猛々しい竹

人生にはしばしば「節目」というものがある。DVDでいうところのチャプターであろうか。

竹の節目が言葉の由来である。
節目の数は筍の時から変わらないらしく節目と節目の間がぐんぐん伸びて立派な青竹になるのだ。
ともすれば人生で起こりうる象徴的な瞬間はもう決まっていてあとはどれだけ成長するかでそのタイミングが変わるだけなのかもしれない。

自分には2歳ちょいの姪っ子がいて週末によく遊びにきている。
この前までは寝るか泣くかしかなかったのに今となっては家中叫びながら走り回ったりおもちゃ箱をひっくり返したり。
特に食べるのが好きで食べ物を確認すると決まって「いる」の一言。
おねだりというかもう宣言だし。「ちょうだい!」もかわいいけどいるかいらないかを選択しているだけでもらえないことは想定していない潔さがいい。好。
11月には七五三という立派な節目を迎えるそうで、時の流れる速さと子どもの成長速度にただただ驚かされ脅かされている。

みる度大きくなるしよく喋るし、この子はこの前会った時からこれだけ成長しているのに自分はちっとも変わっていないじゃないかと勝手に落ち込むことさえある。

自分にとっての直近の節目といえば、学生を終え社会に放り出された昨3月であろうか。
19年間を過ごした学び舎を後にし、これからは誰も自分のことなんか知らない社会に飛び込んでいくことに若干の期待と大方の嫌気を胸にしていた。

そんな節目からもう一年が経とうとしているわけだが新しい環境からどれだけのことを吸収できたか、変化や成長はいかほどだろうか。
社会の荒波に負けじと激しく生きたい。

次の節目といえばなんだろう、彼女?結婚?子ども?
なんとか成長して背を伸ばすことで次の節目を遠ざけたいものである。

そんなことを考えながら緑茶をすすって羊羹を頬張っていると椅子の下から声が聞こえた。
「いるー!」

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