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私の英国物語 Broadhurst Gardens NW6 (64) Oranges and Lemons, Six churches in the East End

    "Oranges and lemons" say the Bells of St. Clement's
    "You owe me five farthings" say the Bells of St. Martin's
  "When will you pay me?" say the Bells of Old Bailey
  "When I grow rich" say the Bells of Shoreditch
  "When will that be?" say the Bells of Stepney
  "I do not know" says the Great Bell of Bow
  "Here comes a Candle to light you to bed
   Here comes a Chopper to chop off your head
   Chop chop chop chop - the last man is dead."

英国の伝承童謡 "Oranges and Lemons" は、"London Bridge is Broken Down" のように、二人がアーチを作ってその下を他の子がくぐっていく遊び唄。
まず、アーチを作る二人は、他の子に聞こえないように内緒でどちらがオレンジかレモンかを決めておく。唄っている間に他の子たちはアーチをくぐり、"Chop chop chop chop - the last man is dead." でアーチが下りて捕まえられた子はアーチの二人に "Orange or Lemon?" と内緒で聞かれ、選んだほうのアーチの後ろに付く。最後の子が捕まってアーチの後ろに付くまで続け、どちらのアーチのグループが多いかを競う。
その起源は分からないが、世代を通して唄い継がれ、人々の間で親しまれている。

唄には世相やそれぞれの地域の様相が込められていて、背景を知ると非常に興味深い。
そして、唄に出てくるこれらの教会は、宗教改革、ピューリタン革命、教会の統廃合令、ロンドン大火や大戦など、歴史の中で翻弄されながらも、今も同じ場所に建っている。

"the Bells of St. Clement's" の "St. Clement's, Eastcheap" (EC4) は、London Bridge や the River Thames に近い、the City の25区の一つ Candlewick Ward の Eastcheap、King William Street から入った Clement's Lane にある。
"Eastcheap" という通りの名は、サクソン語の “a market” を意味する “cheap” からきており、 Westcheap と区別されていた。
後に、Westcheap は "Cheapside" という名称になる。

88年、イエス・キリストの十二使徒のひとり、St. Peter の門弟 Clement は、Bishop of Rome の命を受け司祭となった。 
101年頃、ローマ皇帝トリアヌスの治世に Clement はクリミアへ追放され、迫害により錨に縛りつけられ、黒海に沈められて殉教したという。 
St. Clement は、水夫や海事に従事する人々を守る聖人として祀られている。

1666年、St. Clement's, Eastcheap はロンドン大火で焼失し、Sir Christopher Wren によって再建された。その後、1872年、“the gothic-revival” の建築家 William Butterfield によって “Anglican High Church taste” に変わった。
この地域から近いテムズ川の岸壁では、地中海から運ばれてきたオレンジやレモンの柑橘類の荷降ろしが行なわれていた。
"Oranges and Lemons" の冒頭の一節には、当時の様相が歌われている。

St. Clement's, Eastcheap

"the Bells of St. Martin's" の "St. Martin's Orgar" (EC4) は、St. Clement's, Eastcheap からも近い Cannon Street から入った Martin Lane に建っている。
"Orgar" は、the Dean and Chapter of St. Paul's Cathedral に教会堂を寄贈したデーン人の Ordgarus からきている。

1666年のロンドン大火の時に建物の大半が焼失したが、塔と身廊の一部は焼け残った。 その後1820年まで、フランスから迫害を逃れてやってきたプロテスタント Huguenots (ユグノー)によって使用された。
1851年、St. Clement's, Eastcheap との教会区統合によって、共有の鐘塔として再建された。

この地域には、その昔、貸金業者が多く住んでいたといわれる。
英国の昔の通貨単位だった “farthing”は、4分の1 penny なので、“five farthings” は “a penny and a farthing”。 
“farthing” は、1971年、通貨十進制の導入によって廃止された。

St. Martin's Orgar

“The Bells of Old Bailey” は、"the Central Criminal Court" 通称 "the Old Bailey" の向かいに建つ "St. Sepulchre-without-Newgate" (EC1) 通称 "the Church of the Holy Sepulchre" であるといわれる。
ローマ時代に築かれた市壁にあった7つの門の一つ "the Newgate" の近くに建っていたことから、この名称がついている。後に "the Newgate" は取り壊されたので、"without-Newgate" となる。
The City で最大の教会区を有するこの教会は、St. Edmund the King and Martyr に奉納されたサクソンの教会だった。
12世紀の the Crusades (十字軍) の頃、教会の名称は "the Church of the Holy Sepulchre in Jerusalem" となり、以降、この "St. Sepulchre" の名が残る。
15世紀に建て替えられたが、ロンドン大火で大半が焼失、その後、18世紀に改築され、そして、19世紀に拡張工事が行なわれる。
第二次世界大戦には、幸いにも18世紀に建てられた見張り小屋以外の破壊は免れた。

