【イベントレポート】「第1回なぜ青梅でアートなのか 」(ゲスト:佐塚真啓)
こんにちは。
合同会社ARTの地産地消は、「アートの力でクリエイティブで豊かな市民生活を実現する」をビジョンに掲げ、地域住民の皆様と地域で活動するアーティストの交流を積極的に推進していきます。
その一環として、「なぜ青梅でアートなのか?」というテーマのもと地域で活動するさまざまなアーティストと代表の井上がお話しするトークイベントを定期的に開催しています。
今回は、5月11日(土)に開催されたトークイベントの様子をまとめました。
当日参加できなかった方や今後参加を希望している方に、イベントの様子が少しでも伝われば幸いです。
「国立奥多摩美術館」について
井上正行:本日はどうぞよろしくお願いします。なぜ青梅にやってきたのか、アートをどのように捉えているか、これまでどんな作品を制作してきたのか、地域に対する課題など色々なことを聞いていければと思います。
まず最初に簡単な自己紹介をお願いします。
佐塚真啓:佐塚真啓と申します。僕は、武蔵野美術大学という美大を卒業しました。東青梅あたりの勝沼町に住んでいます。この会場は、自転車や徒歩でこれる距離です。こんな場所があるとは思いませんでした。
井上:日々どのような場所で制作をしているんですか。
佐塚:アトリエが軍畑の方にあります。 元製材所だった場所を仲間と5人でシェアして使っています。そこに、2011年に引っ越してきまして、2012年頃に、国立奥多摩美術館という場所をつくりました。
井上:どのようなきっかけで青梅にやってきたのでしょうか。ご出身は静岡県でしたよね。
佐塚:そう、出身は静岡です。美大に来るために上京してきて、小平の方に住んでたんです。それで、当時武蔵美には文化人類学の関野さんって先生がいて、その先生が成木の方で、自由の森学園の先生と何かやるみたいな話があったんです。なんか面白そうだなと思って青梅に来たのがきっかけですね。
それで、仲間たちと周辺地域をうろうろ歩き回っていたら、製材所が見つかって、その製材所を借りることができたんです。それが2011年頃で、そこから活動がスタートしました。もう12、3年青梅にいることになりますね。
井上:「国立奥多摩美術館」という名前の由来は?
佐塚:元々は展覧会のタイトルとして「国立奥多摩美術館」という言葉が使われたんです。美術はものをつくることだけじゃないと思っていて、つくったものと見てくれる人がいて、ここに残る、これが美術だと僕は思ってるんですよね。
だから、アトリエで僕らはものを作っているけど、やっぱり誰かに見てくれるような状況を作れたらいいよねという話が出てきた。それで、「じゃあ展覧会やろう」という話になったんです。
展覧会に向けて大きな看板を作ったんですけど、展覧会が終わった後も、そのままずっと貼っといたんですよね。
そしたら、なぜかgoogleマップとかにマッピングされて、「ここが国立奥多摩美術館」みたいになっちゃった。
美術とは心を動かすための術
井上:普段どのようなことを考えて制作をしていますか?
佐塚:僕自身は、やっぱり美術という言葉は色々なことを考える上でのキーワードになっています。
僕自身はアートっていう言葉はほぼ使わないんですよね。美術とは「心が動く、心を動かすための術」だと僕は思っています。
自分が心が動いたものをとどめる方法として、絵を描くとか、彫刻を作るという行為があると思っていて、そういうものが、僕にとっての美術だと思っている。
だから、美術とは、絵を描くとか、ものを作る以外にも「今日はめっちゃいい天気だよね」という風に、会った時にお話する、つまり、自分の心が動いたということを言葉で伝える方法として美術があると思ってる。だから、僕はそういう言葉も大切にしながら、日々制作しています。
井上:芸術もアートだし、美術もアートと呼びますが、それについてはどう考えますか。
佐塚:一応、今の一般通念としての美術って言葉自体が、視覚芸術、造芸芸術を指すんですね。だから、芸術っていうものが上位概念としてあって、その下に音楽、美術、 演劇とか、その身体表現とかがあり、美術はその1つになっちゃってるんですよね。
井上:大きな概念を指す「芸術」とその中にある「美術」をアートという1つの言葉で表してるから、ややこしいなと時々私は思います。どのように自分の肩書きを表現しますか?
佐塚:僕はアートやってますって言い方はほぼしない。
「アートやってますか」って言われても「やってます」っては言わないかな。
井上:美術家です、というんですか?
