅204)
連絡先 lplc.of.art@gmail.com/0428-84-0678
(喫茶ここから内10:00-18:30/担当:風間真知子)

アトリエ利用者募集中!

現在、「THE ATELIER」の利用者を募集しています。2024年の8月1日以降から利用可能です。見学するだけでもとても嬉しいです!
随時募集を受け付けております。

必ず募集要項をお読みの上、ご応募ください。

イベント開催!

9月14日、28日には青梅で活動するチョークアーティストの茂木あかねさんとニューギアカフェ店主であり、御朱印アーティストであるAPOホリグチさんが御登壇されます。
THE ATELIERで開催しますので、見学も兼ねてぜひいらしてください!

応募はこちらから

■第9回ゲスト:茂木あかね氏
日付:2024年9月14日(土)

■第10回ゲスト:APOホリグチ氏
日付:2024年9月28日(土)

いずれも
時間:14:00開始 15:00終了予定
場所:THE ATLIER(青梅市本町130−1ダイアパレスステーションプラザ青梅204)
定員:15名
参加費:1000円(資料代)当日お支払い
主催:合同会社ARTの地産地消

https://lplcofart.wixsite.com/art-chisanchisyo

lplc.of.art@gmail.com
0428-84-0678(喫茶ここから内10:00-18:30/担当:風間真知子)

奉納舞踏開催!

そして、2024年10月6日(日)の16時頃からは武州青梅金刀比羅神社にて「奉納舞踏」が開催されます。参加費無料なので、ぜひ足を運んでくださいね!

【お問い合わせ】
0428-84-0678 /lplc.of.art@gmail.com(喫茶ここから/担当風間)

おわりに

イベントのご案内はもちろん、その他会社の詳しい内容は直接私たちにご連絡いただけると幸いです。
会社の拠点となりますTHE ATELIERには、同じフロア内に喫茶店を併設しております。基本的には定休日なしで営業しておりますので、お気軽にご来店いただき、お話出来たら嬉しいです。


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