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Toshiko MEETS HER OLD PALS 秋吉敏子

宮城県の言葉訛りをご紹介しましょう。
例えば、
「殆ど」⇒「ほどんと」と読みます。これは、県民のほどんとの人が正しい日本語と信じて疑うことのないまま使っている言葉です。
「長靴」⇒「ながくづ」、「座布団」⇒「ざふとん」
これらは、濁点の付される部位の違い、あるいは有・無によって生じる発音の変化で、初歩的な訛りということができます。
宮城で生まれ育ち、この地で生きてきた方の言葉は、実際には文字ではとても表現できない音、真似のできないイントネーション、独特のリズムなどに満ち溢れています。
そして、ジャズにも訛りがありました。日本人のサックス・プレイヤーには、スローな曲でついつい演歌的な“こぶし”をきかせてしまう人もいますが、それとは違います。“こぶし”ではなく“なまり”です。ここでご紹介しているアルバム「トシコ旧友に会う」の収録曲で「わたすのビート-ヴィン」というのがあります。これは明らかに東北訛りですよね。東北には縁もゆかりもないであろう秋吉さんの曲が、どういうわけでこんなタイトルになったのか知りません。実際に演奏を聴いても謎は解けません。
秋吉敏子は1929年生まれの現役ミュージシャン(ピアニスト)です。日本ジャズ界の出世頭で、今でもその頂点に君臨しています。若くして単身渡米し修行を重ね、ダウンビート誌でトップ10の常連ミュージシャンとなりました。米国で認められた、日本人初のジャズミュージシャンです。
そのご主人が、11歳年下のルー・タバキン(写真右)。
隣でにんまりしているのが秋吉さんより31歳若い私です。
その彼女が、1961年に一時帰国した際に録音されたアルバムで、若き日の渡辺貞夫(as)、宮沢昭(ts) 原田政長,栗田八郎(b)、富樫雅彦,白木秀雄,猪俣猛(ds)とまあ、すばらしい旧友たち。彼らが、米国に負けるもんか!という心意気で渾身のプレイ聴かせてくれる日本のジャズアルバムの金字塔です。
訛りは郷土の大切な文化。当社の社員も思い切り訛っています。社内では、関東以西の方には到底理解できないであろう会話が飛び交っております。しかしながら、どんなに訛りのきつい社員でも「Maruyama」という社名を訛って発音することはできません。
そのようなわけで、「だからどーした⁉」という結論で、このブログを終了したいと思います。すみません。

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