佐塚:一応。肩書きとしては美術家というようなことにはなっているというか・・・。
最初は「絵描き」って言ってたんですよ。でも、同時に美術という言葉自体が、僕がものを考える時にやっぱりいろんなキーワードになっているんですよね。
だから、絵描きという表現だけでは伝えきれないようにも感じていたので、美術家と名乗っていかなきゃいけないと、ここ 2、3年の中で思ってることですね。だから、何やってんのって言われた時に、美術をやってますと言うし、美術家ですとも言いますね。
時計になりきるアート作品
井上:以前、《人間時計》という作品を制作していましたよね。これは、どのような経緯で成立した美術作品なのでしょうか。
佐塚:「六本木アートナイト」っていうイベントがあって、その中で、国立奥多摩美術館で、なんかしてくんないかっていう話になったんですね。
依頼があった時に、奥多摩美術館の宣伝をしようと思ったんです。我々を知ってもらいたいなと思ったんですね。
でも、ただ「奥多摩美術館」という文字をどこかに掲げても宣伝効果は薄いし、見てくれない人たちも沢山いると思いました。それで目をつけたのが時計でした。普段、誰しも時間を気にしてると思うんですよ。何かしらの形で。
時計を見るという日常の中にある行動を作品制作のヒントにしようと考えたということですね。
これの前に、その代々木体育館で、人間時計っていうのをやったんですよね。その時には、8時間の時計を3日間で分けて3回やったんです。
だけど、時計だったら24時間だよねって話になって、六本木では24時間やりました。
井上:ええ!?何時からスタートしたんですか?
佐塚:夕方の6時から。
井上:飲まず食わずで?
佐塚:飲まず食わず。ちなみに、オムツしてたんですか。って言われてるんだけど、オムツはしてないですね。
井上:意識が朦朧としてこないんですか?
佐塚:してきますね。地面がぐわーってこう、立ち上がってくる錯覚っていうか、そういうのが見えましたね。
やってると、長針の方は割と動かすからいいんですけど、短針はほとんど動かないから、血が降りてくるんですよね。
井上:どうして時計になろうとしたんですか。
佐塚:「国立奥多摩美術館 24時間人間時計〜アジア編〜」という名前からも分かるように「アジア」がテーマの1つになっていました。
当時僕は四国の方にあるレタス農家にアルバイトに行ってたんです。2週間ぐらい行ってたのかな。
そこではミャンマーの人が出稼ぎに来てたんですね。3年間、ここで出稼ぎで働くという話をしてて。3年間働くと、自分の国では、30年働いたことになるんだっていうんですよ。物価の違いで。
その時、すごい面白いなと思ったんですよ。時間というもの自体が。
だけど、面白いだけではなくて、「外国人技能実習制度」の課題などもコンセプトの一部にはなっていました。
井上:背景には社会的な問題意識もあったということですね。
佐塚:多少はありましたね。
「芸術激流」について
井上:最近では、「芸術激流」というアートイベントを実施されていましたよね。こちらについてもお話しいただけますか。
佐塚:僕らのアトリエのすぐそばの御嶽エリアでは、ラフティングというウォータースポーツが盛んに行われていますよね。
その方法を用いて、川下りをしながら、作品鑑賞をできないかという話を仲間達としていたんです。それでこの話を西の風新聞の記者さんに相談したところ、御嶽にある『A-yard』という会社とつないでいただいたんです。それで、実現させることができました。
一般的に美術鑑賞は、自分の都合で時間を調整できますが、川の流れは自分で操作できませんよね。 一方通行の川の流れの中で、作品を見ていくようなそういうコンセプトのもと行いました。
井上:そうするとよくみれない作品も出てくるのではないですか。
佐塚:見れないものもあったと思う(笑)。
青梅には川合玉堂の作品を収蔵している玉堂美術館という美術館があります。そこにお願いをして玉堂さんの作品を、見れるようにしていただいたんですよね。ですけど、あまり大きくない作品だったので気づかない人もいたようです。
でも、それでもいいと思っていて。
それはなんでかって言うと、鑑賞するより目撃するみたいな、そういうことに重きを置いていたんですよね。どこかにあるかもしれないと思いながら川を下っていくと、何気なく生えてるその木であったりとか、そういうものが誰かの作品に見えることがあるんですよ。
あるいは、焚き火をしている人たちが、なんらかのパフォーマンスをしているように見えるとか。
こういう日常的な光景が、作品かもしれないと思える瞬間が生まれたらいいなっていうのを思っていたんですよ。だから、「あれがその作品です、見てください、次はこれです」とあえてしないということを目指してやったという感じですね。
井上:「芸術激流」は新たな鑑賞体験を提案したのか、それともこれ自体が佐塚さんのアート作品なのでしょうか。
