『昭和歌謡曲酒場』のおかげでキャンディーズの44年間の謎が解けてスーッとした件
『昭和歌謡曲バー・スイートメモリーズ』にお邪魔してから1週間、興奮冷めやらず、部屋では『キャンディーズ』をヘビーローテーションしています(笑)
キャンディーズの活動時期は、1973(昭和48)年から1978(昭和53)年。私の小学生時代とモロに被ります。
尤もデビュー当時から追いかけていたわけではなく、小1から小2は『フィンガー5』の妙子ちゃんにゾッコンでした。その後、布施明・西城秀樹・沢田研二を聴き、『ピンクレディ』にもちょっと惹かれながらも、やはりキャンディーズが一番好きだったように思います。
歌番組だけではなく、『8時だヨ!全員集合!』でドリフターズと体操や寸劇で絡んでみたり、『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』でベンジャミン伊藤やコマツの親分とハシャイでみたり、人気沸騰してました。
それよりなにより、懐かしのビデオを幾つも観てハッと気付いた事は…
生放送で生バンド!
いや、キャンディーズに限らず、あの時代は多くの歌番組が生放送だったし、生バンドによる演奏でした。『8時だヨ!全員集合!』に於ける『岡本章生とゲイスターズ』、『夜のヒットスタジオ』に於ける『ダン池田とニューブリード』(後に『三原綱木&ザ・ニューブリード』)等、番組専属のプロ演奏家が歌手の後方で伴奏していた時代。生放送ではタイムテーブルが狂うこともあり、巻きが入ると演奏ピッチ(BPM)が信じ難いほど速くなって、歌手が必死に歌っている気の毒なシーンもありました(苦笑)
そんな中で、キャンディーズは自前で専属のバンドを従えていました。
商業的にはキャンディーズよりも成功したといえるピンクレディでも、専属バンドは持っていません…
そのバンドの名は、『MMP』。
正式には、Music Mates Players の略です。蛇足ながら、ずっと後(1988年)に SMAP(Sports Music Assemble People)がデビューしますが、もしかしたらそのネーミングに影響を与えているかもしれません。
MMPは、あいざき進也のバックバンド(Beat of Power)からキャンディーズのバッキングを務めたあと、1979年にはあの『スペクトラム』へと発展していきます。そう先日、ゆってぃの『ワカチコ』のルーツを探る回で登場した、『ワッチコン!』の『スペクトラム』。
そのMMPの演奏がいかに凄かったかは、キャンディーズがTVでお馴染みのヒット曲を歌う時の映像で確認できます。
彼らのコスチュームは’70年代ファッションで、なんともアレな感じですが、どのセクションも演奏はキレッキレです。
小学生の頃はラン・スー・ミキの3人の姿を追いかけるので精一杯でバンドに注目したことはありませんでしたが、今となってみては、とんでもないプロ集団だなぁと感嘆するほかありません。
MMPから SPECTRUMに至る中心人物といえば、新田一郎氏です。
ナベプロのトランペッターからスタートし、スペクトラムの活動休止後もサザンオールスターズのデビュー曲から関わり、幾多のアーチストに楽曲提供や編曲を担当。嘉門達夫や爆風スランプをプロデュースした、音楽家であり実業家です。
若い頃から長髪にレイバンのサングラスでキメて、踊りながらトランペットを吹く。演奏の合間の『トランペット回し』は、彼の代名詞にもなっていますが、その妙技はこんな動画で確認することができます(00:45~とか05:37~辺りをご覧ください)。
さて、『スイートメモリーズ』で観せていただいた懐かしビデオで、もう一つ大きな発見がありました。
1978(昭和53)年4月4日、中学校の入学式間近の私は、TVに噛り付いてキャンディーズ解散コンサート(ファイナルカーニバル@後楽園球場)に見入っていたわけですが、その時の会場の掛け声、
これは、親衛隊の親分みたいな人がマイクでファンを煽っている掛け声と思って聴いていた、中学生になりかけの私。
それがこのビデオを観て、MMPによる『Super Candies』という楽曲(森雪之丞作詞・新田一郎作曲・西慎嗣歌唱)だと判明したのです。
当時のコンサートで、キャンディーズの3人が衣装替えでバックに下がった時間、MMPが場のテンションを保つ為に作った応援歌だそうです。
まさに青天のへきれき…
実際の楽曲はこちら(02:00~ MC付き、曲は03:26~、私が覚えているのは04:35~です。是非お聴きください!)。
小6から中1に変わろうとする私がずっと不思議に思っていた掛け声、今、実に44年振りにその謎が解けて大興奮であります!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?