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創作を捜索

オードリーのANNで若林が春日に対してお前は創造力がないって話をしていて、でもそれは悪いことじゃなくて春日が今まで恵まれてきた環境にいるからクリエイティビティが育たなかったっていうのね。
親に恵まれ、学校で友達に恵まれて環境に恵まれたから自分や世界に強い不満を持たなくて普通の人間になったって。主張がなくて訴えかけたい何かがないから感性が尖らなかった的な。
これ聞いてて変に納得しちゃったんだよね。
まあ若林は春日に皮肉100パーセントで悪口言ってるだけだからそんな深い意味を込めてないんだろうけど。
やっぱ上手くいかない時ほど創作は熱が入るし自分が成長できると思う。
こんなことはよく言われていることだけど。

でもただ辛ければいいってもんでもないとは思う。
溺れている時って苦しいけどずっと溺れていれば泳ぎが上手くなるわけじゃない。ていうか死ぬし。
泳ぐためには陸が必要なんだよね。そこから水に飛び込むんだし死ぬ前に帰ってくるんだから。

コンフォータブルゾーンからあえて踏み出していくのが大切だけど、でももうちょっと言うなればその負荷が高い時期を乗り越えた時が成長する瞬間じゃないかと思う。
例えば肉体のトレーニングってジムで鍛えるってイメージがあると思うんだけど筋肉がつくられるのはジムじゃないんだよね。
ジムで破壊された筋繊維はそれ以外の時間での食事や休息によって回復して強くなるから大切なのはジムの外での過ごし方だし筋肉が育つのはジムじゃない。
トレーニングの質が肝心要なのは言わずもがななんだけどそこで頑張った気になって他を疎かにしちゃうと上手く伸びない。食事八割なんて言われてるくらい。

だからしんどい時期って歯を食いしばって踏んじ張るんだけどそこを切り抜けた時気を抜いてしまうともったいないんじゃないかなって思う。
経験を成長に変えていくのは乗り越えた後の期間だと思う。

でも例えばトレーニングなら栄養の知識がないとジム以外の時間を活かせないんだよね。
創作やクリエイティブにおいて定着のためには何が必要なんだろう。それを勉強していかなきゃいけないし自分でいろいろ試していきたい。
それこそこうやって思っていることを書き留めるのもひとつの手段かなと思う。

それでいうと最近思うのはボディビルと農業は似ているなって。
シーズン毎に長期的な目線で日々を積み重ねていって収穫でその成果を確認して次の1年でより良くするために少しずつ改善していく。知識や方法論は溢れかえっているんだけど結局自分で試していくしかないからそのトライアンドエラーで取り組みが定まってくる。ただ試せるのって長くて40年だとしても40回。なかなか難しいゲームだよね。
でも考えてみれば人生なんて大体そうなんだよね。

物事には波があっていい時悪い時で浮き沈みがあるもんだけどあんまり達観しちゃうと世界に体温がなくなるから目の前のことにしっかり一喜一憂しながら3歩進んで2歩下がるくらいの気持ちで生きたいね。

p.s.人生ってよく川に例えられるよね。
もう水場には近付かないけど人生の泳ぎ方は、いやせめて浮かび方くらいは身につけないとな。

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