佐塚:この企画は3人のメンバーで制作をしたので、私個人の作品ではないですね。
国立奥多摩美術館の試みに対して、いろいろな人たちから「これは佐塚の作品なのか」と言われることはあります。僕としては、そうじゃないって言ってた時期もあるんですね。僕1人でやってるわけじゃないし。
でも今はやっぱり、僕が関わることで僕が考える美術のありようの中の1つにはなっていると思っています。だから作品として捉えることはできるし、今の僕はそういう風に捉えてるっていうような感じですかね。
井上:芸術激流を作品として捉えると、参加者が参加することによって完成するということになりますか。
佐塚:美術作品やその現れみたいなものと、それに出会う人がいて、その出会いが生じた瞬間が一種の完成の状態なのかなと思いますね。
でも、完成はしたかもしれないけれど、終わったかどうかはなんとも言えないですね。
井上:まだ続いてるかもしれないってことですか。
佐塚:いや、一旦はイベントなので終わってます(笑)。
でも終わった後でも思い出してもらったり、面白かったなとか思ってもらえることができたならば、完成したって言えるのかもしれないですね。でもどうなんでしょうね。
「おばけ館_美術やしき」とは
井上:「芸術激流」の後に、「おばけ館_美術やしき」という展覧会をやっていましたよね。芸術激流に比べると、馴染みやすい現代アートの展示だったように思えました。
どうしておばけだったんですか?
佐塚:サウジアラビアにおばけ屋敷を作りに行ってきたんですよ。クオリティは高くなかったのですが、面白いと思うこともありました。現地の人たちは日本のおばけがどういうものかわからないんですが、彼らなりに「怖がらせる」工夫をしていたんです。マネキンをバラバラにするとか、現地で買った草のマットで畳を表現するとか。会場では壁をバンバン叩いてみるとかですね。
みんながDIYをしながら工夫している様子を見たのがとても面白かったんですよ。それがひとつのきっかけとなりました。
あと僕は、おばけ屋敷って1つのエンターテイメントだと思っていますが、一方美術はエンターテイメントとちょっと違うものですね。例えば、お化け屋敷をやりますって言ったら、怖がらせてもらえるんだなって思いますよね。こういう需要と供給の一致が起きているのがエンターテイメントだと思うんですよね。
でも、美術ってやっぱりそういうものとちょっと違って、ある一つの作品を見て感動してもいいし、怒ってもいいし、泣いてもいい。見る側にかなり委ねられてるんですよ。
こういう一見相反する要素を1つの同じ空間に持ってくるようなことをしてみたかったという気持ちがありました。
と言いつつ、実際、怖がらせようとする仕掛けがあったんですけどね(笑)
井上:結構怖かったですね。
佐塚:ありがとうございます。
井上:簡単に紹介すると、この展覧会は奥多摩にある「せせらぎの里美術館」という美術館で実施されました。会場は古民家風の作りになっていて、中に入ると下に降りていけるようになっています。さらにその先は少し広いスペースになっていて、そのスペースで佐塚さんの作品が展示されていました。
スペースには、足元に板の台が張られていて、その台の上に立てられた一枚の板の前に佐塚さんの抽象画が配置されていました。
面白いなと思ったのは、床板が結構揺れたことです。跳び箱のジャンプ台みたいな感じです。それで跳ね回っていたら、突然バーン!という音が会場に鳴り響いたんですよ。それで「誰かに怒られたのかな」と思ったんですけど、周りに誰もいないんですよ。
それで、何か物を落としたのかなと思って作品の周りを歩き回ったんですが、結局何もなくて。するとまたバーン!と鳴るんですよ。2回目にしてようやく、そういう仕組みが展示の中にあるんだと気づきました。
佐塚:「せせらぎの里美術館」も古めかしい佇まいなので、少しおばけ屋敷っぽい雰囲気がありましたよね。
井上:そうですね。確かに夕暮れ時とかはちょっと怖い感じがしますね。
「美術解放運動」と青梅市立美術館
井上:そろそろ時間が近づいてきました。最後に、2023年に私が企画した美術展「アートビューイング西多摩2023 ”アート”を俯瞰する」で佐塚さんと仲間達が企画してくださったトークイベントについてお話を伺いたいと思います。
イベントの中で出ていた「美術解放運動」とはどのようなものなのでしょうか。
佐塚:これまで言ってきたように、美術は視覚芸術、造形芸術っていう概念に縛られてるので、例えばおいしいコーヒーを入れるとか、お花を綺麗に育てるとかそういうものを美術だと思えるようにできたらと考えている中で出てきた言葉でした。
井上:美術解放運動のチラシデザインを見ると、真ん中のあたりに青梅市立美術館がありますが、これには意図があったのでしょうか。
