裁判傍聴に行ってきた(トゥトゥマガジ Vol.2)
裁判傍聴に行ってきた話
前号で「裁判の傍聴に行ってみたい」と書いたが、わたしが裁判傍聴に興味を持ったきっかけは二つある。
一つは、実際に訴訟をしていた友人の言葉だ。
その友人は原発運転差止訴訟の原告団の一人だった。ドラマで見る裁判シーンでは傍聴席は埋まっているが、友人がしていた裁判では傍聴席がガラガラな時もあったそうだ。当時彼は「裁判官は明らかに傍聴者の数を気にしている」と言っていた。
「傍聴者が多いか少ないかで裁判の行方が変わるかもしれないということ?そんなことが起こりうるの?」と衝撃だった。
確かにSNSなどでも、原告が傍聴を呼びかけているのを見かける。「司法はドライで公平な場」というイメージを持っていたので、わたしは友人の言葉に面食らった。
もう一つは、裁判がとてもオープンな場であると知ったことだ。
憲法82条によって裁判の公開は定められている。これは国民の監視のもとに公平性を保ち、司法が暴走するのを防ぐためである。家庭裁判所など私生活に深く踏み込む必要のあるものは非公開になるが、どんなに非公開を訴えても絶対に公開される裁判が三つある。それは
①政治犯罪
②出版に関する犯罪
③憲法で保障されている国民の権利に関わる裁判
この三つだ。
2024年8月、わたしは東京地裁にいた。
東京地裁は日本国内最大の裁判所だ。最寄り駅を出てブラブラ歩いているだけで、すぐにそれと分かる。
エントランスに入ると手荷物検査が行われた。
検査を終えて中に入ると左に「開廷表」がある。
開廷表とは、その日その場で行われる裁判を記載したものだ。実は、どんな裁判がいつ行われるかについて、裁判所からは事前に告知されない。そのため、裁判所にある開廷表でその日に傍聴する裁判を選ぶ必要がある。(※1)(※2)
東京地裁の開廷表はタブレット式だった。
民事や行政など、項目から検索することが出来る。
わたしはこの日、見たい裁判が決まっていた。
一日の裁判数は多いが、詳細が分からなくても開始時間さえ分かれば全件検索から絞り込みが可能だ。
多分これだろうと思うものを見つけたが、確信が持てなかったので、となりの傍聴上級者っぽいおじちゃんに訊ねてみた。
「すいません。もしお詳しいなら伺いたいんですが、この裁判(スマホの画面)って、これで合ってますかね?」
「どれどれ……。うん、民事なので、これで合ってると思いますよ。これは何の裁判ですか?」
「コロナワクチン被害者による国家賠償請求訴訟です」
「へぇ、おもしろそうですね!」
おっちゃんは持参したノートに何かを書き綴っていた。
傍聴がライフワークなのだろうか。開廷表から面白そうな裁判を見分けるポイントも聞いておけばよかったな、と少し後悔。
無事に法廷を確認したあとは、地下の食堂「レストランアターブル」へ行ってみた。
メニューはカレーと蕎麦(orうどん)のみ。
安いんだろうなとは思っていたが、予想を遥かに上回る安さだった。つけ汁肉うどん、650円(これが一番高い価格帯)。居住区の役所の食堂よりずっと美味しい……!
