1*0.1
後戻りはしないで書く。
アルミンが焼き焦げたとき、全身に力が入らなくなった。
息が苦しくなった。何も知らなければ、苦しくないのに。
これは漫画だとか、アルミンは主要キャラだからとか、ここでもしアルミンを選ばなかったら原作者叩かれるぞとか
そういうことを必死に考えてなきゃ、心を保てなかった。
つまり、ひとつ外の視点を想像して、その大いなる意思によってこれは操作されているのだと。
しかし、現実世界に原作者はいない。
であるならば、我々が想像できるのは神だ。
安心したいから、神を信じるのだ。
これが、酔っぱらうということなのか。
他に、死について考えたことがある。
いなくなった人は、死んだのと同じなのか。
小学校の同級生、バイト先で退職された方、父親。
私には、もう会わないで”あろう”人がたくさんいる。
その人たちは死んだことと同じなのではないか。
祖母を亡くしたという人が旅行から帰ってこない気分と言っていた。
死ぬのがなぜ悲しいか。それは、会えないからだ。話せないからだ。
しかし、先の問いに対する答えに異を唱えるとともに、もう一つ理由を加えると、それはその人がどこかで何かをやっていると思えないからだ。
裏を返せば、死んでいなければ会っていなくとも、どこかで何かをやっているということを想像できる。
では、生きている彼らを想像しなければもったいない。
きっと想像するべきなんだ。
こういうことをするのは久しぶりだし。
こういうことを言うのも久しぶり。
うなじの中から出てきた気分だ。
ここ最近、私の人生の中で最も忙しかった。
本質に触れる、自分がやるべきことをやっているものに触れると、自分を思い出せる。
そのフォーマットの次元は問わないけど、作品は打ってつけってこと。
シーズン7まであるのびっくりしちゃった。
私の縦1m、幅10cmに切り込んでくれてありがとう。