佐塚:今美術館が休館になっていますよね。3年後に再びオープンするという話になってるようです。
美術館って心が動いたことを人に伝える場だと思うし、そういうことに出会える場所だと思うんですよね。でも、休館前の青梅市立美術館は視覚芸術、造形芸術みたいなものが美術であって、それ以外は美術じゃないみたいな雰囲気をすごく感じたんですよね。
美術館が持っている可能性って僕すごくいっぱいあると思うんです。
ものを作る人、その作ったものを見たい人、そういう人たちだけのための施設ではないと思うんですよ。
井上:確かに、より多くの人たちに開かれているような印象はあまり感じないかもしれません。なんとなく、どんよりしていますし。ライティングの問題もあるのでしょうけれど・・・。
佐塚:だからもったいないって思っています。ある自治体の中で市立の美術館を持ってるっていうこと自体は、その地域にとってすごく財産だし、あるだけでその地域の魅力を伝える、発信基地になり得ると思うんですよね。
でも、今のその美術館はその役割を果たしてないように僕には思えてしまう。 だから美術という概念自体をもう少し開いて、あらゆるものが美術になりうる可能性を保証する場所として美術館はあってほしいと思うんですよ。
井上:設備上の都合はあるとしても、電源の使用は許可されていないので、音や映像を用いるアーティストたちの展示には向いていないという現状があります。
それに、かつて美術作品の撤去騒動もありましたしね。
佐塚:美術館って、ほんとにあらゆるもののハブになり得ると思うんですよね。観光であったりとか、地域の人たちであったりとか。それが青梅市立美術館ではあまり機能していないように思える。
例えば海外にいくとその地域の美術館に行ってみようかって思いますよね。美術館に行くことで、地域について知ろうとか、この地域は面白いなって思ったりとかありますよね。こういった感情を生み出すきっかけになり得る美術館になってほしいと思うんですよ。
だから、こういうことを市民の人たちと一緒に考えていきたいと思って4回のトークイベントを実施したんです。
そうしたら、たくさんの人たちが参加してくださって、いろいろな意見を出してくれたんです。
この様子を見て、青梅市立美術館にはまだまだ可能性があるなと思えたんですよ。
青梅市の魅力を伝えていく余地が残されているんだと感じることのできるいい機会になったと思います。
井上:本日はありがとうございました!
参加者の声
「アート、美術、芸術という言葉を、ここまで真剣に論じる場に居させてもらって、新鮮な気持ちになりました。」
「アーティストの声を身近に聞くことが出来たので、刺激になりました。個人的にはもっと聞いていたかったです。」
「継続していただけると嬉しいです。」
ご参加いただいた皆様、本当にありがとうございました。
また、6月22日にトークをしてくださる酢平☆さんもブログで当日の様子をまとめてくれました。ありがとうございました。
次回は5月25日(土)に開催します。奮ってご参加くださいませ!
お知らせ
アトリエ利用者募集中!
2024年5月10日現在、「THE ATELIER」の利用者を募集しています。2024年の8月1日以降から利用可能です。見学するだけでもとても嬉しいです!
イベント開催!
5月25日には、音楽家の金井隆之氏を招いたトークイベントも行います。そして6月8日、22日には映像プロデューサーの矢吹孝之氏、アーティスト酢平☆氏とのトークイベントも開催します。3人とも青梅に居住しながら創作活動を行うクリエイターです。
THE ATELIERで開催しますので、見学も兼ねてぜひいらしてください!
応募はこちらから
詳細
■第2回ゲスト:金井隆之氏
日付:2024年5月25日(土)
■第3回ゲスト:矢吹孝之氏
日付:2024年6月8日(土)
■第4回ゲスト:酢平☆氏
日付:2024年6月22日(土)
いずれも
時間:14:00開始 15:00終了予定
場所:THE ATLIER(青梅市本町130−1ダイアパレスステーションプラザ青梅204)
定員:15名
参加費:1000円(資料代)当日お支払い
主催:合同会社ARTの地産地消
https://lplcofart.wixsite.com/art-chisanchisyo
lplc.of.art@gmail.com
0428-84-0678(喫茶ここから内10:00-18:30/担当:風間真知子)
おわりに
イベントのご案内はもちろん、その他会社の詳しい内容は直接私たちにご連絡いただけると幸いです。
会社の拠点となりますTHE ATELIERには、同じフロア内に喫茶店を併設しております。基本的には定休日なしで営業しておりますので、お気軽にご来店いただき、お話出来たら嬉しいです。
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