一流の役者は一流のコメントを発信してくれる件
日本の伝統芸能に関わる仕事に就いていることは、過去にもお話ししました。
特に、大阪に源流を持つ『人形浄瑠璃文楽』の世界に近いところに居り、今まで見向きもしなかったニュースにも興味を抱くようになりました。
ところで先日、『秋の叙勲褒章受章者』が発表されました。
例年ですと、やはり華々しい芸能界をはじめとする有名人、今回なら三浦友和さんや風間杜夫さん、久石譲さん、コシノジュンコさん、さらには俵万智さんや東野圭吾さんら著名文化人に注目するところですが、『人形遣いの吉田簑助さん』と書かれていた記事が目に留まりました。
『人形遣い』というのは、『人形浄瑠璃文楽』に於いて文字通り『人形を操る』技芸を持った人で、語りの『太夫』、伴奏の『三味線弾き』と合わせて『文楽の三業』と呼ばれる役割分担の一つを担っています。
受賞を扱った記事の見出し、
『気が付けば90歳になっていました。勲章をいただけますのは望外のこと』と、謙虚な言葉に要約されています。
コメント全文を読んでみましたが、簑助さんのコメントが極めて心地よい。
この短い挨拶分を非常に心地よく感じた理由、
その1,
洒落っ気が利いている。
『人形浄瑠璃文楽は一体の人形を三人で遣います』と基本を説明した後で、『私の手となり足となって』という表現は実にウィットに富んでいる。
『主遣い』である簑助師自身は人形の右手を、『左遣い』は人形の左手を、そして『足遣い』は人形の脚を操りますので、文字通り、『私の手となり足となって』なんですね。
その洒落がサラっと組み込まれている。
その2,
先人と後進の双方に、しっかり感謝の念を述べている。
300数十年に及ぶ人形浄瑠璃文楽の歴史を継承し、後世に伝えていく身として、まずは『共に人形を遣ってくれた門弟や後進に、ただただ感謝』を伝える一方で、『江戸の昔より、この美しきものを伝えてくれた先人たち』にも敬意を表している。
その3,
そして、最後には『生まれ変わっても再び人形遣いとなり、足遣いの苦しい修業を、一からまた始めたいと思っております』と、『人形遣い』が自身の生業であり天職だったと回顧しています。
正直、本当に『足遣い』からまた始めたいと思っているのか?
俗に、『足10年、左15年』とも言われている厳しい修行(桃栗3年、柿8年よりも長い!)。つまり、『主遣い』として『出遣い(黒衣を被らず顔を出して操る)』できるまでに、最低でも25年の下積みが必要なわけで、生まれ変わってもまたその下積みをやり直したいというのは、今の、そしてこの先の若手に対する励まし以外の何物でもないと思います。
当時は辛く苦しかった体験ではあるけれども、今、振り返ってみれば、あの時の修行があってこうして褒めてもらっている、そんなメッセージに受け留めました。
さて、吉田簑助さんは残念ながら既に2021年に現役を引退されていますが、簑助さんと同じく人間国宝(重要無形文化財各個認定保持者)である豊竹咲太夫さん(79歳)も、これまた軽妙洒脱なコメントを得意とされています。
残念ながら昨今は体調を崩されていて劇場では休演が続いていると聞いているのですが、先日(2023/9/25(月))、東京半蔵門の初代国立劇場閉館に関するイベントの一環として、『人形浄瑠璃文楽座特別公演・文楽祭』が執り行われた際のその中盤、『座談会』の中で、咲太夫さんのウィットが遺憾なく発揮されました。
その日の座談会、元NHKアナウンサーの山川静夫さん(90歳!)の司会進行のもと、和やかに進んでいましたが、咲太夫さんは足を悪くされたらしく車椅子での登壇となりました。
その座談会の前、当日の序段の演目が『菅原伝授手習鑑』の三段目、『車曳の段』だったのですが、司会者から『今日は車椅子でたいへんですね』と声を掛けられてひとこと、咄嗟に『出し物が車曳だけにね』と返されたのです。
それだけに終わりませんでした。
『お怪我は、どうされたのですか?』と問われて答えるに、
『天ぷら屋で天ぷら食べてましてな、立ち上がったら床に撥ねた油で足を滑らせて…、まさに女殺やないけど、油地獄でしたわ!』と…
『女殺油地獄』は、知らない人から見れば(私もそうでしたが)昭和のロマンポルノ映画のタイトルにも見えますが、人形浄瑠璃文楽に於ける著名古典名作の一つです。
それが咄嗟に出てくる、いや、持ちネタとしてあちこちで言い回しているかもしれませんが、けっして下品ではなくユーモアに富んだ返しだと感心しました。
念の為、関係者に確認しましたが、この座談会では一切の台本や打合せはなく、山川静夫氏の老練のファシリテーターぶりが発揮されていました。
道を極める、究める…、
その技芸を磨くことは勿論のことですが、こうしたメッセージや咄嗟のコメントを聴くにつけ、一流の人間は一流のコミュニケーション能力も身に着けていらっしゃるということを実感した一幕でした。