私の英国物語 Broadhurst Gardens NW6 (59) The State Rooms, Buckingham Palace
1992年11月20日、Queen Elizabeth II が週末を過ごす城として知られる Windsor Castle の "the Queen's private chapel" から出火した火は、15時間もの間燃え続け、主要な the state rooms のうち9つの部屋を焼失した。
修復個所は100ヵ所以上におよび、復元にかかる総経費は£37,000,000と算出された。
この費用は納税者に課することなく捻出しようと、王室は Buckingham Palace の the state rooms を一般公開することを決定。
こうして、1993年から "the Palace’s Summer Opening" が始まった。
"The Palace's Summer Opening" は、女王がスコットランドに滞在する夏の2ヵ月間のみ行なわれる。
英国王室伝統の "the ceremony of Changing the Guard" を観に訪れたことのある Buckingham Palace だが、内部を見学できるこの機会は逃せない。
West Hampstead から地下鉄に乗り、Green Park で下車。 緑生い茂る “wooded meadows” Green Park を縦断して、Buckingham Palace 横に設けられたチケット・オフィスを訪れた。
"The Royal Parks of London" (Bushy Park、Green Park、Greenwich Park、Hyde Park、Kensington Gardens、Regent's Park、Richmond Park、St. James's Park、Brompton Cemetery) の一つである "Green Park" (公式名 The Green Park) は、その昔、"the Hospital of St. James's" からの遺体を埋葬する地であったといわれる。
16世紀に Henry VIII の土地となり、その後、Charles II が散歩道や夏の飲み物に使用する氷を貯蔵する “an icehouse” を建て、“Royal Park” へと整備していった。
18世紀から19世紀、Green Park は、気球競技や打ち上げ花火の名所となる。
Handel の楽曲 "Music for the Royal Fireworks" は、1749年、"War of Austrian Succession" (オーストリア継承戦争)の終結を祝って、Green Park で催される祝典のため特別に作曲された。
Green Park 周辺には政府関係のオフィスや通廊も多く、東側には St. James's Park へと続くガラスの屋根を架す 地下通廊があり、戦時中は "the Cabinet War Rooms" の一部となっていた。
Buckingham Palace への入場は時間制になっていて、入場者数が決められている。
“Entry Time 01:45 PM” のチケット (£8) を購入し、フラットに戻って昼食をとってから、また出向くことにした。
土地台帳によれば、中世、Buckingham Palace のあたりは "the Manor of Ebury" と呼ばれ、"the River Tyburn" が流れていた。 この川は、現在もBuckingham Palace の中庭と宮殿の南側の地下を流れている。
サクソン時代には Edward, the Confessor が所有し、the Norman Conquest 後には William, the Conqueror の所有となる。
その後、遺言により、この土地は Westminster Abbey の修道士たちへ譲渡される。
1531年、Henry VIII が Eaton College 所有の the Hospital of St. James's を取得、後に Tudor style の St. James's Palace を建設した。
1536年、Westminster Abbey から the Manor of Ebury を取得する。
こうして、何代も土地の所有者が変わった後、1703年、初代 Duke of Buckingham and Normandy がこの土地に館を建設する。
William Winde によってデザインされた三階建ての煉瓦造りの館のファサードは、今日の "Grand Entrance" へと進展していく。
1761年には George III の王妃 Queen Charlotte と子供たちのための家となり、公務は St. James's Palace で行なわれた。
1820年、George IV が即位。1826年に 建築家 John Nash を指名して館の大規模な改築を行なう。煉瓦造りの館は、"the French neo-classical style" に。
しかし、George IVは、完成を見ないまま亡くなってしまった。
1837年、Queen Victoria が即位し、St. James's Palace から Buckingham Palace へと移り住む。
以降、Buckingham Palace は英国王室の公邸および執務が行なわれる公式の宮殿となった。
その後、George V の時代になると、Sir Aston Webb によって Buckingham Palace のファサードと宮殿周辺の大規模な改築が行なわれる。
王室一家が国民の前に姿を見せるためのバルコニーも設置された。
Buckingham Palace の正門の外側には、彫刻家 Sir Thomas Brock による "the Victoria Memorial" の像が建立される。
Green Park と St. James's Park の間には儀式用の道路 "the Mall" が敷設され、Queen Victoria 像は、Buckingham Palace から Admiralty Arch へと続く方向を向いている。
Buckingham Palace Road の Buckingham Gate の見学者用入り口でチケットを見せ、セキュリティー・チェックを受けてから建物内部へと入場する。
公式訪問中の外国元首や様々な式典や儀式への来賓を迎えて歓待する場として実際に使用されている "the state rooms" は、素晴らしい絵画や調度品が落ち着いた雰囲気を演出していて、煌びやかで豪華というよりは、むしろ格調高さを感じた。
Brighton の離宮 the Royal Pavilion を訪れた時、ガイド役の大学のスタッフたちが雑談していて、ふと耳にした "classless" という言葉、Buckingham Palace を訪れて、その意味が良く理解できた。
Brighton はリゾートで訪れるところで、公務からは離れて過ごすところだとしても。
"The Ballroom" へ導く "the Grand Staircase" は、華やかな舞踏会をイメージさせ、そして、黄金と深紅に統一された、国王の謁見の間は、実に高貴で荘厳。
The state rooms を見学した後は、池を眺めながら庭園を散策。
帰りには、ショップでガイド・ブックと the state rooms の一つ "the Blue Drawing Room" のインテリアに使用されている “the damask upholstery” の模様をあしらったマグ・カップとピル・ケースを記念に購入した。これらは、家族へのお土産に。
1997年に Windsor Castle の修復は完了したが、Buckingham Palace の一般公開の存続を望む声が多く、また、宮殿の維持費のために、その後も "the Palace's Summer Opening" は継続されている。
※2024年は7月11日から9月29日まで公開されている。