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私の英国物語 Broadhurst Gardens NW6 (23) The Royal Opera House

劇場の魅惑的な雰囲気と共に素晴らしいバレエ鑑賞を堪能した後、すぐに家路につくのはと、ティールームでお茶をしようということになった。
Covent Garden の The Market にある "Whittard of Chelsea" には、当時、ショップの奥にティールームがあった。

"Covent Garden" という地名は、12世紀、John, King of England の時代、Westminster Abbey が所有する、修道院の耕作地及び野菜畑 ”The Convent Garden” が、時を経て ”Covent Garden” といわれるようになった。
1540年、Henry VIII が行った ”The dissolution of the monasteries” による修道院解散と財産の没収によって Covent Garden は、国王の所有地となる。

1552年、Edward VI は、この土地 Covent Garden を父王の信頼できる助言者であった Francis Russell, 4th Earl of Bedford に与えた。
第4代ベッドフォード伯爵は、建築家 Inigo Jones を起用して開発を始める。

イングランドへイタリア・ルネッサンス様式を紹介した最初の建築家ジョーンズは、イタリア風の広場 Covent Garden Square を造り、周りに富裕層向けのテラスハウスを3棟建設。広場に隣接して “the actors' church” として知られる St Paul’s church を建てた。

広場の南には、王室勅許を受けた青空青果市場が開かれた。
市場は人々で賑わい、1666年の The Great Fire of London で東の市場が消失してからは、ロンドン経済を支える市場として更に発展し、卸市場として活気を増し、商人や買い物客を楽しませる娯楽も盛んとなって、多くの飲食店が軒を並べるようになった。
1833年、Charles Fowler の設計によって Neo classical style、古代ギリシャ・ローマのリバイバル様式の建物が建てられ、屋根付きの建物の中で市場が開かれるようになる。

1960年代になると、コヴェント・ガーデン一帯は、一般車両や市場に出入りする車で周囲の交通渋滞が深刻な問題となってくる。
そして、1974年、卸市場は、ロンドン南西部 Nine Elms へと移転。
1980年には、買い物客や観光客向けのティールームや雑貨などのショップが入居するショッピング・センターとして新装新たに開業された。

 The Royal Opera House の歴史は、1662年、イングランド王 King Charles II が、詩人・劇作家の William Davenant に Royal patent を与えたことに始まる。
俳優兼プロデューサーの John Rich は、”The Beggar’s Opera” の成功によって劇場を建てる資金を得、そして、1732年12月7日、建築家 Edward Shepherd による劇場 the Theatre Royal が、 Covent Garden Square の北西側に建設された。当時、特許状を賜った劇場は、付近の Theatre Royal Drury Lane とこの劇場のみであった。

1734年には、Marie Sallé による、劇場初のバレエも公演された。
翌年、1735年からは、Handel のシリーズが始まり、多くのオペラや oratorio (聖譚曲)が書かれ、この劇場で初演された。
1808年9月20日、the Theatre Royal は、火災により焼失。ヘンデルから寄贈されたオルガンを含む多くの物品が焼失した。同年12月より再建開始。
1年後の1809年9月18日、the Theatre Royal は、建築家 Robert Smirke の起用によって再建、Shakespeare の戯曲 "Macbeth" で再開された。
建物の建設費用を回収するために、運営側は席料を値上げしたのだが、観客たちは反発、再び元の席料に戻されるまで、この騒動は収まらなかった。

1817年、これまで舞台照明に用いていた蝋燭やオイル・ランプに替わってガスライトが用いられるようになる。
1843年には Theatres Act (劇場法)が成立し、特許状による公演やチケット販売の独占が廃止された。
3年後、天賦の才と称される 作曲家であり指揮者の Michael Costa が Haymarket の Her Majesty's Theatre からオペラ歌手たちと共にthe Theatre Royal  へと移籍。これまで、the Theatre Royal では戯曲やパントマイムなども上演されてきたが、オペラが主に公演されるようになってくる。
その後、観客席の改装を経て、1847年4月、"the Royal Italian Opera" と改称し、Gioachino Antonio Rossini の "Semiramide" で再開された。
1856年3月5日、再び劇場は火災に見舞われた。この火災で建物は全焼してしまった。
1857年、建築家 Edward Middleton Barry の設計によって3度目の再建が開始される。また、バリーは、ガラスと鉄を用いて、外観も印象的な Floral Hall を建設。Floral Hall は、生花・青果市場として、時には舞踏会場として使用された。
1858年5月15日、the Royal Italian Opera は、Giacomo Meyerbeer の "Les Huguenots" で、再び開業された。
1892年、the Royal Italian Opera は、レパートリーを広げるとともに、 “the Royal Opera House” と改称。

戦争中、演者も観客もいない the Royal Opera House は、本来の役割を失った。The Great War (第一次世界大戦)中は、家具倉庫として使用され、第二次世界大戦中は、ダンス・ホールとして使用された。
戦後、ダンス・ホールとして継続使用されるところ、音楽出版社の the Boosy and Hawkes が建物の賃貸契約権を獲得、そして、David Webster を総監督に任命した。
The Sadler's Wells Ballet が、常設バレエ・カンパニーとして招聘され、1946年2月20日、the Royal Opera House は、Margo Fonteyn を Aurora 役とした "The Sleeping Beauty" の特別公演で再び幕を開けた。
招聘に相応しいオペラ・カンパニーがなかったため、ウェブスターと音楽監督の Karl Rankl は、カンパニーを作り上げることから始めた。
1946年12月、the Covent Garden Opera は、Henry Purcell 作 "The Fairy Queen" を Frederick Ashton の振付によるバレエと共に合作公演。続いて翌年1月、カンパニー初演作品 Georges Bizet 作 "Carmen" を公演した。

両カンパニーは、Royal Charter を賜わり、the Royal Ballet (1956年)に、the Royal Opera (1968年)となった。
1980年代になると、the Royal Opera House は、設備的にも二つのカンパニーが公演を行うことに不十分となってくる。
1997年、21世紀に向かうに相応しい the Royal Opera House とするための再開発工事が始まった。

2年後、新歌劇場は、建物のフロントとロビー、観客席は1858年の時のものを継承し、他は全く装いも新たになった。観客席部分は、英国指定建造物となっている。
地下には、新しい技術設備とリハーサル設備を設えた the Linbury Studio Theatre が造られ、オフィスや教育施設も作られた。
1956年に火災を起こした後、歌劇場の倉庫になっていた Floral Hall は、
バーやレストランが備わったパブリック・エリアとして改装され、そこから歌劇場に行けるように直結されている。

英国滞在中には、幸いにも、チャイコフスキー作曲の三大バレエ、"Swan Lake"、"The Sleeping Beauty"、"The Nutcracker"、そして、ロマンティック・バレエを代表する Adolphe Adam 作曲の "Gisel"、Giacomo Puccini 作曲のオペラ "Tosca" を堪能することができた。
機会があれば、ぜひ、新しくなった the Royal Opera House のバックヤード・ツアーに参加したいと思う。

※2024年、The Royal Opera House は、130年に亘るその名称を "the Royal Ballet and Opera" と変更した。その名称はバレエとオペラの両方をより際立たせたものとなっている。


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