1188年に建てられて以来 the Newgate の地には英国の歴史上悪名高い "the Newgate Prison" があり、the Newgate も門としての役割をしつつ、建物の一部は刑務所として使われた。St. Sepulchre-without-Newgate のベルは、the Newgate Prison に収監されている受刑者に処刑の時を知らせる役割もしていたという。
1903年、刑務所は取り壊され、その跡地には隣接していた the Central Criminal Court が拡張された。

St. Sepulchre-without-Newgate は、"the National Musician's Church" としても知られており、著名な音楽家や声楽家が埋葬されている。
The Proms に尽力をつくした指揮者 Sir Henry Wood は、十代の頃この教会で
オルガンの練習をしたという。 彼の遺灰はこの教会に埋葬されている。

St. Sepulchre-without-Newgate

"the Bells of Shoreditch"、the City の北東 the London Borough of Hackney の Shoreditch、Kingsland Road にある "St. Leonard's Church, Shoreditch" (EC2) は、12世紀にサクソン人によって建てられた。
“Shoreditch” という地名は、この地が沼地で “sewer ditch” が通っていたことに由来する。
1716年に塔の一部が崩壊し、1740年頃、古代ギリシャ・ローマの神殿を基にした Palladian architecture (パラディアン様式)で建て替えられた。
18世紀、この教会区は、ロンドンで最も多くの貧困層が住むことで知られていた。

St. Leonard's Church の近くには、1576年に建てられた英国で最初の劇場 "the Theatre" があり、1585年頃に Shakespeare も加わった。この教会にはテューダー時代の役者たちが多く埋葬されているという。 
1913年、the London Shakespeare League によって記念碑が建立された。

St. Leonard's Church, Shoreditch

“the Bells of Stepney” の "St. Dunstan and All Saints Church" (EC3) は、the City の東、the River Thames の北側に位置する the London Borough of Tower Hamlets の Stepney High Street に建つ。"St. Dunstan and All Saints Church" (EC3) は、アングル人によって建てられた。 
952年、the Bishop of London 兼 Lord of the Manor of Stepney が木造から石造りに建て替えた。 もともとこの教会は、“All the Saints” に奉納されたものであったが、1029年、the archbishop of Canterbury の Dunstan が列聖された時に St. Dunstan を冠して、再度、奉納された。

the River Thames が大きく湾曲して流れる Tower Hamlets 地区の南側は、海からシティまでの海運において大きな難所であり、また大雨の度に洪水が発生していた。
St. Dunstan and All Saints Church は、“the Church of the High Seas” として知られており、海難や水難で亡くなった人々が多く埋葬されている。

St. Dunstan and All Saints Church

"the Great Bell of Bow" の "St. Mary-le-Bow" (EC2) は、the City の Cheapside に建っている。"St. Mary-le-Bow" は、サクソン時代に建てられた。
ノルマン時代には "St. Mary de Arcubus" と呼ばれた。 
地下聖堂に2つのアーチ型の門があり、入るときに "bow” (会釈)をしたことがこの教会の名称の由来といわれる。
14世紀には、"the Bow Bells" が聞こえる範囲内で生まれた者だけが "true Londoner" "Cockney” (生粋のロンドンっ子)であるといわれた。
1666年のロンドン大火で焼失し、Sir Christopher Wren によって再建される。その後、大戦により建物の大半が破壊されるが、戦後再建され、残った建物は、1950年、Grade I listed building (第1種指定建造物) に指定された。

St. Mary-le-Bow

ところで、"Oranges and Lemons" の冒頭の一節にある “the Bells of St. Clement's” に関して、“the Bells of St. Clement's” は Strand の "St. Clement Danes" (WC2) であるという説がある。
St. Clement Danes は、9世紀後半に英国東部を支配したデーン人によって建てられたといわれ、水夫を守る聖人 St. Clement を祀る。
St. Clement Danes からは "Oranges and Lemons" のメロディーを奏でる鐘の音が聞こえ、特別礼拝時にはオレンジとレモンが子供に配られる。
さて、どちらが元祖なのか。。

St. Clement Danes, Strand


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