凡庸な寛容さ

何となく気になってしまうことが他の人にはまるっきりどうでもいいことがある。

これは大学生の頃、7,8人で居酒屋に行った時の話。学校からほど近いお店でのこと。

適当にメニューをめくりながら料理を頼んでいた。ポテトフライを注文しようと思ったが見当たらない。複数人でつまむのに適していて酒に合う鉄板の一品。居酒屋の定番メニューだし頼んでおけば間違いはない。揚げ物に塩が降ってあれば大体うまい。
待たせるのも申し訳ないので聞いてみた。

「ポテトフライってありますか?」

「ありますよ」からの「じゃあそれで」の返しを用意していたのだが回答は斜め上だった。

「フライドポテトならあります」

思わず黙ってしまった。みんな何かを言いたげに目配せをしている。
困惑したものの用意していた答えが口をついて出た。

「じゃあそれで」

正直それって何か違うんですかって返そうかとも思ったんだけどめんどくさい客になってしまいそうだからやめた。
店員が足早に厨房へと引っ込むとみな堰を切ったように話しだした。
もちろんポテトフライとフライドポテトの違いについてだ。
揚げられた芋なのか、芋を揚げたのか。じゃあマックのは?それはフライドポテトじゃない?

まあどうでもいい、至極どうでもいいことではあるのだが気にはなる。魚の骨が喉に引っかかっている。それにくだらない話ほど盛り上がる。そしてこの魚の骨が取れて時は快感だ。口内炎が治った時の様な、二日酔いでドロドロの状態でスーパー銭湯に行った時の様な爽快感を伴う。
わざわざ訂正をすると言うことは違うものなんじゃないか。
メニューもポテトフライとフライドポテトがあるのかもしれない。

そうだ、メニューを見ればいいんだ。答えはそこにある。
白熱した議論を交わす周囲をよそにメニューの隅々まで探す。
あった!揚げ物のページにあるじゃないか!ポテトフライ!
ん?ポテトフライ?フライドポテトじゃなくて?
なんだい、この店のメニュー的にはポテトフライじゃないか。何だったんだあのバイトは。メニューも覚えてないのか。
すると注文をとりにきたあの店員が料理を持ってきた。

「お待たせしました。ポテトフライです。」

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