能動的note

自分はなにかと影響されやすいタチだ。
10年続けた部活のバスケットボールもきっかけは兄がやってたからだし、他にも漫画に小説にゲームにと、いろいろ真似をして自分でやりたがった。
真似をしたがるのは末っ子の気質だろうか。
近頃しきりに「ケンチャナ」と口走っている。韓国語で「大丈夫」。いい響きだ。
これもドラマの影響。
人生だって流行り廃り。絶えず何かの影響を受けて漂っていくんだろう。

思い返せば中学一年生、その時も意味もわからないカタカナを言っていたっけ。
寮生活をしていて毎朝「オッセイ」と言っていた。起床後に行う乾布摩擦や掃除で上級生に続いて復唱するのだ。「オッセイ、オッセイ、オッセイ、オッセイ」
早朝に行われるキャッチボール、オッセイを投げてくる上級生もかつて同じ床を磨いていたであろう教師も意味を知らない謎の単語。
まあこの頃は意味わかんないことばかりだったけど目の前のことに必死だったから、その話はまた今度。

それはそうと今こうしてnoteを開いてキーボードを叩いているのも漏れなく最近エッセイを読んだからである。
先日模様替えをした部屋の本棚にはにゃんたこ、弘中アナ、Aマッソ加納、ハライチ岩井の本が収まっている。いいね〜この並び、好きな人しかいない。とんがっててギラギラしてる。

エッセイってのはいい。小気味よく読めるし、書いてる人のことを多少なりとも知っているともっと面白い。
そういえば小学生や中学生の頃、マンガや小説を書いていたっけ。
でもどれも完成までは辿り着かなかったかな。

いつからか新しいことを始めなくなったように思う。
いま抱えているものに夢中で精一杯だから?
言い訳して踏み出せていないだけ?
歳を重ねて賢しくなってしまったからだろうか。
時間もないし、場所もないし、お金もかかるし、だし、出汁、山車。。。
やらない理由を見つけるのは簡単でそれは強力。じゃあやりたい理由は?
そんなのきっとないんだと思う。後付けでそれっぽい論理を組めるかも知らんけどただやりたかったからだよ。
上手くいかなかった経験があるから新しい芽を潰したいだけ。やりたいならやってみればいいじゃん。それでダメだったらやめちゃえばいいよ、また新しいこと始めればさ。

エッセイ、書いてみるか。
もうオッセイとか言うこともなくなった。ケンチャナ、ケンチャナ!

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