人生初手術と術後5ヵ月咳が止まらなかった話
2020年3月に子宮鏡下手術というので、子宮筋腫(粘膜下筋腫)とポリープを摘出した。初めての全身麻酔での手術。
婦人科の内視鏡手術で、体表に傷跡は残らない術式。筋腫とポリープをそれぞれ1つずつ摘出、時間は30分の予定だった。
この時までの人生最大の医療行為は、埋没した親知らずの抜歯だったので、何もかもお初でかなり不安だった。
手術中に目を覚ますことはないですか?
夢は見ますか?
逆に終わっても目を覚まさないことはないですか?
麻酔が入るとき、不安が前面に出ていたのだと思う。
看護師さんが手を握ってくれて、まさに白衣の天使!!後光がさしていた。
手術が終わって起こされてすぐ、夢を見たか聞かれた。
私が事前に質問したからだろう。
「最後の方に見ました」
こう答えたのを覚えているから、見たのだと思うけれど今はもう思い出せない。でも悪夢ではなかった。
目が覚めたときは、気持ちが悪くて頭が重かった。でも痛みはなし。
驚いたのは、予定時間30分のはずが3時間かかっていたこと。
状態が悪かったわけではない、機械が壊れたらしい、、、
寝ているとワープしたかのように一瞬だから、当たり前だけど全然わからなかった。
ただ問題は、
トイレに行きたい。
尿道カテーテルは入っていない。
起きてしばらくした頃から尿意を感じていたけれど、2時間は絶対安静。
1時間を過ぎた頃に看護師さんに言ってみたら、、、
「ここでしてもらうしかありません」
えっ?気持ち悪さもだいぶ抜け、もう自分を取り戻していたため、そこはまだ尿意より羞恥心が勝った。
我慢します、、、
2時間経って動けるようになったとき、真っ先にトイレに駆け込んだことは言うまでもない。
その後は予定通り2泊3日で退院したのだけれど、術後からの咳だけが取れなかった。
麻酔中は人工呼吸器をつけるため、喉の痛みや違和感、淡や咳が出ることは事前に説明されていた。
ただ大体は数日で治まるとのことだったので、特に気にしていなかったけれど、退院の準備で動き出したらさらに咳き込むようになった。
折しも国内のコロナ感染者が増えてきて、危機感が募っていた頃。
帰りの電車で咳き込んだら、あからさまに隣の席の人がのけぞっていた、、、。
今の時期の咳は嫌だわ、早く治ってくれと思っていたが、まさか5か月治らないとは。
最初の頃は、一度咳き込むと吐きそうになるまで止まらず、本当に吐いたこともあった。
さすがにそこまでひどいのは最初だけだったけれど、嫌な感じの空咳が残った。
近所のクリニックでレントゲンを撮ったが問題なし。
熱はなかったため、まれに肺の回復の遅い人もいる、私もそうなのだろうということで様子見。
そのまま術後2か月の経過観察を迎え、当時の主治医に相談。
ただ残念なことに、この頃は緊急事態宣言下。この病院では検査や診療を制限していた。私は術後の経過観察だったため受診したが、病院はガラガラだった。
「造影剤でアレルギー出ていましたよね、実は喘息ってことはない?」
思ったことないですけど、、、(そんな急に発症するものなのか?)
術前の肺機能検査は特に問題なしだった。
ただ最初の何回かNGで、最後、「頑張ってもっと思いっきりはいてください」と言われた渾身の1回で、ようやくOKとなったのを思い出し、伝えた。
とはいえ、緊急事態宣言下。
「うーん、渾身の1回だったのかもしれないけど、今はよっぽど悪くないと検査に回せないんですよね」
結局、世の中が落ち着いて来た頃もまだ治っていなかったら、呼吸器内科にコンサルしてもらうことになってこの日は帰宅。
呼吸器内科なんて今もっとも行きたくない科だけどね、、、
長引く咳には漢方が効くと聞いたため、藁をもすがる思いで漢方医を訪ねた。そしたらこれが、まさに運命の出会い!
その後、劇的に改善した。
しかも、なぜかよくわからないけれど痩せた。もともと咳がピークだった頃に数kg痩せていたけれど、トータル10kg程痩せた。
こんな棚ボタみたいな痩せ方はそうそうない。
まだこの頃は、自分の体が悪性腫瘍におかされているなんて夢にも思っていないから、「咳は辛かったけど痩せたのはラッキー、もう一生手術はしたくないけどね」、と思っていた。
ただ最後の1歩が治りきらない感があり。その後、乳がんと診断され、気を上げるような薬に変えてもらったら数日で治った。
今思えば、自力で治す気力がもうなかったのかもしれない。
そんなこんなで、乳がんの手術が決まったとき、また咳が止まらなくなるんじゃないかと気がかりだった。
この時は術後の痛みがなかったけれど、傷口が痛い中で咳き込んだら、、、ということは容易に想像がつく。
でも今度は、麻酔科の先生に後光がさす!
To be continued...