食道内にはゆっくり食事を楽しんでいるような人はおらず、みんな一人でやってきてはサッサと食べて足早に去ってゆく。食堂の他、コンビニ、郵便局、本屋があった。
本屋はさすが裁判所だけあって法律書専門店だったが『〇〇国に司法を築いた男の2000日』みたいな本もあって、選書を見ているだけでも楽しめた。
裁判の時間になって法廷へ。
場所が分からずインフォメーションのおじさんに聞いたら、慣れた口調で教えてくれた。
法廷前で傍聴券を受け取り、中へ入る。一番前は報道者席。
わたしは最後列の真ん中の席に座った。
法廷内は録音・撮影は一切禁止だ。
多くの人が膝の上にノートを開きペンを構えている。
見回すと、スーツケースを持った人や地方のお土産袋を抱えた人もいる。
この日は傍聴席の八割が埋まっていた。
定刻になって間も無く、裁判官が入廷。みんなで起立礼。起立礼なんて、高校のとき以来だ。
端に立っていた男性が突然「裁判長、撮影を始めて宜しいですか?」と声を上げた。
裁判長が返答し、撮影が始まった。
裁判のすべてを記録するものかと思ったら「傍聴席のみなさまは真っ直ぐ前を見ていてください」と言われ、じっとしていたら数分後「撮影を終わります」と、後列に設置されていたカメラが撤去された。
一体何を撮影していたのだろう。
そしてついに、裁判が始まった。
この日は口頭弁論の第一回目だったので、原告の意見陳述と、第二回の弁論時期を決めるだけで終わりだった。
ドラマで見るような感情的なシーンは無い。
むしろ、原告は役目を果たすために感情を押し殺しているように見えたし、被告は死んだ魚のようだった。ただ与えられた役目をこなすだけの人たちだったのだろうか。押し殺す感情も、責任感も持ちあわせてはいないようだった。
所要時間は30分。
裁判長は白い髪が豊かな男性で、おっとりとした喋り方をする。
声が小さく、最後列に座ってしまったせいもあってか言葉のほとんどを聞き取れなかった。
昨今のニュースで司法と政権の癒着を感じていたわたしは、国家賠償請求訴訟などでは見るからに悪どそうな裁判長が抜擢されるのではと勘繰っていたために、ちょっと拍子抜けだった。
閉廷して、法廷を出る。
傍聴券を記念に持って帰ろうと思ったが、出口で回収された。
法廷を出た傍聴者が口々に「裁判長の声ちっさかったな」と言っていたので、とりわけ声の小さい人だったのかもしれない。
それでも法廷内にマイクは無いので、次は前の方に座ったほうが良さそうだ。
ロビーのソファに座っていると、しばらくして原告団が出てきた。傍聴者たちと話している。SNSを確認すると、このあと記者会見のようだ。
わたしはこの裁判について事前に内容を知っていたが、もしこれがふらっと入った初めての裁判傍聴だったとしたら、少し難しいだろう。
調べてみると、どうやら裁判にも傍聴初心者向けのものがあるらしい。
裁判傍聴に行ってみたいという方には
①刑事裁判
②裁判員裁判
がお勧めのようだ。
刑事裁判は、有罪/無罪を問うもので、ドラマなどでよく見かけるものだ。
手錠をかけられた被告は、すべて刑事裁判である。
裁判員裁判は、一般の人が裁判員として参加しているので、事件の内容をスライドで説明したり、専門用語が控えめだったりと、傍聴初心者でも流れが追いやすい。
とまぁ、実際に傍聴してみたが、そのおもろしろさは正直まだ見えてこない。
が、原告の悲痛な言葉を生で聞くことは、ネットニュースで知るのとはまったく違う味わいがあった。
それは実態として重みを伴い、伝播されるものだ。
わたしが見た裁判もその後記者会見が行われ、各紙でニュースになっていたが、法廷を満たしていたあの空気感はそこに漂ってはいない。
原告の、時たま震えそうな声を隠して意見陳述する様や、まったく生気のない被告団の顔は、記事には書かれていない。
もちろんそれは、ただ事実を伝えることに注力する記者の本質的な姿勢でもあると思うが、それでもそこには、その場にいない者に伝えるべきことを伝えようとするジャーナリズムのようなものは、わたしには感じられなかった。
今の時代は、情報過多が日常だ。
誰かをSNSで簡単に批判するのは、目の前の人に殴られたことがないからだと誰かが言っていた。
わたしはこの裁判を、判決が出るまで傍聴し続けてみようと思う。
(※1)
多数の傍聴者が予想される裁判の傍聴は抽選となるため、裁判所のウェブサイトで事前に日付が公開される。
(※2)
開廷表の他には、原告の自主的な告知で知ることが出来るほか、事件番号が分かれば裁判所に問い合わせると詳細を教えてくれるそうだ。